No.85/宗教的理由による輸血拒否が問題となった複数の裁判例の検討(1)

No.85/2022.6.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

宗教的理由による輸血拒否が問題となった複数の裁判例の検討(1)

重症患者の宗教的理由による輸血拒否が問題となった場面は過去に様々なものがあります。臨床医療法務だより No.35(2021.5.6発行)「宗教的輸血拒否者と説明義務(最高裁平成12年2月29日判決)」においてご紹介した最高裁の判決が一番有名な判決です。他にも、いくつかの裁判例等(裁判にはなっていない事件を含む)をみていくと、議論状況は、①患者自身が輸血を拒否している場合と、②患者以外の者(主に親権者)が患者である子の治療を拒否する場合に分けることが出来そうです。そこで本稿では、第1において患者自身が輸血を拒否したことが問題となった裁判例、第2において患者以外の者の意思決定による輸血拒否が問題となった裁判例等を取り上げたいと思います。そして第3において、まだ裁判で判断が示されたことがない議論である(と思われる)「妊娠中の女性が患者の場合における輸血拒否」について、その法的な問題点を考えてみたいと思います。 なお、2008年(平成20年)2月28日に宗教的輸血拒否に関する合同委員会報告「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」が示されており、実務的には同ガイドラインに沿った治療が求められます。同ガイドラインは、本稿で紹介する裁判例等を参考に作成されたものであり、裁判例等の考え方に沿ったかたちとなっています。

第1 患者自身の意思決定による輸血拒否が問題となった事案

1.東大医科研病院事件(最高裁平成12年2月29日判決。以下「平成12年最判」といいます。)

(1)事案の概要

エホバの証人の信者で肝がんに罹患するAは、宗教上の信念から、強い輸血拒否の意思を有していました。病院は、患者がエホバの証人の信者である場合、できる限り輸血を回避するが、他に救命手段がない事態になったときは、患者・家族の諾否にかかわらず輸血を行うという方針をとっていました。Aの長男は、輸血不実施により生命や健康に不利益が生じたとしても、医師などの責任を問わない旨を記載し、Aとその夫が連署した免責証書を医師に手渡していました。他方、医師らは必要な場合には輸血を行うという病院の方針をAらに告げませんでした。結局、輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、方針に従って輸血をしてしまいました。最高裁は、「医師らは、説明を怠ったことにより、Aが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪った」ものとして、Aの人格権侵害を認めました。

(2)検討

本事案では、患者の意思決定をする権利を侵害したものとして慰謝料50万円が認められています。輸血を伴う医療行為を拒否するとの宗教上の信念に基づく意思決定をする権利は、人格権の一内容として十分に尊重されなければならず、その範囲で医師の治療における救命義務や裁量権は一定の制限を受けるということを示しました。

2.大分地裁昭和60年12月2日決定

(1)事案の概要

昭和59年、30歳代男性が、骨肉腫手術のため、A医大病院に入院しました。そのまま放置しておくと、身体の他の部位に転移し、やがて死の転帰に至る可能性が高い状況にありましたが、本人は、宗教上の理由で、輸血せずに手術を受けることを希望しました。これに対して、その両親が、「自殺同然の輸血拒否行為は、親の幸福追求権等を侵害する」として、子供の手術を求める(子どもに輸血を伴う手術を受けるように強制する)断行の仮処分を申請しました。しかし、大分地裁は、個人の生命については、最大限尊重されるべきであり、私事を理由に自らの生命を勝手に処分することを法認することはできないが、一方で、本人は、理解・判断能力を含めて正常な精神能力を有する成人の男子であり、その信教の自由に基づく真摯な要求であることからすると、輸血拒否行為が両親の権利侵害として違法性をおびるものと断じることはできない、との判断を示し、この仮処分申請を却下しました。

(2)検討

正常な精神能力を有する成人した本人が、宗教上の信念に基づき輸血拒否という意思決定を行った以上、親であったとしてもその意思決定を侵すことはできないことが判示されています。

第2 患者以外の者の意思決定による輸血拒否が問題となった事案

1.聖マリアンナ医科大学病院事件

(1)事案の概要

昭和60年6月6日、10歳の男児がダンプカーの左後輪にはねられ重傷を負いました。エホバ信者である両親が男児に対する輸血を拒否し、大学病院側は、輸血の必要性を強調し、警察官まで加わって説得を試みましたが、両親は輸血に応じませんでした。遂に両親の納得は得られず輸血を行わないまま、男児は約5時間後に死亡しました。ダンプカーの運転手は、業務上過失致死罪で略式起訴され、罰金15万円の有罪となりました。一方、新聞報道によると、輸血を拒否した両親及び輸血を行わなかった医師の刑事責任も検討されていたようですが、捜査の結果、両名の刑事処分は行われなかったようです。

(2)検討

この事件では、本人が輸血拒否の意思決定をしているのではなく、両親がその意思決定を行っているという点で、第1で挙げた二つの裁判例とは決定的に異なっています。本人の意思決定を何ら確認していない状況下において(さらに、そもそも本事件における本人の年齢は10歳であり、十分な意思決定をできる年齢ではありません。)、両親の意思決定だけを根拠に、輸血拒否を行うことは大変危険なことです。親族自身が輸血拒否を希望していることから、法的紛争は生じにくい類型といえるかもしれませんが、仮に、その他の親族が医療側の法的責任を追及する行動をとった場合、医師は患者が亡くなったことについて民事・刑事上の責任を負う可能性があります。実際に、本事件においても、輸血拒否を依頼した保護者だけでなく、それに従った医師についても刑事責任を問えるかの捜査が行われていたようです。すなわち、保護者の宗教的な意思決定を安易に受け入れて、未成年への輸血を伴う医療行為を行わなかった場合、具体的な事情によっては、医師は法的な責任を問われかねないといえます。

2.東京家庭裁判所平成27年4月14日審判

(1)事案の概要

重篤な心臓障害を有する乳児について、可及的早期に手術をしなければ生命に危険が生じる旨診断されたにもかかわらず、父母が宗教上の理由から手術に伴う輸血を拒否しました。そのため、児童相談所長は、手術を可能とするため、親権停止及び職務代行者の選任を求める審判前の保全処分を申し立てました。本審判は、親権者らによる親権の行使が困難又は不適当であることにより、子の利益を害することが明らかであるため、保全の必要性も認められるとして、親権者の未成年者に対する親権者としての職務の執行を停止し、申立人を職務代行者に選任しました。

(2)検討

この事案も、本人が輸血拒否の意思決定をしているのではなく、両親がその意思決定を行っているという点で、第1で挙げた二つの裁判例とは異なっています。当然のことではありますが、子供であっても、親とは全くの別の生命であり、その生命権は何よりも尊重されなければなりません。親がどれだけ真摯な信仰心に基づいて輸血を拒否していたとしても、子の生命を奪ってまで、子の輸血を拒否する権利はありません。