No.86/宗教的理由による輸血拒否が問題となった複数の裁判例の検討(2)

No.86/2022.6.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

宗教的理由による輸血拒否が問題となった複数の裁判例の検討(2)

第3 患者が妊娠中の女性である場合の輸血拒否について

最後に、妊婦である患者が、宗教上の理由により輸血を拒否した場合において、なおかつ、それが胎児を死に至らしめる可能性が高い場合、その妊婦である患者の意思決定は許されるのか、また、その意思決定に従った医療行為は許されるのかについて考えてみたいと思います。類似事案に関する裁判例は、(おそらく)存在しないようですが、「第2 患者以外の者の意思決定による輸血拒否が問題となった事案」と似た倫理的問題があります。胎児が、妊婦とは全く別個の生命体として生命権を享受することを前提とするのであれば、妊婦の意思決定であったとしても、別の生命を奪う権利までは保障されないといえそうですが、一方で、胎児の生命権の享受は完全なものでなく、妊婦の意思決定のほうが尊重されなければならないということであれば、輸血拒否の意思決定は尊重されなければならないということになりそうです。この点については、裁判所での判断が出されたことはありませんし、また、下記1、2で述べるように、どちらを優先するかについては、いずれの考え方もあり、はっきりとした結論は出ていません。もし仮に、医療の現場で、妊娠中の女性が宗教上の理由により輸血を拒否した場合、医師は、とても厳しい判断を迫られることになりそうです。

1.胎児の生命権を重視する考え方

平野哲郎裁判官「新しい時代の患者の自己決定権と医師の最善義務」判例タイムズNo.1066(2001年10月1日)においては、下記のように述べられています。

「患者が妊娠中の女性の場合、前述のとおり、患者が妊婦で、患者に輸血をしないと胎児の生命健康に危険が及ぶという場合に、患者が輸血拒否をすることは胎児という『他人』の生命権・健康権の侵害になる意思決定であり、かかる意思決定をすることは親といえども許されない。この場合、侵害の対象となる法益は憲法一三条に根拠を持つ生命に対する権利であり、・・・したがって、このような場合の患者の輸血拒否の意思表示は無効であり、医師は患者の意思に従う必要はなく、事務管理者として最善の措置、すなわちこの場合は輸血を行うべきである。」 この考え方は、胎児も、人と同程度の「他人」として、生命権を享受する主体として認め、その胎児を巻き添えにするような意思決定は、真摯な宗教上の理由によるものであっても許されないということを述べています。

2.妊婦の宗教上の意思決定を重視する考え方

一方で、元慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科丸山英二教授の「日本集中治療医学会教育講座 集中治療と臨床倫理 倫理的・法的・社会的問題(ELSI)への対応 宗教上の理由による輸血の差控え」においては下記のように述べられています。

「1994年の東京都立病産院倫理委員会報告『宗教上の理由による輸血拒否への対応について』は、『胎児の生命を助けるためとはいえ患者の宗教的信条を無視して患者に輸血を行うことはできない』と述べ、輸血を行わず最善の努力をすることを求めている。アメリカにおいても、かつては、胎児の保護を理由に、輸血を拒否する妊婦に対してその実施を命じる判決が存在したが、最近では、治療拒否権が広く認められるようになったこともあって、輸血を拒否する権利は妊娠中でも縮減されるものではなく、輸血を命じることは妊婦の治療拒否権と信教の自由の侵害になるとする判断が一般的である。」とされています。

第4 まとめ

以上の裁判例の検討から、患者の意思決定に関する権利は、十分尊重されなければならないことが明らかといえますが、一方で、患者以外の者(両親等)がその宗教上の信念から、輸血拒否を強く主張したとしても、本人の意思決定ではない以上、本人の生命保護を絶対的に優先すべきものといえます。「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」では、18歳以上の判断能力がある患者の場合、①医療側が無輸血治療を最後まで貫く場合は、患者から免責証明書を取得したうえで無輸血治療を行う、②医療側が、無輸血治療が難しいと判断した場合は、患者に早めに転院を勧告する、という対応が求められています。一方で、未成年の親権者が輸血拒否をした場合には、親権者への説得を試みることになってはいますが、最終的には親権者の意思に反してでも未成年への輸血治療を行うことが求められており、第2で紹介した裁判例等の考え方に沿う内容となっています。

妊婦の輸血拒否に対する対応については、裁判でもガイドライン等でも、いまだ明確な指針は示されていないようです。個人の価値観に大きく依存する議論になることが予想されますので、どちらが正しいとの明確な判断を示すこと難しく、医療の現場においては、将来、裁判所が判断を示し、明確な指針が出されるのを待つしかない問題と言えるかもしれません。

アメリカでは、1973年に人工妊娠中絶を合法化した連邦最高裁判決が、近い将来覆る可能性があるとの報道も出ています。アメリカにおける人工妊娠中絶の議論も、「胎児の生命権」と「女性の自己決定権」と、どちらを重視するかの論争であり、その意味では、妊婦の宗教的理由による輸血拒否の事案と似た構造になっているといえるかもしれません。個人の価値観に大きく依存しているため、アメリカにおいても、解決が難しい社会問題となっていることが分かります。