No.43/「患者の終末期」と「医師の適切な医療処置を施す義務」(裁判例の検討)
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No.43/2021.7.1発行
弁護士 増﨑勇太
(はじめに)
今回ご紹介する東京高裁令和2年8月19日判決は、90歳超の高齢患者について、医師の適切な医療処置を施す義務の有無が判断された事例です(ただし、患者が終末期にあたるかについては争いがある事案です。)。 現在、日本の人口の約7人に1人が75歳以上の高齢者であり、医療現場においても高齢患者が占める割合は非常に高くなっています。特に、終末期と思しき患者については、「終末期の延命措置の可否」について事前に患者の意見を聴取していたとしても、患者の様態が急変した際に延命治療を実施すべきか迷う場面が多いと思います。本判決は、終末期とも考えられる高齢患者の診察に関する最近の判決であり、臨床医療の現場でも参考になると思われます。
1.事案の概要
本件は、特別養護老人ホームであるB老人ホームに入所するA(当時94歳)に対し、緊急往診の要請を受けたY医師が救命措置等を実施しなかったことから、当該Y医師が「適切な医療処置を施すべき義務」に違反したということにならないかが争われた事案です。 Aは、B老人ホームに入所する際、「終末期についての事前確認書」という書面に終末期ケアの希望を記載していました。その書面では、「B老人ホームでの看取りを希望[B老人ホームで可能な医療(日中の点滴、低濃度の酸素吸入等)を行い自然の経過による死]」という欄にチェックがされていました。 ある朝(午前7時35分頃)、B老人ホームの職員がAを車いすに移乗させたところ、Aの反応がなく、Aを再度臥床させ検査したところ、血圧は54/31、脈拍は38、酸素飽和度は70%という状態でした。 職員は、B老人ホームに隣接するZ病院に電話連絡し、緊急往診を要請しました。7時50分頃、要請を受けた当直のY医師がAを診察しました。 Y医師は、Aの呼吸音や脈拍等を確認し、胸骨への刺激による痛覚反応及び呼びかけによる知覚反応を調べましたが、全く反応はありませんでした。Y医師は、職員に対してAの家族に連絡するよう指示しました。そして、Aに特段の医療処置をすることなくZ病院に帰院し、他の医師に引継等をしないまま当直明けで帰宅しました(その後、午前9時には別病院に出勤しています。)。当時のことを記録したケース記録には、「カルテがなく適切な診断ができないため様子見とのこと」とY医師の指示が記載されています。 Aは、同日午前8時40分頃に様態が急変し、午前9時頃に亡くなりました。 Aの遺族は、Y医師が酸素療法等の緊急処置を行うとともに、速やかにカルテの閲覧や心電図等の検査をおこなうなどの救命措置をとるべきだったとして、Y医師及びZ病院を経営する医療法人に対し、損害賠償請求訴訟を提起しました。これに対し、Y医師らは、Aは診察時には意識がなく、下顎呼吸をするなど客観的に見て死期が間近に迫っている状態であり、治療をしても効果をあげることができるような状態ではなかったから、救命措置をとるべき義務はなかったと反論しました。
2.裁判所の判断
(1)第一審の判断
この事案について、第一審(甲府地方裁判所令和元年11月26日判決)は、Aは老衰によって全身の状態が不可逆的に著しく悪化しており、Y医師の診断時点で死亡直前の状態(終末期)であったと認定しました。そして、Y医師が酸素療法等の処置をしてもAの状態が改善したとは認められず、延命措置を希望していない患者に対しては、延命措置を実施すること自体が患者にとって苦痛になるとして、Y医師が医療措置をとる義務を否定しました。また、Y医師がAの血圧や酸素飽和度を確認し、聴診器等で心音や呼吸音を聴取したことなどから、さらに心電図等の検査等を行う義務はなかったと判断しました。
(2)第二審(東京高等裁判所)の判断
第一審はY医師の責任を否定しましたが、第二審(東京高等裁判所)はY医師の責任を認める判断をしました。 第二審は、Y医師作成の当直録に死期が迫っていることを示す兆候である下顎呼吸の記載がないこと、ケース記録に「カルテがなく適切な診断ができないため様子見とのこと」と記載されていること、当直終了後に Y医師から他の医師への引継がされていないことなどを根拠に、Y医師がAの死亡が切迫していると判断したとは認められないとしました。さらに、Aの容態急変がY医師の診察の40分以上後であったことなども指摘のうえ、診察時のAが改善の見込みがない状態(終末期)にあったとまで認めることも困難としました。 そして、Y医師は、Aが重篤な容態にあることを認識したのであるから、Aのカルテを閲覧して従前の治療経過を確認するとともに、必要に応じて酸素吸入等の応急処置や、心電図検査を含む疾病の診断と治療の検討を行うべき義務があったと判断しました。また、Y医師自身の対応が困難であれば、隣接するZ病院にAをストレッチャーで移送するなどして他の医師に迅速な引継ぎを行い、対応を依頼するなどの適切な医療処置をとるべき義務があったとも判断しました。 Y医師がこれらの医療処置を施さず、「カルテがなく適切な診断ができないため様子見」としたことは過失があるとして、損害賠償が認められました。ただし、Y医師が適切な医療処置を行ったとしても、Aを救命できた可能性が高いとはいえないとして、損害額は慰謝料200万円及び弁護士費用20万円のみが認められました。
3.解説
この事案は第一審の判断と第二審の判断が別れました。しかし、第二審は「延命措置を希望していない患者に対しては、延命措置を実施すること自体が患者にとって苦痛になる」という第一審の考え方を否定しているわけではありません。 終末期医療における延命措置(死期が切迫し回復見込みが無い患者に対する、死期を引き延ばすことのみを目的とする措置)と、救急医療における救命措置(患者の救命、症状の改善を目的とする措置)は区別して考える必要があります。延命措置を望まない患者であっても、救命措置により容態が改善する可能性がある場合(不可逆的な終末期とはいえない場合)は、救命措置を行うべき義務が認められます。 Y医師はカルテを確認するなどしてAに救命の余地があるか検討すべきだったにもかかわらず、引継等の措置もしないまま「様子見」との指示を出すにとどまりました。第二審は、Y医師がAの救命可能性を十分に検討する措置をとらなかった点をもって、適切な医療措置を施すべき義務に違反したと判断しているのです。 また、本件は、当直記録等の記載が裁判所の事実認定に大きく影響した事案でもあります。仮に、Y医師が、Aの死期が切迫し症状改善の余地がないことを診療録等に具体的に記載しており、かつそれが事実であった場合は、第二審もY医師の過失を否定したかもしれません。実際には、Y医師は「カルテがなく適切な診断ができないため様子見」との指示を出したとケース記録に記載されており、Y医師が十分な診断をしないまま「様子見」の判断をしたという認定の重要な根拠になっています。 本件のように、患者の症状の重大な転機となる局面が生じた場合は、特に診療記録等の記載に注意を払う必要があります。また、本件は老人ホームへY医師が単独で往診しており、看護師作成の看護記録等は存在しません。老人ホームの職員が記録を作成するとしても、患者の症状や医師の指示について不正確な記載をしてしまう可能性は否定できませんし、また、当該職員の作成した記録は診療記録とはいえないと思われますので、記録としての信用性に問題が生じます。いずれにしても、、医師は自ら正確な診療録を作成するよう心掛ける必要がありそうです。老人ホームへの往診など院外診療を実施されている病院は、この事案を参考に、院外診療の記録化や引継体制を改めて検討していただければと思います。