No.39/診療ガイドラインと医療水準

No.39/2021.6.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

臨床現場において、ある病気に対する標準的な治療方法を知るための方法として「診療ガイドライン」が用いられることが多くなっているのではないかと思います。今回は、診療ガイドラインが訴訟においてどのように取り扱われるのか、裁判例等を踏まえながら、検討したいと思います。

1.診療ガイドラインとは何か?

診療ガイドラインは、「特定の臨床状況において、適切な判断を行うために、医療者と患者を支援する目的で系統的に作成された文書」(米国医学研究所Institute of Medicine)と定義されています。平成11年頃より、厚生労働省(当時の「厚生省」)は、診療ガイドラインの策定を指導するようになり、それを契機として、日本医師会も、診療ガイドライン作りのための基礎的概念を発表しました(桑間雄一郎・上野智明「日本の診療ガイドライン整備への基礎研究」日本医師会総合政策研究機構報告書10号-平成11年3月-以下「基礎研究」といいます。)。その基礎研究では、「診療ガイドラインの作成の理念は、Evidence based Medicine(科学的根拠に基づいた医療)(以下「EBM」という。)の中に整理されている」とし、EBMを「臨床研究データから得られる現時点での最良の科学的根拠を誠実かつ思慮深く臨床判断に用いながら医療を実践すること」と定義しています。そして、ガイドライン作成においては、第一プロセスとして、ガイドラインを作成するために収集された様々な臨床研究データを信頼性の高い順番に並べ、最も信頼性の高いデータを基に、事実を把握し、第二のプロセスとして、第一のプロセスで得られた事実に、価値判断を加えてガイドラインを作成していく、と説明しています。すなわち、EBM手法に基づくガイドラインの作成過程は、「最良の科学的根拠の同定」と「価値判断、合意の形成」から成り立っており、様々な価値判断を調整して最終的なガイドラインが作成されることになるのです。このように、診療ガイドラインは、「EBMの考え方(手法)を基本として、できるだけ客観的なエビデンスに基づき、一定の方向性を示し、現場の判断を支援することを目指すもの」であるため、診療ガイドラインは、個々のエビデンスよりも、一般的にはより高い信頼度が期待されているものといえます。「すべての患者をカバーするものとはなっていないとしても、診療ガイドラインに従った診療が当てはまる患者は、治療を行った患者の7割から8割程度」ともいわれています(判タ1306号60頁「医療事件において医療ガイドラインの果たす役割」藤倉徹也〔元大阪地裁判事〕69頁。以下「藤倉論文」といいます。)。そして、裁判例においても「一般に、診療ガイドラインは、作成時点で最も妥当と考えられる診療の手順をモデルとして示したものである」(大阪地判平成19・9・19)と述べられています。

2.診療ガイドラインと医療水準論

(1)医療水準論

医療訴訟において、医療側の責任が発生するのは、医療側に「注意義務」違反が認められる場合です。最高裁は「いやしくも、人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる『最善の注意義務』を要求される」(最判昭和36・2・16東大輸血梅毒感染事件)と述べ、さらに、その「最善の注意義務」とは何かという点については、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」としています(最判昭和57・3・30)。要するに、診療当時の「医療水準」に満たない医療行為がなされた場合に、医療側の注意義務違反(過失)が認められる、ということになります。

(2)診療ガイドラインと医療水準

ア  さらに、この「医療水準」が何であるのか、という点が医療訴訟では問題となりますが、厚労省や日本医師会が診療ガイドラインの策定を推進し始めた平成11年以降、診療ガイドラインに言及する判決が多くなっており、多くの医療訴訟において、診療ガイドラインが「医療水準」を判断するための医学的知見を得る材料(証拠又は規範)として利用される(法廷に証拠として提出される)ようになっています。EBM手法を用いて策定された診療ガイドラインは、医学会等の策定団体自体の専門性と信頼性が高いほど、最良の科学的根拠とその価値判断による合意形成によって、「臨床診療における診断基準」として高い信頼が寄せられることになったのです。

イ  診療ガイドラインについては、策定当初から、医療関係者より、「診療ガイドラインが医療訴訟の裁判規範(裁判官の判断基準)とされるのではないか」との懸念が示されていました。「EBMを基礎とする医療ガイドラインは、あくまでスタンダードな指針に過ぎず、実際の医療現場においては、ガイドラインには多くのバリアンス(目標どおりに診療の手順が進まないこと)が存在することを前提に対応する必要がある」との指摘もなされています(藤倉論文68頁)。

3.診療ガイドラインに関する裁判例

(1)診療ガイドラインに言及した裁判例は多数ありますが、その中には、①診療ガイドラインをあたかも裁判規範的な存在(判断基準)として取り扱う裁判例もあれば、②診療ガイドラインと異なる医療を施したとしても、総合的判断を行って合理性がある場合には、医師の裁量で診療ガイドラインと異なる医療行為を許すものまで、様々なものがあります。診療ガイドラインについては、あくまでスタンダードな指針に過ぎないということを考慮すると、診療ガイドラインにあまりにもこだわり過ぎること、診療ガイドラインと異なる診療行為を一切否定することになり、適当ではありません。したがって、診療ガイドラインと医療水準との関係を考えるに当たっては、医療行為に柔軟性をもたせるために、下記の裁判例等の考え方が適切であり、参考になると思われます。

(2)仙台地判平成22・6・30

仙台地裁平成22・6・30判決は「診療ガイドラインは、その時点における標準的な知見を集約したものであるから、それに沿うことによって当該治療方法が合理的であると評価される場合が多くなるのはもとより当然である。もっとも、診療ガイドラインはあらゆる症例に適応する絶対的なものとまではいえないから、①個々の患者の具体的症状が診療ガイドラインにおいて前提とされる症状と必ずしも一致しないような場合や、②患者固有の特殊事情がある場合において、相応の医学的根拠に基づいて個々の患者の状態に応じた治療方法を選択した場合には、それが診療ガイドラインと異なる治療方法であったとしても、直ちに医療機関に期待される合理的行動を逸脱したとは評価できない。」と述べて、診療ガイドラインと異なる治療方法を行ったとしても、その合理性を説明できるのであれば、注意義務違反になるものではないことを明らかにしています。

4.まとめ

医療訴訟において、診療ガイドラインが重要な意味を有することは今後も変わらないと思われます。医療紛争に巻き込まれないためにも、医療の現場においては診療ガイドラインをしっかりと読み込み、仮に、診療ガイドラインと異なる医療行為を行う場合には、①そのことの合理性を医学文献的に十分に説明し得るか検討し、さらに、②そのことを患者家族にも十分に説明して同意を得るようにし(IC)、その上で、③検討した結果としての合理的な理由と、患者家族に説明した内容をカルテ等に書き残すことが必要になります。