No.143/第15回医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム(令和4年10月19日開催)

No.143/2022.11.1発行
弁護士 永岡 亜也子

第15回医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム(令和4年10月19日開催)
(テーマ)-応招義務・医師と患者の信頼関係の構築-【判例タイムズNo.1511(2023年10月)】

1.はじめに

東京地方裁判所では毎年、「医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」が開催されています。本稿では、令和4年10月に東京地方裁判所で開催された「第15回医療界と法曹界の相互理解のためのシンポジウム」の概要等をご紹介します。なお、過去の開催概要等については、臨床医療法務だよりNo.59、No.112でご紹介しています。
第15回は、医療界から、都内の13医科大学と5歯科大学の医師らが、法曹界から、東京地方裁判所医療集中部の裁判官と、東京にある3弁護士会の医療訴訟に造詣の深い医療機関側・患者側弁護士が参加したほか、オブザーバーとして特定機能病院なども参加して行われました。テーマは「応招義務・医師と患者の信頼関係の構築」です。

2.応招義務について

応招義務の根拠は医師法19条1項にあり、そこには、「診療に従事する医師は、診療治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」と定められています。歯科医師、助産師、薬剤師及び獣医師にも同様の義務が課されています。

① 公法上の応招義務

医師法等の定めによれば、応招義務を負うべき主体は、医療機関開設者ではなく、医師等個人です。また、応招義務は、医業が国民の健康な生活を確保するという公共的な性格を有し、医師等のみが医業を独占することから、医師等が国に対して負担する義務であると考えられています。
医師法等には、応招義務違反に関する罰則規定はありませんが、医師等が応招義務違反を反復する場合には、医師等としての品位を損するような行為があった者として、行政処分の対象になる可能性があると言われています。

② 私法上の応招義務

裁判例や学説上では、応招義務は国に対する義務であるとともに、医療を受ける患者のために設けられた義務でもあること、また、医療を受ける権利を保障することができるのは医療を独占する医師等のみであり、応招義務はこの基本的権利を保障するために医師等に課された職業上の義務であることなどを理由に、医療機関開設者が患者に対して負担する義務としての応招義務を認める傾向にあります。
患者に対する義務としての私法上の応招義務違反の効果としては、不法行為による損害賠償義務を認めるのが通説ですが、債務不履行に基づく損害賠償義務を認める見解もあります。

③ 私法上の応招義務違反

応招義務違反は、診療拒否について「正当な事由」の存在が認められない場合に肯定されるものですが、「正当な事由」の有無を判断するにあたっては、病院側の事情、患者側の事情、地域の緊急医療体制、診療の基礎となる信頼関係の存否等が考慮されることになります。より具体的には、病院側の事情として、手術中、患者対応中、ベッド満床、処置困難、専門外、医師不存在などが、患者側の事情として、緊急の処置を要する患者であること、患者の容態が遠方への搬送に耐えられないことなどが、地域の緊急医療体制として、周辺に代替施設がないこと、第二次、第三次救急医療施設であることなどが考慮されます。

④ 令和元年度厚生労働省医政局長通知

令和元年度に、厚生労働省医政局長が、「応招義務をはじめとした診療治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」と題する通知を発出しました(詳しい内容については、臨床医療法務だよりNo.97でご紹介しています。)。同通知では、「正当な事由」の最も重要な考慮要素は病状の深刻度であり、このほか、診療を求められた時間が診療時間内か否か、患者と医療機関・医師との信頼関係を考慮するものとされています。
裁判上、同通知は、医療水準における「ガイドライン」と同様の位置づけになるものと考えられます。

⑤ 私法上の応招義務の有無が争われた裁判例の類型

件数が多いものの順に、(1)患者側の迷惑行為や信頼関係の喪失に関するもの、(2)人手不足、専門外などの受入れ態勢の問題に関するもの、(3)診療拒否の事実の存否に関するもの、(4)診療継続中において患者から特定の診療行為を要求したのにこれに応じなかったという診療内容への要望に関するもの、(5)診療費不払に関するもの、(6)海外で臓器移植を受けた患者の倫理的問題に関するもの、に分けられるとのことであり、このうち、(1)の類型では、患者の迷惑行為が認められた事例では、おおむね「正当な事由」の存在が認められているようです。

⑥ 私法上の応招義務違反による損害

診療拒否と悪しき結果との間に因果関係があれば、悪しき結果により生じた損害、例えば死亡事例では、診療を拒否されずに適切な診療を受けていれば救命できた高度の蓋然性が認められる場合には、逸失利益や死亡慰謝料等の賠償義務が生じるのに対し、診療拒否と悪しき結果との間に因果関係がなければ、診療を受け得る法的利益侵害による慰謝料の賠償義務が生じるにとどまります。

3.題材事例

(1)受入れ拒否が応招義務違反となるかが争われた事例

① 千葉地方裁判所昭和61年7月25日判決<事例1>

【事案の概要】

患者Aは、当時1歳1か月の女児で、11月19日から感冒気味でした。同月21日午前9時、Aが喉を鳴らすため、両親は近医Bを受診し、診察を受けました。この時、Aには、顔面、唇あるいは指の末端等に軽度のチアノーゼがあり、喘鳴、軽度の呼吸困難、心臓の頻脈等の症状がありました。Bは、気管支炎ないし肺炎であるが重症であると判断し、入院の必要性があると考えました。ただ、Bの診療所には入院施設がないため、入院設備がある小児科の専門医のいる病院に転送すべきとの判断のもと、C病院宛の紹介状を作成して、救急搬送の依頼をしました(C病院は救急告示病院、公的医療機関でした。また、小児科の病床だけで38、常勤医師4名を有する地域の基幹病院でした。)。
救急車の出発後に、消防指令室よりC病院に連絡をして、収容、入院させてくれという確認をしましたが、ベッドが満床であることを理由に、受入れはできないとの回答でした(なお、救急車は、Bの事前確認の結果、受入れ可能であるということを前提に出発していたようです。)。午前10時3分、救急車がC病院に到着しましたが、やはり、満床のため受入れはできないとの回答でした。午前10時15分、指令室から、入院、又は入院ができなくても診察してくれないかという要請をしましたが、C病院の回答は、入院もできないし、診察もできないというものでした。その後、指令室や救急車から他の病院にもあたるなどしましたが、受入れ可能な病院は見つかりませんでした。午前10時35分、消防庁自ら、C病院に入院の依頼をしましたが、受入れできないとの回答に変わりはありませんでした。
午前11時5分、消防署指令室より、Aが1~2時間の搬送、遠方への搬送に耐えられるかどうか診察して欲しいという診察依頼をC病院にしました。これを受け、C病院医師が2分間ほど、Aの診察を行いました。この時のAは、呼吸は早く、顔面は蒼白でしたが、唇や四肢末端のチアノーゼ及び四肢冷感はありませんでした。胸部聴診の結果は、喘鳴が激しいものの、心雑音及び不整脈はなく、胸部全体にわたって湿性ラ音が聴取されました。C病院医師は、1~2時間の搬送には耐えられると判断し、点滴等の応急措置は取らずに、Aを送り出しました。
午後1時、救急車が3市先にあるD医院に到着しました。この時のAは、呼吸困難、喘鳴、発熱、四肢冷感、奔馬調律を認め、全身状態はぐったりとしていました。D医院医師は、補液、酸素投与、抗生剤、強心剤の投与をしましたが、呼吸循環不全症状は改善されず、午後3時、Aは死亡しました。

【裁判所の判断】

裁判所は、「応招義務は公法上の義務であるけれども、患者に損害を与えた場合には医師に過失があるとの一応の推定がなされる。診療拒否に『正当な事由』があるなどの反証がないかぎり、医師の民事責任が認められる。」としたうえで、「Aのような気管支肺炎の患児の診療には入院設備が不可欠であり、C病院が消防署から最初に収容要請を受けた際、入院設備が不十分のために、設備のある他の病院への転送を依頼したとしても、それがAのためを第一に考えたものとするならば診療拒否にはあたらない。しかし、Aを乗せた救急車がC病院に到着した時点においても転送を依頼し、その後も容易にAの収容先が見つからないことを認識しながら2回にわたって転送を依頼し、午前11時5分に医師が救急車の中で診察した後も転送を依頼したことは、もはやAのためを第一に考えた行為とはいえず、診療拒否にあたる。」と判断しました。
そして、「診療拒否が認められる『正当な事由』とは、原則として、医師の不在、病気などにより診療が不可能であるということを指すけれども、具体的事情によってはベッド満床も『正当な事由』にあたる。しかし、11月21日午前中のC病院の小児科の担当医は3名いたこと、この時間帯は外来患者の受付中であったこと、同市内及び隣接地区には、小児科の専門医がいて、しかも小児科の入院設備のある病院はC病院以外にはないこと、C病院の医師がAを救急車内で診察した際、直ちに処置が必要だと判断し、同時にC病院がAの診療を拒否すれば、3市離れたところ若しくはそれより北まで行かないと収容先が見つからないことを認識していたことから、医師法19条1項にいう『正当な事由』はなく、民事上の過失のある場合にあたる。」と結論付け、「診療拒否と死亡との間には相当因果関係が認められる。」として、請求額の75%程度を認容しました。

② 神戸地方裁判所平成4年6月30日判決<事例2>

【事案の概要】

患者Aは、当時20歳の男性で、午後8時10分頃、普通乗用自動車を走行していたところ、反対車線を走行していた車と正面衝突をして、瀕死の重傷を負いました。
午後8時29分頃、Aは事故現場から100mほど離れた病院に搬送されましたが、同病院医師は、死亡する危険が高い患者であるとの判断のもと、救急隊員に対して三次救急医療機関への搬送が必要である旨指示をして、更に搬送を継続しました。午後8時34分頃、管制室からB病院に対して、交通事故に遭った患者、打撲・外傷は大したことはない、呼吸・心拍に異常はない、意識レベルは30、三次が必要との情報を伝えて、Aの受け入れ可否の問い合わせをしました(B病院は救急告示病院、公的医療機関、三次救急医療機関でした。)。B病院には当時、13名の当直医が在院していましたが、外科医も整形外科医もいないとして、受入れを断りました。市内にもう1つある第三次救急医療機関にも打診をしましたが、現在手術中であるということで受け入れられませんでした。
午後9時13分頃、Aは隣接市の公立病院に搬送されました。同病院到着後、Aは心肺停止となりましたが、心臓マッサージによって一旦は蘇生しました。翌午前1時から開胸手術を開始し、午前6時10分頃終了しましたが、その40分後、呼吸不全によりAは死亡しました。

【裁判所の判断】

裁判所は、「応招義務は公法上の義務であるけれども、患者に損害を与えた場合には医師に過失があるとの一定の推定がなされ、『正当な事由』を主張、立証しないかぎり、損害を賠償しなければならない。応招義務は基本的に医師個人が負うものであるが、病院所属の医師が診療拒否をした場合、診療拒否は当該病院の診療拒否となり、一応推定される過失も病院の過失となる。」としたうえで、「Aに対して必要であった医療機関は第三次救急医療機関であるから、市内にほかに第一次、第二次救急医療機関があることをもって『正当な事由』とすることはできない。B病院は、夜間救急担当医師が診察中であったから『正当な事由』がある旨の主張をするけれども、夜間救急担当医師が当時いかなる診療に従事していたのかなどについて具体的な主張、立証をしていない。さらに、B病院には、本件連絡当時、Aの本件受傷と密接な関連を有する外科専門医師が、夜間救急担当医として在院していたところ、同外科専門医師が当時いかなる診療に従事していたのかなどについても具体的な主張、立証をしていない。したがって、脳外科医と整形外科医の宅直は、B病院の診療拒否の『正当な事由』たり得ない。」と結論付け、請求額の75%程度を認容しました。

(2)診療拒否が応招義務違反となるかが争われた事例

① 東京地方裁判所平成26年5月12日判決<事例3>

【事案の概要】

患者Yは、平成18年6月に腰部から大腿部の痛みや右大腿部のしびれを訴えてX病院の整形外科を受診し、腰部脊柱管狭窄症と診断されました。同年8月、X病院A医師の執刀により、Yに対する形成的椎弓切除術が施行されました。退院後、Yは同年12月27日まで1か月に1~2回程度、外来受診をして、右腰部や右大腿部の痛みなどに対して神経根ブロックなどの治療を受けました。
平成22年6月、Yが約3年半ぶりにX病院に来院し、診療記録一式の開示と前記手術の説明を求めました。A医師の診察も希望するとのことであったため、翌月、A医師の診察が行われました。A医師は、Yから前記手術の説明を求められて、「4年前の手術なので詳細には覚えていないが、手術は問題なく終了した」旨説明しました。これに対して、Yが、「交付された録画記録が前記手術のものか分からないので、これが全部提供されなければ説明は無用である」などと発言したことから、A医師は、「説明が信じられないのであれば、しかるべきところに訴えるしかない」「質問事項があれば書面で出すように」と伝えて、診察を終了しました。
2~3か月後、Yは知人と共にX病院に来院して、再びA医師の診察を受けました。Yが再度、前記手術の説明を求めてきたことから、A医師が、「既に医療記録は交付済みであり、質問事項があれば書面で出すように」と伝えたところ、Yは次第に声を大きくして感情的な態度を示しました。そこで、A医師は警察を呼びました。
後日、X病院において、Yに対する説明会が実施されました。同説明会には、病院側から、A医師、事務職員、弁護士が、患者側から、Y、Yの娘、Yの知人が出席しました。Yは、前回診察時に、A医師が警察を呼んだことについて謝罪を求めました。これを受け、A医師はその場で、警察を呼んだことについての謝罪をしました。その後、画像記録等に基づいて前記手術の説明が行われましたが、Yからは、説明が信用できないとの趣旨の発言がありました。X病院は、今後の質問等は文書で行うよう求めましたが、Yは、A医師と直接会って口頭で話をすることを求めました。
その後も、YがX病院に来院して、A医師が何について謝罪したのかを明確にするよう求める書面を持参するなどして不満を述べることが続いたことから、X病院はYに対し、今後はYの診療に応じられないこと、X病院に来院して問答を繰り返すことはX病院の正当な業務の妨害になるので慎んでほしいことなどを書面で通知しました。ところが、その後もYの来院は続き、その数は1年半の間に12回に及びました。Yは、職員らから帰るように促されても直ちに帰らないことがあり、職員らは1~2時間程度、Yの話を聞くなどの対応を強いられました。
困り果てたX病院は、Yに対して、診療義務、問診義務などの診療契約上の債務を負っていないことの確認を求める訴訟を提起しました。

【裁判所の判断】

裁判所は、「Yの言動からすれば、病院が患者に対して医療行為を行う上での基礎となる、X病院とYとの間の信頼関係は、もはや適切な医療行為を期待できないほどに破壊されているといわざるを得ない。これに加え、Y自身、法廷における尋問で、今後X病院にて診察を受けるつもりはないと述べていることも併せ考えると、本件手術などの医療行為に関しての、X病院のYに対する診療義務ないし問診義務は履行できない状況に陥っており、現時点でこれらの義務が存在するとは認められない。」としたうえで、「Yは、X病院とYは既に診療契約が締結されており、応招義務があるというふうに主張しているけれども、医師法19条1項によれば、診察に従事する医師は『正当な事由』があれば診察治療の求めを拒むことができるとされているところ、X病院とYとの間の信頼関係は適切な医療行為を期待できないほどに破壊されていることからすれば、X病院にはYからの診察の求めを拒否する『正当な事由』があるというべきである。」と結論付けました。

② 東京地方裁判所平成27年9月28日判決<事例4>

【事案の概要】

 患者Xは、平成11年からY病院の精神・神経科を受診していたところ、平成15年4月28日からN医師が担当するようになりました。その時点での診断は、ADHDの疑い、鬱状態で、Xはその当時、リタリンを1日4錠程度服用していました。以後約8年間にわたり、N医師はほぼ2週間に1度の割合で、1回45分間の診療を行い、最終的にリタリンは1日2錠程度まで減量できていました。
 この間、Xは他の精神科医の診察を受けたいと要求することがたびたびあり、N医師はその都度、他の医療機関に宛てた紹介状を作成するなどの対応を行いました。また、XがY病院の他の精神科医の診療を受けたいと要求した際にも、N医師はそのとおり対応しました。
 平成23年1月頃、XはY病院の患者相談窓口を直接訪問したり、電話をかけたりして、担当者に対して、N医師の診療やY病院の職員の対応の仕方などについて不平や不満を述べるとともに、様々な要求を繰り返すようになりました。
 翌2月8日、Xと患者相談窓口の担当者との面談が予定されていたところ、Xは、N医師同席の三者面談を希望すると言い出し、N医師の了解を得ないまま、窓口担当者を連れて診察室を訪れました。しかし、N医師が窓口担当者に、「ここは患者の診察の場ですよ」と言ったことから、窓口担当者は診察室から出て行きました。これに対して、Xは感情的になって、カルテに貼られていた連絡票を破って、診察室から出て行きました。N医師は、Xには今後は他の医療機関で治療を受けてもらうほかないと判断し、紹介状を作成しました。
 1週間後、XはY病院を訪れ、H医師の診療を受けましたが、H医師はADHDの患者にはリタリンを処方しない方針であったため、Xはリタリンの処方を受けることができませんでした。そこで、Xは別の医師の診療を求めましたが、同医師はXに、「N医師に相談してほしい」と伝えるにとどまりました。
 その後、Y病院精神科として、Xの診察についての基本方針を協議し、N医師は今後診療を行わないこと、N医師の予約を入力しないこと、N医師への電話を取り次がないこと、Y病院精神・神経科で他の医師に診療等を依頼する場合には、現在の主治医であるI医師(他の医療機関の医師)から当該医師宛に依頼があり、当該医師が了承した場合のみ受け付けること、現在同科でXの診療が対応できるのはH医師のみであること、電話ではX以外の家族への対応を行わないことが確認され、同内容の基本方針文書が作成されました。
 平成24年2月になり、Xは改めてN医師の診療の再開を強く希望するようになりました。Xは、Z弁護士を代理人として、まずはN医師個人に対して、診療の再開等を求める内容証明を送付しました。さらに翌々月には、Y病院に対して、N医師の診療再開等の内容証明を送付しました。しかし、診療が再開されることがなかったため、XはY病院に対し、診療拒絶にかかる慰謝料の支払いを求める訴訟を提起しました。

【裁判所の判断】

 裁判所は、「Y病院は、遅くとも基本方針文書が作成された時点で、Xに対する今後の診療に応じないとの姿勢を明確にして、Xに対する診療を拒絶するに至ったものと認められる。」としたうえで、「遅くとも平成23年1月以降、Xは、N医師の診療や病院の窓口対応を含む様々な不満を患者相談窓口で述べ、様々な要求を繰り返す状況にあったこと、同年2月8日、N医師の診療に相談窓口担当者を了解を得ずに立ち会わせようとしたこと、N医師はそのようなXの対応から、Xとの間には、診察治療に必要とされる患者と医師との信頼関係がなくなっており、このまま診療行為を継続することに治療上の問題があると判断せざるを得なかったこと、Xは、N医師以外の精神科の医師の診療を受けたものの、結局、治療方針が納得できず、X自らの判断に基づいてリタリンの処方を希望し、その後も弁護士を通じてN医師の診療再開を求めるなどしたこと等の事情が認められ、診療拒絶には『正当な事由』があると言わざるを得ないもので、これをもって診療契約上の債務不履行であると認めることはできない。」と結論付けました。

4.意見交換

〇 弁護士A:「本来、患者が信頼を寄せ、患者の権利の擁護者として期待される医療者がそれに応えてくれない、理解してくれない、話も聞いてもらえないということになれば、患者は不安になり、話を聞け、自分の理解する対応をせよという、医療者からすると過剰な要求と思われる行動に出るかもしれません。医療者に取っていただくべき対応は合理的な範囲で具体的な患者の期待に応えることになるとは考えておりますが、本日のテーマの診療拒否事案に即して述べるならば、診療しないという結論だけでなく、合理的な理由もきちんと説明することが重要と考えております。合理的理由を示せるということが、適切な診療拒否であるという証であり、医療機関をトラブルからも守るということになると考えております。」

〇 弁護士B:「患者の迷惑行為・暴力行為の背景、要因です。一つは、患者の顧客意識です。…二つ目は、保険医療制度から出てくる、医療はタダ、患者は皆平等という意識。三つ目は、患者の人権最優先という意識です。ただ、我が国では、患者の暴力行為等の統計が存在しないため、ここに挙げた背景、要因も飽くまで推測ということになります。」、「患者の迷惑行為、暴力行為を回避して余計な紛争を回避するために重要なことは、…医療者と患者との相互理解、特に患者が医療の困難性をもっと理解すること、これが一つの結論ではないかと私は考えています。ただ、それだけでは問題は終わらないということですよね。…患者の意識、顧客意識とか、医療は無償だとかという意識ですけれども、これが医療者と患者との相互理解の障害となっていると考えられるからです。この意識を取り去らなければ先へ進めないように思います。」、「問題の本質は法律以前の倫理であるんじゃないかということです。我々国民は全て、病気になれば患者として病院にかかることがあるわけですから、日頃から、そして小さい頃から医療について正しく理解して、我々が顧客意識、医療は無償であるというような意識などに安易に陥らないように、学校や家庭、社会で学んでいく必要があるということです。」

〇 弁護士C:「医師法19条そのものに関する令和元年通知に先立って、平成30年、厚生労働省の研究班の班員を務めさせていただきましたので、医療政策の観点から、なぜこのような通知が出たかということを少しだけお話しさせてください。…医師法19条の従前の解釈通知が、特に1992年の医療法第2次改正、それから2006年の医療法第5次改正等と比較して、完全にかい離した状態になっていましたので、特に医療法1条から1条の6までの総則規定と、それから医療法4条等の、地域医療支援病院等に関連する規定など、それから労働法の規定等を織り込みまして、形式的には医師法19条の解釈通知の形式で発出されておりまずが、個々の文言は医療法等に根拠がございます。」、「1992年の2次改正、2006年の5次改正を中心として、大きなポイントは2つあります。1つは、医師・患者間の信頼関係が医療の前提であるという規定がなされたこと。…もう1つ重要な規定は、医療機関相互間の、更に在宅も含めた介護サービスも視野に入れた連携と効率化が法的根拠をもって規定されるようになりました。…事例1に見るように、満床で、医療が実際に必要だと思われる患者さんを受け入れられないような状況が生じる最大の原因は、必要がない患者さんが医師の時間やベッドを占拠している状況が生じているからで、医療が不要な患者さんにどのようにお引き取りいただくかというのが実は日々の医療機関の大きな悩みであり、これを医療現場は退院調整と呼んでいます。その退院調整をしようとすると、医療の拒否だと言われて、応招義務違反ではないかと。これはもう日常的に医療現場で繰り返されていた議論ではありますが、医師法19条に関する令和元年通知はこの退院調整の正当化根拠を整理していく必要があって行われたことで」す。

〇 医師:「救急・集中治療科の医師です。人の命は皆等しく尊いという大原則はあるのですが、やはりトリアージの際には、重症度や緊急度を常に頭に入れております。…非常に情報が限られた中で判断する場合もあります。…あと、他院の状況についても、…リアルタイムに、次の病院に送っていいかどうかというのもやはり分かりづらいと思います。…また、診療を受けたら受けたで人手が足りなくて十分な診療ができなかったということもあったりする中で、非常に不十分な情報かつ不確定な状況で判断を迫られることがあります。その中で行うトリアージですので、後から見ての100点満点のトリアージができない前提ということを理解いただけているとうれしいなというのが医療者側の意見となります。」

〇 弁護士C:「信頼関係が破綻しているので治療拒否をすることについては、今回の令和元年通知では、『患者さん本人と』というような微妙な表現に留まっています。しかし、医療機関が日々難渋している相手方は必ずしも患者さんではなく、例えば、重度の障害を持たれる小児の患者の保護者や養護者が激しいクレームを繰り返して大変困惑するような事例とか、あるいは高齢者の患者さんで、その方は穏やかな方であったとしても、その養護者や御家族の方の激しいクレームで苦労している事例があり、これらについては、現状で必ずしも令和元年通知がどこまでカバーしているのかが分からない部分もあると思います。ただ、個人的には、現状では、そのような保護者や養護者のクレーマーについても同様に対処しなければ、医療現場は破綻するというような危機感を医療機関側として持っています。」

〇 裁判官:「問題の根底には、医療機関においては、限られた時間で、そのときの状況の中で最善の判断をしなくてはいけない難しさがすごくあるということを改めて感じました。事例1と2は、…現に苦しんでいる、あるいは急を要する状態にいる患者さんがいて、受け入れてもらえない、診療を拒否されている、ほかに行けるところもない、じゃあどうなるんだというときに、本当にそういう人を放置していいのかという問題なのに対して、医療側から見ると、やれることには限度がある、やれることはやった、具体的には、専門のお医者さんがいないですとか、ベッドが足りないですとか、様々な事情があり、そのときの状況ではどうしてもできなかったということについて、合理的な理由を示すことができるのかが問題となり、患者側、医療側双方の視点を、それぞれが具体的な事実と証拠に基づいて提示することで、どこで線を引くのかということを決めていくということなのだと理解しています。…結果的には、正しい評価ができていなかったということになるのかもしれないけれども、プロスペクティブに見たときには必ずしもそうとはいえない、医師の側に落ち度があるとはいえないという判断になることもあり得ます。裁判では、そこの事実をどう認定し、あるいは、認定された事実をどう評価していくのかということが問題になってくるのかなと思います。」、「医療行為に合理的理由があるということをきちんと説明すること、コミュニケーションの重要性というのも今日の議論の大きなテーマだったかと思います。後半の2つの迷惑事例では、コミュニケーションギャップも紛争の端緒になっているのかなと感じました。医療の現場で、感情的になっている患者さんや家族との関係で、きちんと説明をして、適切なコミュニケーションを持つということは難しいということは、事件を通じていつも感じていることですし、今日のお話からも改めてそのように感じたところです。…まずは医療の現場でもきちんとコミュニケーションをしていくことが重要ですし、また、訴訟になったときには、法曹の方でも、コミュニケーションが困難であるという現実を理解した上で、判断していく必要があるということを強く感じた次第です。」

5.まとめ

本シンポジウムのテーマ「応招義務・医師と患者の信頼関係の構築」は、どこの医療機関でも多かれ少なかれ対応等に苦慮する場面に遭遇しているであろう、非常に悩ましく、切実な問題であると考えます。
応招義務があるといっても、それは絶対的なものではなく、「正当な事由」がある場合には、診療を拒否することが許されます。とはいえ、「正当な事由」は安易に認められるものではなく、その存在を医療機関の側が立証しなければならないことから、個々の場面において、診療拒否が認められるべき「正当な事由」があるのか否かについて、慎重な判断を行うことが求められますし、その判断材料については、しっかりと記録に残しておくことが重要になります。
いずれにしても、診療拒否が認められるべき「正当な事由」の有無の判断にあたっては、令和元年度厚生労働省医政局長通知の内容が非常に参考になりますので、ぜひご一読ください。
なお、「医師と患者の信頼関係」という点についていえば、医療者と患者が日頃からきちんとコミュニケーションをとれているか、という視点が重要になります。一般的に、信頼関係とは、コミュニケーションの中で育まれ構築されるものであると思われます。もちろん、限りある時間の中で、たくさんいる患者1人1人とどこまでコミュニケーションがとれるのか、という現実的な問題はあろうかと思いますが、それでも、可能な限り、患者1人1人と向き合って、コミュニケーションをとる意識と努力は必要であると考えます。そのような接し方ができていれば、安易に信頼関係が破壊されるような事態には至りにくいと思われますし、信頼関係の欠如が原因で患者の迷惑行為等に発展するというリスクも、回避できる可能性があるように思われます。
また、そのような姿勢をもつことの重要性は、何かのきっかけで信頼関係が崩れかけているような場面にも当てはまります。信頼関係は、いったん崩れかけてしまったとしても、修復できる場合があります。ただし、その修復は、コミュニケーションと対話なくしては実現しないものであるように思われます。もし仮に、信頼関係が崩れかけてしまっていると感じる場面に至った場合でも、そこですぐに諦めるのではなく、コミュニケーションと対話を続ける姿勢をもつことにより、相互理解が図られ、事態が好転する可能性は十分に考えられます。