No.140/‶医師の守秘義務”と、患者の違法薬物使用についての警察官への通報 (最高裁平成17年7月19日第一小法廷決定)
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No.140/2023.9.15発行
弁護士 福﨑 龍馬
‶医師の守秘義務”と、患者の違法薬物使用についての警察官への通報
(最高裁平成17年7月19日第一小法廷決定)
1.医師の守秘義務と秘密漏示罪
診療過程において、患者の違法薬物使用が見つかった場合に、医療従事者の方は、警察に通報すべきか否か、迷われたことがあるかもしれません。一般の方が、違法薬物の使用を見つけた場合、何の迷いもなく、通報できますが、医師・看護師の場合、法律上の守秘義務が課されており、義務違反には刑事罰まで課されるため、警察に通報すべきか否か、判断に迷うことになってしまいます。本稿では、患者の違法薬物使用についての警察官への通報が、医師の守秘義務との関係で違法になるのではないかが問題となった判例を前提に、この問題を検討したいと思います。
(1)秘密漏示罪
刑法において、医師等の医療従事者や弁護士等、一定の職業にあるものには、守秘義務が課せられています。すなわち、「医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」(刑法第134条第1項)とされており、また、保健師、看護師又は准看護師についても、同様の規定が保健師助産師看護師法に定められています(同法第42条の2、第44条の3)。 秘密漏示罪の趣旨、すなわち、当該行為を処罰することによって守ろうとする保護法益には2つあるとされており、①人の秘密を取り扱うことが業務の内容をなしている職業について、必要なサービスを受けるために自己の秘密を開示せざるを得ない者(患者や弁護士の依頼者等)の秘密を保護すること、②医師や弁護士等の職業(プロフェッショナル)への信頼を守ること、とされています。仮に、医師が、患者の秘密を守らないなら、患者は、健康状態・病歴等というセンシティブな情報を主治医に伝えることはできないでしょうし、そうなると、医療も成り立たなくなるため、秘密漏示罪として処罰対象となっているということです。 一方で、医師や弁護士等の守秘義務が課されている者が、民事裁判や、刑事裁判で尋問を受ける場合には、守秘義務のある事項については、証言拒否権が認められています。
(2)正当な理由に基づく漏示(違法性阻却事由)
もっとも、医師等が秘密を漏らしたら常に処罰されるわけではなく、「正当な理由」に基づく漏示であれば、処罰の対象にはなりません。児童虐待(児童福祉法・児童虐待の防止等に関する法律)や麻薬中毒者(麻薬及び向精神薬取締法)、感染症(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)等、法令上、届出や通告が義務付けられていることがあります。医師・看護師が、これらの届出を行ったとしても「正当な理由」(法令行為)に基づくものとして、秘密漏示罪の処罰対象にはなりません。
2.採尿検査において違法薬物の使用が発覚した場合(最高裁平成17年7月19日決定)
ここで、診療過程において、患者の違法薬物使用が見つかった場合における警察官への通報の適法性が問題となった判例をみていきたいと思います。なお、同判例は、医師が違法薬物の使用を通報したことにより、秘密漏示罪に問われた事案ではなく、秘密漏示罪の該当性が直接問題となったものではありません。違法薬物使用者の刑事裁判(覚せい剤自己使用の刑事事件)において、被告人が、採尿及び入手経過が違法であるため、したがって、採尿の結果は刑事裁判の証拠として使用できない(違法収集証拠)と主張して争われた事案です。
(1)事案の概要
被告人は、同せい相手と口論となり、ナイフにより右腰背部に刺創を負い、救急車で国立病院A医療センターに搬送されました。被告人は、上記医療センターに到着した際には、意識は清明であったものの、少し興奮し、「痛くないの、帰らせて」、「彼に振り向いてほしくて刺したのに、結局みんなに無視されている」などと述べました。担当医師が被告人を診察したところ、その右腰背部刺創の長さが約3cmであり、着衣に多量の血液が付着していたのを認め、同医師は、上記刺創が腎臓に達していると必ず血尿が出ることから、被告人に尿検査の実施について説明したが、被告人は、強くこれを拒みました。同医師は、採尿が必要であると判断し、その旨被告人を説得し、最終的に止血のために被告人に麻酔をかけて縫合手術を実施することとし、その旨被告人に説明し、その際に採尿管を入れることを被告人に告げたところ、被告人は、拒絶することなく、麻酔の注射を受けました。同医師は、麻酔による被告人の睡眼中に、縫合手術を実施した上、カテーテルを挿入して採尿を行いました。採取した尿から血尿は出ていなかったものの、同医師は、被告人が興奮状態にあり、刃物で自分の背中を刺したと説明していることなどから、薬物による影響の可能性を考え、簡易な薬物検査を実施したところ、アンフェタミンの陽性反応が出てきました。 同医師は、その後来院した被告人の両親に対し、被告人の傷の程度等について説明した上、被告人の尿から覚せい剤反応があったことを告げ、国家公務員として警察に報告しなければならないと説明したところ、被告人の両親も最終的にこれを了解した様子であったことから、被告人の尿から覚せい剤反応があったことを警察署に通報しました。警察官は、差押許可状の発付を得て、これに基づいて同医師が採取した被告人の尿を差し押さえました。
(2)被告人の主張
被告人は、担当医師が被告人から尿を採取して薬物検査をした行為は、医療上の必要のない上、被告人の承諾なく強行された違法な医療行為であること、及び、担当医師が被告人の尿中から覚せい剤反応が出たことを警察官に通報した行為は、医師の守秘義務に違反していることを根拠として、警察官が同医師の上記行為を利用して被告人の尿を押収したものであるから、令状主義の精神に反する重大な違法があり、被告人の尿に関する鑑定書等の証拠能力はないと主張していました。
(3)第一審、控訴審の判断
第一審、控訴審ともに、被告人からの尿の採取及び薬物検査を行う必要性があること等を考慮してその適法性を認めた上、担当医師が国立病院の医師であったことから、刑事訴訟法239条2項に定める公務員の告発義務があること等を指摘して、担当医師の通報行為が守秘義務に違反する違法なものではなく、被告人の尿の入手過程に違法はないとして、被告人の尿の鑑定書等の証拠能力を肯定しました。
(4)最高裁における決定の内容
最高裁においても、被告人の尿の鑑定書等の証拠能力は認めましたが、公務員の告発義務には言及せず、下記の通り判示しました。 「上記の事実関係の下では、同医師は、救急患者に対する治療の目的で、被告人から尿を採取し、採取した尿について薬物検査を行ったものであって、医療上の必要があったと認められるから、たとえ同医師がこれにつき被告人から承諾を得ていたと認められないとしても、同医師のした上記行為は、医療行為として違法であるとはいえない。また、医師が、必要な治療又は検査の過程で採取した患者の尿から違法な薬物の成分を検出した場合に、これを捜査機関に通報することは、正当行為として許容されるものであって、医師の守秘義務に違反しないというべきである。以上によると、警察官が被告人の尿を入手した過程に違法はないことが明らかであるから、同医師のした上記各行為が違法であることを前提に被告人の尿に関する鑑定書等の証拠能力を否定する所論は、前提を欠き、これらの証拠の証拠能力を肯定した原判断は、正当として是認することができる。」
3.公務員の告発義務
なお、刑事訴訟法239条2項においては、「官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪があると思料するときは、告発をしなければならない。」とされており、公務員の告発義務を定めています(「官吏又は公吏」とは国家公務員及び地方公務員のこと。)。公務員の告発義務があるため、公務員が犯罪事実を告発した場合には、常に、「正当な理由」があるため秘密漏示罪には該当しないという考え方もあり、また、第一審・控訴審は、当該医師が国立病院の医師であることを指摘して、警察への通報を適法としています。一方で、最高裁は、公務員の告発義務から、直接、医師の通報の適法性を認定していません。最高裁が、公務員の告発義務を根拠としなかった、正確な理由は分かりませんが、公務員の告発義務を、本件通報の適法性の根拠としてしまうと、公務員以外の医師が、警察に通報し得るのか、という大きな論点が残ってしまい、適切ではないと考えたのかもしれません。そして、最高裁としては、通報により達成される利益(犯罪の検挙や治安維持という利益)と守秘義務により達成される利益(プライバシー保護、業務の信頼保護)という二つの利益を比較考量のうえ、本件においては、(当該医師が公務員であるか否かに関わらず)、「正当な行為として許容される」と判示したのではないかと考えられます。
4.臨床現場における対応
本裁判例は、結論として、医師の違法薬物使用の通報を適法としましたが、いかなる場合に適法となるのか、また、適法となる要件を明確に示したものではなく、臨床現場において、明確な指針を示したとまではいえないかもしれません。 ジュリストNo.1308・201頁以降(時の判例)においては、「患者は、重病にかかった、あるいは重傷を負った場合など、自己の生命、身体等を守るために医師の治療を受けざるを得ないときには、治療又は検査の過程で他人に知られたくない犯罪情報でもいやおうなしに医師に提供せざるを得ない立場にあるのも事実であり、医師に対し無制限に警察への通報を許容することは、その反面、患者に医師の治療を受けることを躊躇させ、必要な診療を受ける機会を奪うことも懸念されるところであり、本決定の射程を余り広く解するのは相当ではないように思われる。本決定は、医師において、治療の目的による必要な診療の過程で、患者が違法薬物を使用していることを知った場合において、医師による警察官への通報を許容したものであり(通報を義務付けるものではない)、それ以外の場合にも、医師が守秘義務を負うかどうかは、事案に応じて検討せざるを得ないところがあり、事例の集積を待たざるを得ないように思われる。」との指摘がされています。 診療の過程において、違法薬物が発覚した場合、医師は、その合理的な判断により警察へ通報することも可能であるし、一方で、治療目的を達成するために、通報をせず、治療を継続することも可能であると考えられ、その判断には大きな裁量が与えられているというべきです。そして、この裁量は、医師が公務員であるか否かに関係ないという事になります。