No.141/「レセプト病名」を付けた医師が、そのことを失念し、なすべき検査等をなさないまま、癌の進行を見落としたことについて、医師の責任が肯定された事例(東京地裁平成18年9月1日判決)

No.141/2023.10.2 発行
弁護士 永岡 亜也子

「レセプト病名」を付けた医師が、そのことを失念し、なすべき検査等をなさないまま、癌の進行を
見落としたことについて、医師の責任が肯定された事例(東京地裁平成18年9月1日判決)

(はじめに)

わが国では、国民皆保険制度のもと、原則として、すべての国民が何らかの公的医療保険に加入しなければならないものとされており、その結果、患者は、保険医療機関の窓口で一部負担金を支払えば足り、残りの費用については、保険者から審査支払機関を通じて保険医療機関に支払われるようになっています。この仕組みは、健康保険法その他の医療保険各法に規定されており、それら規定に同意した保険医療機関等が自由意思で参加することにより実施されています。すなわち、保険診療とは、保険者と保険医療機関との間で交わされた公法上の契約に基づく契約診療であるところ、保険医療機関が保険者に療養の給付及び費用の請求を行うに際しては、健康保険法等で規定されている保険診療のルールに従う必要があります。
ところで、厚生労働省保険局医療課医療指導監査室作成の「保険診療の理解のために【医科】(令和4年度)」には、「医科診療報酬点数に関する留意事項」として、「診断の都度、医学的に妥当適切な傷病名を、診療録に記載する。」「いわゆる『レセプト病名』を付けるのではなく、必要があれば症状詳記【注】等で説明を補うようにする。」との記載があります。また、「実施された診療行為を保険請求する際に、審査支払機関での査定を逃れるため、実態のない架空の傷病名(いわゆる『レセプト病名』)を傷病名欄に記載してレセプトを作成することは、極めて不適切である。例えば、非ステロイド性抗炎症薬を投与した患者にプロトンポンプインヒビターを併用したので、医学的に胃潰瘍と診断していないにもかかわらず『胃潰瘍』と傷病名をつけておいた、等である。診断名を不実記載して保険請求したことになり、場合によっては、返還対象となるばかりか、不正請求と認定される可能性もある。」とも記載されています。
いわゆる「レセプト病名」は、健康保険法等で規定されている保険診療のルールを逸脱するものであり、不正請求と認定される可能性があることはそのとおりですが、それだけにとどまらず、場合によっては医師・医療機関の民事責任追及に繋がる危険性をも孕むものであるため、その点からも注意が必要です。
以下では、「レセプト病名」を付けたことが医師の過失に繋がった裁判例を紹介します。

【注】 「保険診療の理解のために【医科】(令和4年度)」では、「レセプト上の傷病名等のみで診療内容の説明が不十分と思われる場合は、「症状詳記」で補う必要がある。」とされており、「症状詳記」には、「当該診療行為が必要な具体的理由を、簡潔明瞭かつ正確に記述する」ものとされています。

1 事案の概要

患者Aは、昭和60年頃、訴外病院において「慢性B型肝炎」と診断されました。
平成7年11月、Aは全身倦怠感が増強したため、知人から重症の肝炎治療の専門家として紹介を受けたY2医師を頼って、C病院を受診しました。翌月1日、Aは腹腔鏡下肝生検の結果、「肝硬変」と診断されました。Y2医師は、同月7日から平成9年1月まで、C病院・D病院にてインターフェロン及びサイクロスポリンの投与を行いました。インターフェロンの投与にあたっては、健康保険の適用とすることにより、Aの経済的負担を軽減するため、保険病名を「B型肝炎」とし、また、サイクロスポリンにかかる費用は、Y2医師の研究費で負担しました。その後は、AにB型肝炎ウイルスの激しい増殖が見られ、インターフェロンが有効性を示さなくなったことから、小紫胡湯とウルソサン投与等を行いながら経過観察をする方針として、平成10年5月16日まで同様の処方が継続されました。
平成11年11月17日、D病院が閉院となったため、AはY1病院を受診し、Y2医師の診察を受けました。Y2医師は、平成7年末以降長期間にわたって、保険病名を「慢性肝炎」として治療を継続してきたことから、Aが肝硬変に罹患したままそれが治っていない状況にあることを失念し、診療録に傷病名を「B型慢性肝炎」と記載して、超音波検査を実施しました。その結果は、「慢性肝炎ないし肝硬変及び肝内に室間占拠性病変3コ」との所見でしたが、これを見ても、Aが「肝硬変」に罹患していることを思い出せませんでした。
同月24日、Y2医師の代診医師は、腹部CT検査及び超音波検査を行い、「B型肝硬変」と診断しました。また、腫瘍マーカー検査において、α-フェトプロテインCLIAが44.9ng/mlと高値を示していたため、次回に腫瘍マーカーであるAFP及びPIVKA-Ⅱの検査をすることを指示しました。
平成12年1月5日、AはY2医師の指示に従い、C病院においてMRI検査を受けました。その結果は、「MRI上、肝の辺縁は不整で、脾腫も認められ、LC(肝硬変)のpatternと思われます。今回MRI上、Advanced HCC(進行した肝細胞癌)の像は確認出来ません。経過観察して下さい。」との所見でした。
Aは、平成12年3月1日、同年5月17日にY1病院を受診しましたが、その後約半年間、Y1病院を受診しませんでした。その後は、平成13年4月まで、1か月に1~2回の頻度でY1病院を受診し、Y2医師の診察を受けていました。
同年6月15日、Aは激しい右季肋部痛が出現したため、訴外病院を受診しました。CT検査の結果、肝腫大が著明で、mass像が認められました。同月20日、Aは訴外病院の紹介状及びCT画像を持参してY1病院を受診し、Y2医師の診察を受けました。CT検査の結果、手拳大の肝癌と思われる腫瘤状陰影が認められたことから、Y2医師は、Aの病変につき「肝癌」と診断しましたが、そのことをAには告げずにAの海外出張を許可したうえで、帰国後直ちに入院するように、とだけ告げました。
Aは、出張先の中国で体調不良を感じ、翌7月3日、中国の病院に入院しました。CT検査等の結果、肝臓の右葉に腫瘍があると診断され、同月11日、部分的肝臓切除術を受けました。手術の結果、腫瘍の大きさは12×7cmであり、肝細胞癌は右横隔膜筋にも浸潤し、肝門部リンパ節に転移していることが確認されました。
Aは、同月29日に帰国し、帰国後は訴外病院を受診し、TAE(肺動脈塞栓療法)を受けるなどしていましたが、平成14年4月5日、容体が悪化して訴外病院に入院し、同月18日、原発性肝癌により死亡しました。

2 裁判所の判断(東京地裁平成18年9月1日判決)

(1) 平成12年1月5日以降、腫瘍マーカー検査及び画像検査を行って、肝細胞癌を発見すべき義務を怠った過失の有無について

Y2医師がより適切な医療をより安価に提供できるようAに便宜を図るために、同人の保険病名を慢性肝炎として、長期間診療を継続したことから、Y2医師及びAはともに平成11年11月ころまでにはAの疾患が肝硬変であることを失念し、それが慢性肝炎であると思い込むに至っていたと認められる。
しかし、このように患者の疾患が何であったかを失念し、他の疾患であると誤解すること自体が、医師としての初歩的かつ重大な義務違反に当たると言わざるを得ないし、次のとおり、その後の診療過程において、その誤解を解く機会が十分にあったと認められる。
第1に、平成11年11月17日の超音波検査の結果は、「慢性肝炎ないし肝硬変及び肝内に室間占拠性病変3コ」との所見であり、肝硬変の可能性が示唆されていた。第2に、同月24日に診察に当たったY1病院医師は、Aの疾患について肝硬変と診断し、その旨及び腫瘍マーカーを追加すべきことをカルテに記載したことが認められ、次回以降も同じカルテを使用していることからすれば、このカルテの記載については、当然にY2医師も確認したと認められる。第3に、Y1病院での診察時におけるY2医師の指示により、平成12年1月5日に行われたC病院でのMRI検査の結果、「MRI上、肝の辺縁は不整で、脾腫も認められ、LC(肝硬変)のpatternと思われます。今回MRI上、Advanced HCC(進行した肝細胞癌)の像は確認できません。経過観察してください。」との所見であった。
以上の事実からすれば、Y2医師は、平成12年1月5日に行われたC病院でのMRI検査の結果を確認した以降は、Aの疾患が肝硬変であったことを思い出し、それに対応した経過観察措置をとるべきであった…。
Aについては、平成7年から肝硬変となっていた上、平成11年11月の超音波検査で肝内に占拠性病変が3個発見され、腫瘍マーカー値にも異常値があらわれ、平成12年1月5日に実施したMRI検査においても、進行した肝細胞癌は発見されなかったものの、経過観察の必要性が指摘されていたことからすると、一般の肝硬変患者以上に厳密な経過観察の必要性が生じていたと認められ、Y2医師は、同日以降、少なくとも一般の肝硬変患者の経過観察措置として要求されている腫瘍マーカーであるAFPやPIVKA-Ⅱを1~2か月に1回測定すべき義務及び3か月に1回の超音波検査を施行し、異常所見が認められた場合には、さらにCT検査ないしMRI検査を行うべき義務があった…。
しかしながら、Y2医師は、平成12年1月5日以降なんら画像検査を行っておらず、また、腫瘍マーカー検査もしていない。したがって、Y2医師には、平成12年1月5日以降腫瘍マーカー検査や画像検査を怠った過失がある…。

(2) Yの過失と死亡との因果関係について

本件では、Y2医師が、平成12年1月5日以降に腫瘍マーカー検査及び画像診断検査を実施しなかったという不作為による過失が問題になっているが、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断においては、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の当該不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の当該不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解される。
したがって、本件では、Y2医師が、平成12年1月5日以降に腫瘍マーカー検査及び画像診断検査を実施していれば、平成14年4月18日の死亡が避けられたかにつき検討することになるところ、Aについては、上記各検査を実施することにより、平成12年末の時点で腫瘍径2㎝以内の肝臓癌を発見できたものと認められる。
この平成12年末からAの現実の死亡時までは約1年4月が経過しているところ、第15回全国原発性肝癌追跡調査報告によれば、肝細胞癌に対する肝切除が行われた症例において、腫瘍の個数が1個で腫瘍径2㎝以下であり、臨床病期Ⅰすなわち肝機能が良好なケースにおける2年生存率が94.2%、5年生存率が75.5%である。また、同様の条件で肝細胞癌に対するエタノール注入療法が単独で行われた症例においての2年生存率は93.7%、5年生存率が67.1%である。
以上のデータからすれば、Aに対し、平成12年1月5日以降に肝切除またはエタノール注入療法を行っていれば、Aの現実の死亡時である平成14年4月18日においてAが生存していた高度の蓋然性が認められる…。
したがって、Y2医師の過失とAの死亡との因果関係は認められる。

3 まとめ

 上記事案は、医師が患者に良かれと思って「レセプト病名」を付けて治療等がなされていたところ、その状態が長期間に及ぶうちに、医師自身、その傷病名が「レセプト病名」であることを失念し、本来の傷病名の認識を欠いてしまったために、本来なすべき検査等がなされず、その結果、癌の進行に気づくことができなかった、というものです。
「レセプト病名」は実態のない架空の傷病名ですが、診療録に記載された傷病名が医学的に妥当適切なものであるのか、あるいは、実態のない架空のものであるのか、外観上は区別がつきません。主治医が「レセプト病名」であることを認識・自覚できているうちは、特段の問題は生じないのかもしれませんが、本事案のように、失念してしまう可能性は誰しも否定できないことですし、また、主治医以外の医師が、診療録に記載された情報を基に治療等にあたる場面もあるかもしれません。
診療録の記載は、医師法に定められた医師の義務です。そのこともあって、医師が診療録に事実と異なる記載をするなどということは通常考えられず、その記載された傷病名もまた、そのとおり正しいものであると考えるのが通常です。そのような診療録の性質をも併せ考えれば、実態のない架空の傷病名である「レセプト病名」をつけることは、患者に重大な不利益を及ぼす危険性を孕むものと言わざるを得ず、厳に慎むべきであると考えられます。