No.139/生物学的な性別は男性であるが、女性として私生活を送っていたトランスジェンダーに対し、職場の女性トイレの使用を制約することの違法性が肯定された事例(最高裁令和5年7月11日判決)
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No.139/2023.9.1発行
弁護士 永岡 亜也子
生物学的な性別は男性であるが、女性として私生活を送っていたトランスジェンダーに対し、職場の女性トイレの使用を制約することの違法性が肯定された事例(最高裁令和5年7月11日判決)
(はじめに)
令和5年6月23日、政治的な紆余曲折を経た上で、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法」(いわゆる「LGBT法」又は「LGBT理解増進法」)が公布、施行されました。
この法律は、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解が必ずしも十分でない現状に鑑み、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する施策の推進に関し、基本理念を定め…ることにより、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性を受け入れる精神を涵養し、もって性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に寛容な社会の実現に資すること」を目的としています(第1条)。そして、その基本理念には、「全ての国民が、その性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならないものであるとの認識の下に、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資すること」が掲げられています(第3条)。
事業主は、この基本理念にのっとり、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関するその雇用する労働者の理解の増進に関し、普及啓発、就業環境の整備、相談の機会の確保等を行うことにより性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する当該労働者の理解の増進に自ら努める」必要があります(第6条)。また、「その雇用する労働者に対し、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する理解を深めるための情報の提供、研修の実施、普及啓発、就業環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずるよう努める」ものともされています(第10条2項)。
この法律が公布、施行されて間もなく、最高裁において、生物学的な性別は男性であるが、女性として私生活を送っていた経済産業省職員が、職場の女性トイレを自由に使用させるよう求めたのに対し、これを認めなかった人事院判定の違法性を主張し、その取消し等を求めていた裁判の判決が言い渡されました。どうやら第1審では違法性が肯定されていたようですが、控訴審では違法性が否定され、その判断が分かれていました。
本稿では、その最高裁判決の内容について、ご紹介したいと思います。
1 事案の概要
Xは、生物学的な性別は男性ですが、幼少の頃からこのことに強い違和感を抱いていました。平成10年頃から女性ホルモンの投与を受けるようになり、翌年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受け、平成20年頃から女性として私生活を送るようになりました。Xは、健康上の理由から性別適合手術は受けていませんでしたが、平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていました。
Xは、平成16年5月以降、経済産業省の同一の部署で執務していたところ、平成21年7月、上司に対し、自らの性同一性障害について伝え、同年10月、経済産業省の担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝えました。これを受け、平成22年7月14日、経済産業省において、Xの了承を得て、Xが執務する部署の職員に対し、Xの性同一性障害について説明する会が開かれました。同説明会において、担当職員が、Xが本件庁舎の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、本件執務階の女性トイレを使用することについては、数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えました。そこで、Xが本件執務階の一つ上の階の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、女性職員1名が日常的に当該女性トイレも使用している旨を述べました。これらを踏まえ、経済産業省では、Xに対し、本件庁舎のうち本件執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇を実施することになりました。
Xは、上記説明会の翌週から女性の服装等で勤務し、主に本件執務階から2階離れた階の女性トイレを使用するようになりましたが、それにより他の職員との間でトラブルが生じたことはありませんでした。また、Xは、平成23年6月から、職場において、家庭裁判所の許可を得て変更した名を使用するようになりました。
Xは、平成25年12月27日付で、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をしたところ、人事院は、平成27年5月29日付で、いずれの要求も認められない旨の判定をしました。
そこで、Xは、上記判定の取消し等を求めて提訴しました。
2 裁判所の判断(最高裁令和5年7月11日判決)
本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、Xを含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものである…。
そして、Xは、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けている…。
一方、Xは、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、Xが本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、Xが本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱えた職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、Xによる本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
以上によれば、遅くとも本件判定時においては、Xが本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定しがたく、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、Xに対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかった…。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、Xの不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びにXを含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものと言わざるを得ない。
したがって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となる…。
3 まとめ
(1)上記2記載のとおり、最高裁は、担当裁判官5名の全員一致の意見として、Xの職場の女性トイレの使用を制約した人事院判定の違法性を肯定しました(なお、本判決の判断は、あくまでも「職場のトイレの使用の在り方」についてのものであり、「不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方」にまで及ぶものではありません。)。
また、うち4名の裁判官が別途、補足意見を述べていますが、そこでは、「本件説明会の後、当面の措置としてXの女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかった」とする一方で、「 Xが戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員がXと同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる。」、「経済産業省においては、本件説明会において担当職員に見えたとする女性職員が抱く違和感があったとしても、それが解消されたか否か等について調査を行い、Xに一方的な制約を課していた本件処遇を維持することが正当化できるのかを検討し、必要に応じて見直しをすべき責務があった…。」「仮に経済産業省が当初の女性職員らからの戸惑いに対応するため、激変緩和措置として、暫定的に、執務する部署が存在する階のみの利用を禁止する(その必要性には疑問が残るが、たとえ上下2フロアの女性トイレ利用まで禁止する)としても、いたずらに性別適合手術の実施に固執することなく、施設管理者等として女性職員らの理解を得るための努力を行い、漸次その禁止を軽減・解除するなどの方法も十分にあり得たし、また、行うべきであった。」などと述べられており、本件事案において、経済産業省がなすべきであった具体的な対応方法等の指摘・提言がなされています。
(2)我が国においては、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解はまだなお十分とはいえず、その理解醸成が現在進行形で進められている過渡期にあると思われます。そのため、本件事案のような問題が生じた場合の対応方法等につき、画一的・統一的な取扱いや方針が定まっているものではなく、事業者は、個別事案ごとに、適切妥当な対応方法等を模索・調整していく必要があります。
「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法」や、上記最高裁判決を見ても明らかなとおり、生物学的な性別にかかわらず、各人の性自認は十分に尊重されなければならず、それを理由に不当な差別を行うことは許されません。事業者において、適切妥当な対応方法等を模索・調整する際には、その視点をまず念頭に置いたうえで、必要に応じて研修を開催する等、職場の理解を深める働きかけの工夫もしながら、多様性を尊重する共生社会の実現に向けた努力を行うことが求められます。
(3)なお、上記最高裁判決言い渡し後間もない令和5年7月24日には、保険代理店に勤務していた男性が、上司による性的指向の暴露(アウティング)が原因で精神疾患を発症したとして、令和4年3月に労働基準監督署から労災認定を受けていたことが明らかになりました。労働基準監督署は、「上司のアウティングがパワハラに該当し、強い心理的負荷を与えた」と判断したようです。
令和2年6月1日から適用されている「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(いわゆる「パワハラ防止指針」)には、職場におけるパワーハラスメントに該当する代表的な言動の類型の一つとして、「個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)」が摘示されています。たとえば、「労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露すること」は、パワハラに該当する行為となります。前記指針では、事業者に対し、「機微な個人情報を暴露することのないよう、労働者に周知・啓発する等の措置を講じること」をも求めており、ここにおいても、事業者の責務として、多様性尊重に対する職場の理解を深める努力や工夫を行うことの必要性・重要性が示されています。