No.138/人生の最終段階における医療行為とインフォームド・コンセント(ガイドラインの重要性)(その8)

No.138/2023.8.16発行
弁護士 福﨑博孝

人生の最終段階における医療行為とインフォームド・コンセント(ガイドラインの重要性)(その8)
(第7 いわゆる「ガイドライン」について)

第7 いわゆる「ガイドライン」について

(はじめに)

本章では幾つかの重要なガイドラインを取り扱って、その紹介と説明をしてきました。しかし、‟ガイドラインとは何か”、‟どういう効果があるのか”、‟裁判ではどのように取り扱われるのか”等を知っておかないと、‟なぜ医療者はガイドラインに従うべきなのか”の意味が理解できません。そこでここでは、これらの点に触れながら、特に銘記しておくべきことについて説明をしておきます。

1.ガイドラインとは何か。

人の人生の‟終末期ないしそれに近似した最終段階”における医療行為の意思決定プロセスに関するガイドライン(指針)としては、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(いわゆる「人生の最終段階ガイドライン」)、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」(いわゆる「3学会からの提言」)などがありますが、これらはいずれもいわゆる「診療ガイドライン」といってもいいと思います。そしてその他にも、日本麻酔科学会外による合同委員会の「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」(いわゆる「宗教的輸血拒否ガイドライン」)、日本透析医学会の「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言」(いわゆる「透析の開始と継続に関する提言」)、日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン(人工的水分・栄養補給の導入を中心として)」(いわゆる「人工的水分・栄養補給ガイドライン」)などがあります。 ガイドラインとは、「物事の判断をする道標(みちしるべ)」であり、一般的には「指針」といわれたりします。そして、「診療ガイドライン」とは、「特定の臨床状況において、適切な判断を行うために、医療者と患者を支援する目的で系統的に作成された文書」(米国医学研究所Ins titute of Medicine Medicine)とされており、EBM(Evidence based Medicine Medicine-科学的根拠に基づいた医療)手法に基づいて作成されることになるのが一般的です。もっとも、ここで取り扱う‟人の終末期ないしそれに近似した最終段階における医療行為”に関するガイドラインには、その性質上EBМ手法に基づいたものとはいえないものもあり、「ガイドライン」という呼称を使わずに、「提言」などと称する場合もあります。しかし、学会が多くの会員等のコンセンサスを得て策定した等、その信頼性が肯定できる場合には、一般の診療ガイドラインと同様の取扱いをすることができます。

2.ガイドラインの法的な位置づけ(裁判例)

終末期医療の現場において延命措置等の方針を決定する医師の注意義務の内容を判示した裁判例としては、東京地判平成28年11月17日(【注73】)があります。この裁判例では、「本ガイドライン(筆者注:平成19年に策定された「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」であり、「人生の最終段階ガイドライン」の前の呼称)は法規範性を有するものではないが、終末期医療の方針決定における医師の注意義務を検討する上では参考になる。」とされています。つまり、ガイドライン自体は法規範性(いわば法律と同じ性質)をもつものではありませんが、証拠としては高い証拠価値を有するといっているのです。 すなわち、診療ガイドラインは、「医療水準」を判断するための医学的知見を得る証拠として多くの裁判で利用されています。そして、その多くの裁判所が、「診療ガイドラインでは、専門家が議論し有効性と安全性を検討した上でまとめられ、策定時点における望ましい治療法あるいは標準的治療法を示すものである以上、医療水準を認定する証拠としてその証拠価値は高い」と考えているのです(このように判示する裁判例は多くあります)。 そして、医療訴訟(裁判所)における診療ガイドラインの位置付けは、「(Ⅰ)診療ガイドラインで推奨される医療行為は合理的なものとして評価されることが多く、原則としてそれが医療水準となる、(Ⅱ)しかし、診療ガイドラインはあらゆる症例に適応する絶対的なものとまではいえず、①個々の患者の具体的な症状が診療ガイドラインにおいて前提にされている症状等とは必ずしも一致しない、②患者固有の特殊事情がある等の相応の科学的根拠(合理的な理由)に基づいて、個々の患者の状態に応じた医療行為を選択した場合には、それが診療ガイドラインと異なる医療行為であったとしても、直ちに合理的な行動を逸脱したとは評価できない。(Ⅲ)ただし、診療ガイドラインの内容と異なる医療行為を選択した場合は、‟その医療行為の選択に合理的理由があること”について、それを主張するもの(医師側)に立証責任がある」ということになります。 いずれにしても、ここで取り扱う人生の終末期ないし人生の最終段階における医療行為に関するガイドライン(又は「提言」)も、これら診療ガイドラインと同様のものとして取り扱うことが可能なのです。

【注73】東京地判平成28年11月17日は、終末期の患者について‟延命措置を拒否した家族”及び‟延命措置を実施しなかった病院”の損害賠償責任が否定された事例です。すなわち、Y1病院で入院中に死亡した亡Aの相続人であるXが、同じく相続人であるY2(Xの兄)が延命措置を拒否し、Y1病院がY2の意向に従ってXの意思確認をせずに延命措置をしなかったため、続発した敗血症及び急性腎不全により死亡したと主張し、Y1病院とY2に対して損害の賠償を請求した事案です。 裁判所は、XのY1病院、Y2に対する請求を棄却しましたが、その判決の中で、同じ相続人であるY2(キーパーソン)の責任について、「延命措置を含む終末期医療の在り方については、本件ガイドライン(著者注:平成19年版の厚労省の「終末期医療における意思決定プロセスに関するガイドライン」)において家族の中で意見がまとまらない場合まで想定されていることからも分かるように、同じ患者の家族の中でも様々な意見があり得るところであり、延命措置についてどのような意見を述べるかは基本的に個人の自由であるといえる。したがって、Y2が亡Aの延命措置を拒否したことをもって、それ自体が直ちに違法であると認めることはできない。」、「もっとも、患者の家族のうち医師等からキーパーソンとして対応されている者が、延命措置に関して患者本人や他の家族が自らと異なる意見を持っていることを知りながら、医師等に対してその内容をあえて告げなかったり、容易に連絡が取れる他の家族がいるにもかかわらず、その者の意見をあえて聞かずに、医師等に対して自らの意見を家族の総意として告げなかったりした場合には、患者本人や他の家族の人格権を侵害するものとして、これを違法であると認める余地があり得る。」と判示しています。 また、Y1病院の責任については、「本件ガイドラインによれば、医師は、終末期医療の方針決定において、患者の意思が確認できる場合には患者の意思決定を基本とし、患者の意思が確認できない場合には家族から患者の推定される意思を聴き取り又は家族と十分に話し合うなどして、患者にとっての最善の治療方針を採ることを基本とすることとされている。本件ガイドラインは法規範性を有するものではないが、終末期医療の方針決定における医師の注意義務を検討する上では参考になるものであるから、以下では、本件ガイドラインの場合分けに沿って検討を進める。」、「D医師は、亡Aの終末期医療の方針決定において、Y2を亡Aのキーパーソンであると認識し、Y2の意見を参考にした上で、亡Aについて経鼻酸素吸入は当直時間帯を除いて行わず、心停止に陥っても心肺蘇生行わないことを決定しているところ、医師が患者の家族の全員に対して個別に連絡を取ることが困難な場合もあり、また、延命措置には費用や介護の分担など家族の間で話し合って決めるべき事柄も伴うことからすれば、上記のようにキーパーソンを通じて患者の家族の意見を集約するという方法が不合理であるとは認められず、そのような方法を採ることも医師の裁量の範囲内にあると解される。なお、キーパーソン以外の家族がキーパーソンと異なる意見を持っており、そのことを医師において認識し得た場合には、その者からも個別に意見を聴くことが望ましいといえるが、本件においては、XがD医師やY2に対し延命措置について何らかの具体的な意見を述べた事実は認められないから、D医師がキーパーソンであるY2から延命措置に関する家族の考え方を聴取した当時、XがキーパーソンであるY2と異なる意見をもっており、D医師においてそのことを認識し得たとは認められない。したがって、Y1病院が、Xを含む亡Aの家族との間で十分に話し合って亡Aにとって最善の治療方針を決定すべき注意義務に反したと認めることはできない。」と判示しています。

3.臨床現場で‟診療ガイドラインに従う”ことの意味

診療ガイドラインは、臨床上の診療において「標準的医療」を行うために(「医療水準」を見定める規準として)使われていますが、裁判所にとっても極めて重要な証拠や法規範的な存在となっています。すなわち、臨床医療においても、また、裁判においても、ガイドラインに従った診療がなされる限り、原則として違法という評価はなされないということになり、ここで取り扱う「人生最終段階ガイドライン」や「3学会からの提言」などについても同様に取り扱われ、これに従っている限り原則として違法の問題は生じないということになります(東京地判平成28年11月17日参照)。

4.「人生最終段階ガイドライン」と「3学会からの提言」など他のガイドラインとの関係

人生の最終段階(いわゆる「終末期ないしそれに近似した人生の最終段階」)には、事態の進行度合いにより、「急性型」(救急医療等)、「亜急性型」(末期がん等)、「慢性型」(高齢者、植物状態、認知症等)がある、といわれています。そして、そのいずれについても終末期医療の在り方が議論されており、亜急性型の終末期医療については、厚労省の平成19年5月付「‟終末期医療”の決定プロセスに関するガイドライン」がまず策定され、平成27年3月に「‟人生の最終段階”における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(いわゆる人生の最終段階ガイドライン)と改称されて、平成30年3月に現在のガイドラインに改訂されました。また、急性型の終末期医療についても、日本救急医学会の平成19年11月付「救急医療における終末期医療に関する提言」がまず策定され、その後、平成26年11月に日本救急医療学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会の3学会による「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」(いわゆる3学会からの提言)に改訂され、その指針(ガイドライン)として発表されています。さらには、慢性型については、人工的水分・栄養補給の導入又は中止などについての議論がなされており、日本老年医学会が平成24年6月付で「人工的水分・栄養補給の導入に関するガイドライン」(いわゆる人工的水分・栄養補給ガイドライン)があり、また、透析に関しても令和2年に「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言(いわゆる透析の開始と継続に関する提言)が公にされています。 しかしこれらの中で、人生の最終段階ガイドラインは、亜急性型に限定したものとは考えられておらず、急性型・亜急性型・慢性型での終末期ないしそれと近似した人生の最終段階の‟医療とケア全般についての基本原則”を明らかにしていると考えられてます。したがって、「人生の最終段階ガイドライン」は、「3学会からの提言」やその他のガイドライン(提言)に定められていない事項については、それを補充するものということになります。また、人工的・栄養補給ガイドラインの内容は、同補給措置が典型的な終末期医療にかかわる措置であり、しかも、そのことについての倫理的指針となっていることから、同ガイドライン自体が他の様々の終末期の医療措置に汎用できるものとされています。

5.人生の最終段階の医療・ケアの決定プロセスにおける患者の意思とは?

人生の最終段階ガイドライン(本文)を見る限り、「人生の最終段階における医療・ケア(医療・ケア行為の開始・不開始、その内容の変更、その中止など)においては、‟患者本人の意思決定(自己決定権)を基本”」としながらも、「‟医学的妥当性と適切性”を基に慎重に判断すべきである」(1頁)とされています。 さらには、‟社会的妥当性”も問題にされています。例えば、「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン(人工的水分・栄養補給の導入を中心として)」(いわゆる「人工的水分・栄養補給ガイドライン」)では、この点について、「医療・ケアチームは、合意形成のプロセスにおいて、選択しようとしている方針が、社会的視点でも適切であるかどうかをもチェックする(7頁)。例えば、いくら本人・家族にとって最善の選択肢であっても、それが周囲の人々に社会通念上許容される程度を超えた害を与えるおそれがある場合、それを選ぶことは容認されないであろう(15頁)。」などとしています。 すなわち、 いずれのガイドラインでも、‟患者の意思”が絶対的なものとはされておらず、医療・ケア提供者は、‟患者の意思”であれば何でも無条件に従わなければならないというわけではないのであり、それは‟患者の意思の推定”においても同様であるといえます。つまり、「患者の意思」と、「医学的妥当性・適切性」や「社会的妥当性」との衝突(ぶつかり合い)が生ずることがあり、いずれもが絶対的なものとは言い難く、何らかの方法で折り合いを付けざるを得ないのではないかと思われるのです。

(1)‟医療行為についてのインフォームド・コンセント(IC)”は、これまでの判例・裁判例の積み重ねを見る限り、それを抽象的かつ象徴的に表現するならば、「‟医療者による適切かつ十分で分かり易く丁寧な説明”と、それによってもたらされる‟患者の理解・納得・選択を経た上での同意”」ということになりそうです(私見)。すなわち、「医療者の適切かつ十分で分かり易く丁寧な説明」(いわば‟正しい説明”)によって、「患者・家族等が理解し納得し選択して同意すること」(いわば‟正しく形成された患者の意思”)ということになり、そこには「医療者による客観的で正しい説明の過程」と「患者の主観的意思の正しい形成過程」の2つの側面があります。そして、そのことによって‟正しく形成された患者の意思”に基づいて‟その自己決定権が行使される”ということになるはずです。もちろん、ここでの「正しく」の意味には、当該医療・ケア行為が‟医療倫理に反しないこと”が含まれ、また、‟医療水準を著しく下回るものではないこと”なども含まれることになります(ここに医学的妥当性・適切性、社会的妥当性の考え方が反映されています。)。そして、この点について、人生の最終段階ガイドライン(解説編)では、「医療・ケア行為の開始・不開始、医療・ケア行為の内容の変更、医療・ケア行為の中止等については、最も重要な本人の意思を確認する必要があります。確認にあたっては、適切な情報に基づく本人による意思決定(インフォームド・コンセント)が大切です。」(2頁)としており、そのことを意味するものと思われます。

(2)ここで重要なことは、‟医療者の正しい説明”によって‟正しく形成された患者の主観的意思”は、‟合理性のある患者の意思(合理的意思)”ということになるはずであるという点です。医療・ケア行為には、人の命(いのち)や健康を扱うことから人倫に反してはならない‟医療倫理”が求められ、また、医療水準を下回らないことも求められることになります(【注74】)。すなわち、人倫に反する医療・ケア行為を患者が求めても、医療・ケア提供者はこれを拒絶することになりますし、また、医療水準を著しく下回る医療行為を求められても、それは受け入れられないということもあります。したがって、例えば、いかに患者本人が致死的な薬剤投与などによって死を望んでいようとも(不合理な治療行為を求めていても)、「医療者はその患者本人の不合理な意思(希望)には従えない(不合理な希望を叶えてやることはできない)」ということになるはずなのです(【注75】)。 いずれにしても、救命可能な患者が、救命のための医療・ケア行為を拒否しているときであっても、あるいは、救命のための医療水準を充たした最善の医療・ケア行為を選択してくれないときであっても、患者のその意思が明確である以上、それに反する救命のための合理的な医療・ケア行為を患者に強制することはできません。しかし現実には、少なくとも‟医療者は救命可能な医療(合理的な医療)を受けるように当該患者や家族等を説得すること”になるはずです(話し合いを繰り返し合意形成に努めることとなるはずです。)。そしてそれはまさに、‟患者が自己決定権を行使する最終的な「患者の意思」が合理的なもの(一般的に許容できるもの)でなければならない”ことを前提にしているからではないでしょうか。

【注74】この点について、「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「よりよい人生の最終段階における医療・ケアには、第一に十分な情報と説明(本人の心身の状態や社会的背景に鑑み、受ける医療・ケア、今後の心身の状態の変化の見通し、生活上の留意点等)を得たうえでの本人の決定こそが重要です。ただし、②で述べるように、人生の最終段階における医療・ケアとしての医学的妥当性・適切性が確保される必要のあることは当然です。」(3頁✳注1)と説明しています。そして、上記の②(3頁)においては、「②人生の最終段階における医療・ケアについて、医療・ケア行為の開始・不開始、医療・ケア内容の変更、医療・ケア行為の中止等は、医療・ケアチームによって、‟医学的妥当性と適切性を基に”慎重に判断すべきである。」としているのです。

【注75】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「別途設置される話し合いの場は、あくまでも、本人、家族等、医療・ケアチームの間で、人生の最終段階における医療・ケアのためのプロセスを経ても合意に至らない場合、例外的に必要とされるものです。」(6頁✳注16)としていますが、そもそも、患者本人、家族等、医療・ケアチームの間で合意に至らない場合が想定されていること自体が、医療・ケア提供者は、患者本人や家族等からの不合理な要求には応じられないことを前提としているものと思われます。

(3)「人生の最終段階ガイドライン」によれば、終末期ないしそれに近似する人生の最終段階においては、①「よりよき人生の最終段階における医療・ケアの実現のためには、まず本人の意思が確認できる場合には本人の意思を基本とすべきこと、その際には十分な情報と説明が必要なこと、それが医療・ケアチームによる医学的妥当性・適切性の判断と一致したものであることが望ましく、そのためのプロセスを経ること…が重要だと考えられます。」(解説編4~5頁✳注10)と説明されています。また、②患者の意思が確認できない場合には、(1)(1)‟‟家族等が患者の意思を推定できるときには、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の方針をとることを基本とする”とされていますが、ここでも「患者にとっての最善の方針」を前提としており、いかに患者の意思が推定されるからといって無条件にそれに従うこと(家族等に従うこと)を求めているものでもありません。さらに言えば、(2)(2)‟‟家族等が患者の意思を推定できないときには、患者にとってなにが最善であるかについて家族等と十分に話し合い、患者にとっての最善の方針をとる””とされていますが、このときにも「患者にとっての最善の方針」を前提としているのです(【注76】)。すなわち、「患者にとっての最善の方法」とは、医療・ケアチームが「医療・ケアの妥当性・適切性」を前提として判断するもので、‟通常の患者であれば、救命ために望む治療方針”を意味することが多いと思われ、それが患者の「合理的な意思」ということになるはずです。

【注76】この点について、人生の最終段階ガイドライン(解説編)では、「家族等がいない場合及び家族等が判断せず、決定を医療・ケアチームに委ねる場合には、医療・ケアチームが医療・ケアの妥当性・適切性を判断して、その本人にとって最善の医療・ケアを実施する必要があります。」(5頁✳注14)と説明しています。


(4)確かに、医療・ケア提供者の医療・ケア行為は‟患者の意思”に沿ったものでなければなりません。しかしそれは、「医療としての医学的妥当性・適切性、社会的妥当性をもったものであること」が求められており、少なくとも、医療倫理に反しない合理的な医療行為、医療水準を著しく下回ることのない合理的な医療行為でなければならないということになるはずです。医療・ケア提供者に求められるインフォームド・コンセント(IC)は、このように合理性をもった医療・ケア行為を前提とするものであり、それは、終末期ないしそれに近似した人生の最終段階での医療・ケア行為であろうが、救命のための医療行為であろうが、一般的な医療行為であろうが、いずれも同様であって、ICは‟患者の合理的意思の形成”のために存在すると考えられるのです。 したがって、患者や家族等の意思が‟不合理な医療・ケア行為の選択”(救命を望まない選択など)であり、そして、それが‟人倫に反する選択”、‟医療水準を著しく下回る選択”と考えられる場合には、医療・ケア提供者は‟その患者の意思に従わない”ということもありえます。医療者には、患者・家族等から、人倫に反する医療行為を求められてもそれに従う義務はありません。むしろ逆に、それに盲従して患者・家族等の要請に応ずると医療者がその責めを負うことにもなりかねないのです。 すなわち、医療・ケア提供者は、合理的な医療・ケア行為(救命のための医療・ケア行為)を患者の意思に反して勝手に施すことも許されないのですから(「人工的水分・栄養補給ガイドライン」(7頁)1.101.10でも「本人が嫌がる医療・介護行為を強行することはできない」とされています。)、倫理的に許容されない又は医療水準を著しく下回る不合理な医療・ケア行為を望んでいる患者や家族等を、合理的な選択の方向に導くべく粘り強く説得するしか方法がないということなのです。「人生の最終段階ガイドライン」でいう「(患者、家族等、医療ケアチーム間で)合意に至らなかった場合」、あるいは、「透析の開始と継続に関する提言」(令和2年4月版)でいう「(患者、家族等、医療チーム間で)合意が形成されない場合」とは、このような事態を想定しているのではないでしょうか。そしてそれは、患者が判断能力を失ってしまった場合でも同様であり、‟家族等の意見”と‟医療・ケアチームとの意見”が食い違う場合にも、当事者間においてその合意の形成の努力を続けていかなければならないということになります。 いずれにしても、‟患者の意思”は尊重されなければならないのですが、その‟患者の意思”は、医療者のICによって導かれる「医療の妥当性・適切性(合理性)に則った‟患者にとっての最善の方針”」の影響を受けざるを得ないと考えるべきです。そしてそのことは、‟患者の意思の推定”においても同じことと言わざるを得ないはずですし、また、5つのすべてのガイドラインに共通するものといえます。

6.人生の最終段階の医療・ケア行為の決定プロセスにおける家族等の重要性

「人生の最終段階ガイドライン」では、人生の最終段階の医療・ケア行為の決定プロセスにおいて、「家族等」の存在が重視されています。確かに、医療・ケア行為は、終末期などの人生の最終段階であっても、患者本人の意思の尊重が原則であり、その趣旨を蔑ろにすることはできません。しかしその一方で、近時では、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)やSDМ(シェアード・デシジョン・メーキング)が重視されるようになっていることから、患者本人に判断能力がある段階においても、「家族等」の存在が重要になっているのです。しかもさらに、患者が判断能力を失った時などには、患者の意思を知るために、最も近しい関係にあったと思われる「家族等」にその意見を聴くのが最も妥当かつ適切な方法と考えられることから、「家族等」から患者本人の意思を推定することもあります。
いずれにしても、以下のとおり、終末期ないしそれに近似する人生の最終段階における医療・ケア行為の決定プロセスには、「家族等」が深い関りをもつこととならざるを得ず、このことは他のガイドラインでも同様であり、「家族等」という概念はこれらに共通したものといえます。

(1)医療・ケア行為は、終末期ないしそれに近似する人生の最終段階においても、患者の判断能力が認められる限り、❶❶患者本人の意思を尊重することが原則であり、患者本人の意思は蔑ろにすることはできません。しかし、前述のとおり、近時のインフォームド・コンセント(IC)の手続過程においては、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)やSDM(シェアード・デシジョン・メーキング=協働意思決定・共同意思決定・共有意思決定)が重視されその効果を高めようとしていますが、そこでは「家族等」の患者の意思決定のプロセスへの関与が重視されています。したがって、患者本人がいまだ十分にその意思を表明できる段階においても、「家族等」の存在がより重視されるようになっています。

(2)そして、終末期ないしそれに近似する人生の最終段階においては、患者本人がその意思を明確にすることが不可能な場合が多くなりますが、そのような場合にこそ重要な役割を果たすのが「家族等」ということになります。

ア すなわち、患者本人のいま現在の意思が明らかでない場合には、まず、❷家族等が患者本人の意思を推定することになり、その‟‟患者本人の推定意思”を尊重し、‟患者本人にとっての最善の方針”をとることを基本にすることになります。 例えば、アドバンス・ディレクティブ(AD 事前の指示書)やリビング・ウィル(生きている間に発効する遺言)があれば、それのみによって患者本人の意思を推定できることが多いと思いますが(【注77】)、仮にそれがなくても、‟‟「家族等」が患者本人の意思を推定できる”ということになるのです。

【注77】アドバンス・ディレクティブ(AD)とは、判断能力を失った際に自らに行われる治療やケアに関する意向を‟‟判断能力があるうちに意思表示すること”をいいます。「事前指示」と訳され、これを書面にしたものが「事前指示書」と呼ばれています。アドバンス・ディレクティブで指示した内容は尊重されますが、必ずしも実行されるとは限らないことから、アドバンス・ディレクティブ(事前指示書)の中に、自分に代わって治療やケアの内容について医療者側と話し合ってほしい家族や友人を指名しておくことができます(代理人の指定)。一方、リビングウイルとは、判断能力を失った際に自分に行われる治療やケアに関する意向について判断能力があるうちに表示される意思のことをいいます。しかし、リビングウイルには、アドバンス・ディレクティブと異なり、代理人の指名は含まれていません。

イ 家族等が患者本人の意思を推定できない場合には、❸患者本人にとって何が最善かについて、患者本人に代わる者として「家族等」と十分に話合い、「患者本人にとって最善の方針をとる」ことを基本とすることになります(【注78】)。

【注78】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「本人の意思決定が確認できない場合には家族等の役割がいっそう重要になります。特に、本人が自らの意思を伝えられない状態になった場合に備えて、特定の家族等を自らの意思を推定する者として前もって定め、その者を含めてこれまでの人生観や価値観、どのような生き方や医療・ケアを望むかを含め、日頃から繰り返し話し合っておくことにより、本人の意思が推定しやすくなります。その場合にも、本人が何を望むかを基本とし、それがどうしても分からない場合には、本人の最善の利益が何であるかについて、家族等と医療・ケアチームが十分に話合い、合意を形成することが必要です。」(5頁✳注13)と説明しています。

ウ そしてさらに、❹家族等がいない場合及び家族等が判断を医療・ケアチームに委ねる場合には、患者本人にとっての最善の方針をとることを基本としており、その場合には、医療者は、当該患者本人のために最善の医療を施すことが必要となります。

エ ところで、上記ア、イの‟患者にとっての最善の方針”とは、医学的に妥当かつ適切な「医療の方針」を前提とせざるを得ないと思われますが(「3学会からの提言」では「最善の治療方針」という言葉を使っています。)、その最善の方針を判断する場合にも、「家族等」が重要な役割を果たてします。医療・ケア提供者が‟患者本人にとって何が妥当で適切なのか”、‟患者にとって何が最善の方針なのか”(患者の最善の選択の道筋)を模索する中では、人生において生活を共にし、価値観を共有してきた「家族等」の意見や考え方、過去の事実の認識などが聴取され重視されることとなるのです。

(3)以上のとおり、「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「家族等」の意見・考え方(意思表示)や事実認識が重視されており、そのために「家族等」の定義的なものも明確にしています。 つまり、このガイドラインでは、「家族等」を「本人が信頼を寄せ、人生の最終段階の本人を支える存在であるという趣旨ですから、法的な意味での親族関係のみを意味せず、より広い範囲の人(親しい友人等)を含みますし、複数人存在することも考えられる」(5頁✳注12)と定義づけしているのです。もちろん、血縁関係は重視されないわけではありませんが、過去の生活実態や価値観の共有がより重視され、患者との過去の信頼関係が重要とされています。

(4)いずれにしても、医療・ケア提供者の医療・ケア行為は‟患者の意思”に従ったものでなければなりませんが、それは最終的には、「患者の真意に添った意思」でなければならないはずです。そして、患者が判断能力を失った時に、それを探る術(すべ)の一つが「家族等」の存在であり、そこから聴取した事実や事情であろうと思われます。そのことによって医療・ケア提供者は、「患者の真意に添った意思」を探り当てることが求められるのであり、「家族等によって患者の意思を推定する」とはそういう意味だと思われます。患者へのICは、‟‟当該患者の合理的な意思形成”と、それによる‟‟自己決定権の行使”のために存在しているのであり、患者への直接の説明が不可能になった以上、それを補完するものとしての「家族等」という存在が重要となってくるのです。 しかしそれでもなお、「家族等」の意見や考え方が、そのまま患者の意思として取り扱われるものではないことは銘記しておくべきです。そして最終的には、その医療・ケア行為の決定プロセスでは、「医療としての妥当性・適切性」を前提とした「患者本人のための最善の方針」を考慮した判断が必要であることも認識としておかなければならないのです。その点について、川崎協同病院事件に関する最高裁平成21年12月7日判決では、「家族の要請」があったからといって、そのことのみによって尊厳死や安楽死にあたる医療行為の中止や積極的医療行為が違法でなくなるわけではないことを明確にしています(本シリーズ(その4)【注26】参照)。