No.98/人生最終段階(終末期)における医療と患者・家族(その10)

No.98/2022.9.1発行
弁護士 福﨑博孝

人生最終段階(終末期)における医療と患者・家族(その10)
(4.具体的な症例の検討(事案の検討) 事例⑥)

4.具体的な症例の検討(事案の検討)

(6)事例⑥

人工呼吸器を装着した患者が、救命困難で終末期となったことから、その家族に救命困難で終末期であると説明すると、呼吸器を外してほしいと言われました。呼吸器を外すことは出来ないことを家族に伝えると、「助かるわけではないのに、呼吸器をつけたままでは、本人が可哀そう。本人の尊厳を損ねる」と言われました。テレビで呼吸器を外している事例を特集で見たことがありますが、長崎のような地方で呼吸器を外すことは実際やっているところはあるのですか。その場合、法的な問題にはならなかったのですか。過去に、呼吸器を外して裁判になった事例があったと思いますが、このような問題の最近の状況を知りたい。

【わたしの考え】

1.本件事案と2つの裁判例

本件事案に参考になる裁判例が2つあります(下記のとおり、この2つの事案には最高裁判決もあることからして、いわゆる「判例」と考えて、それなりに尊重をすべきものとも言えそうです。)。一つは東海大学附属病院事件(横浜地裁平成7年3月28日判決。以下「東海大病院事件」といいます。)であり、もう一つは川崎協同病院事件(横浜地裁平成17年3月25日判決、東京高裁平成19年2月28日、最高裁平成21年12月7日判決。以下「協同病院事件」といいます。)ということになります。この2つの裁判例は極めて重要な事件(殺人罪の刑事事件)であり、いわばわが国における尊厳死・安楽死、延命治療・終末期医療、そしてその際のインフォームド・コンセント(以下「IC」といいます。)の在り方が問われた事件ということができます。この2つの裁判例については、臨床の現場で終末期医療に携わることのある方々にも事実関係を知っておいていただいた方がいいと思いますので、少々長くなりますが、以下のとおりご紹介します。

(1)東海大病院事件

本件は、「東海大学医学部助手で医師であった被告人が、多発性骨髄腫という治癒不可能ながんに冒されて同大学付属病院に入院していた男性患者の長男から、『苦しむ姿を見ていられない。』などと言われて治療行為の中止を求められ、迷った末に点滴やフォーリーカテーテル等を外して治療行為を中止したが、その後も、苦しそうな呼吸をしているために、『楽にしてやって欲しい。』などと再三言われたことから、呼吸抑制の作用のある薬剤ホリゾン・セレネースを注射し、なおも苦しそうな息づかいが治まらず、『早く家に連れて帰りたい。』などと言われたことなどから、男性患者に息を引き取らせることを決意し殺意をもって塩化カリウム製剤(KCL)・塩酸ベラバミル製剤(ワラソン)の薬物を同人に注射して死亡させた」という事案です。 そして、この被告人(医師)は、最後の塩化カリウム製剤・塩酸ベラバミル製剤を注射により投与し(以下「塩化カリウム等投与」といいます。)直接死を惹起させたとして殺人罪で起訴されたのです。これに対して、被告人の弁護人側は、患者に息を引き取らせることを要請した長男は殺人教唆罪にあたるのに起訴されてもおらず、被告人のみを起訴したのは公訴権の乱用である、被告人の行為は安楽死に準じたもので可罰違法性ないし実質的違法性がないので「無罪」である等と主張しました。このような本件事案に関し、横浜地方裁判所は、被告人医師に対し、「懲役2年・執行猶予2年」の有罪判決を下しました。 この東海大病院事件横浜地裁判決は、直接的には安楽死の事案とされていますが、尊厳死を含めた終末期医療を考える上で、きわめて重要な判例となっています。本件事案で被告人医師が起訴されたのは、最後の塩化カリウム等投与のために注射をしたという行為であり、いわゆる「積極的安楽死」の成否が問題となっています。また、本件事案では、直接起訴されてはいないものの、被告人医師が薬物を注射する以前に治療行為を中止する措置をとっていることから、‟治療行為の中止、すなわち「尊厳死」”についても検討し、尊厳死が積極的に許容される要件を判示しています。要するに、東海大病院事件横浜地裁判決では、“安楽死”と“尊厳死”が問題とされ、それぞれについて詳細な検討を行い、その許容される要件を明示したのです。

(2)川崎協同病院事件

本件は、「(1)本件患者(当時58歳。以下「患者」という。)は、平成10年11月2日(以下『平成10年』の表記を省略する。)、仕事帰りの自動車内で気管支ぜん息の重積発作を起こし、同日午後7時ころ、心肺停止状態で川崎協同病院に運び込まれた。同人は、救命措置により心肺は蘇生したが、意識は戻らず、人工呼吸器が装着されたまま、集中治療室(ICU)で治療を受けることとなった。患者は、心肺停止時の低酸素血症により、大脳機能のみならず脳幹機能にも重い後遺症が残り、死亡する同月16日までこん睡状態が続いた。(2)被告人は、同病院の医師で、呼吸器内科部長でもあったものであり、11月4日から患者の治療の指揮を執った。患者の血圧、心拍等は安定していたが、気道は炎症を起こし、喀痰からは黄色ブドウ球菌、腸球菌が検出された。被告人は、同日、患者の妻や子らと会い、その際、同人らに対し、患者の意識の回復は難しく植物状態となる可能性が高いことなど、その病状を説明した。(3)その後、患者に自発呼吸が見られたため、11月6日、人工呼吸器が取り外されたが、舌根沈下を防止し、痰を吸引するために、気管内チューブは残された。同月8日、患者の四肢に拘縮傾向が見られるようになり、被告人は、脳の回復は期待できないと判断するとともに、患者の妻や子らに病状を説明し、呼吸状態が悪化した場合にも再び人工呼吸器を付けることはしない旨同人らの了解を得るとともに、気管内チューブについては、これを抜管すると窒息の危険性があることからすぐには抜けないことなどを告げた。(4)被告人は、11月11日、患者の気管内チューブが交換時期であったこともあり、抜管してそのままの状態にできないかを考え、患者の妻が同席するなか、これを抜管してみたが、すぐに患者の呼吸が低下したので、『管が抜けるような状態ではありませんでした。』などと言って、新しいチューブを再挿管した。(5)被告人は、11月12日、患者をICUから一般病棟である南2階病棟の個室へ移し、看護師に酸素供給量と輸液量を減らすよう指示し、急変時に心肺蘇生措置を行わない方針を伝えた。被告人は、同月13日、患者が一般病棟に移ったことなどをその妻らに説明するとともに、同人らに対し、一般病棟に移ると急変する危険性が増すことを説明した上で、急変時に心肺停止蘇生措置を行わないことなどを確認した。(6)患者は、細菌感染症に敗血症を合併した状態であったが、患者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されていない。また、患者自身の終末期における治療の受け方についての考え方は明らかではない。(7)11月16日の午後、被告人は、患者の妻と面会したところ、同人から、『みんなで考えたことなので抜管してほしい。今日の夜に集まるので今日お願いします。』などと言われて、抜管を決意した。同日午後5時30分ころ、患者の妻や子、孫らが本件病室に集まり、午後6時ころ、被告人が准看護師と共に病室に入った。被告人は、家族が集まっていることを確認し、患者の回復をあきらめた家族からの要請に基づき、患者が死亡することを認識しながら、気道確保のために鼻から気管内に挿入されていたチューブを抜き取るとともに、呼吸確保の措置も採らなかった。(8)ところが、予期に反して、患者が身体をのけぞらせるなどして苦もん様呼吸を始めたため、被告人は、鎮静剤のセルシンやドルミカムを静脈注射するなどしたが、これを鎮めることができなかった。そこで、被告人は、同僚医師に助言を求め、その示唆に基づいて筋弛緩剤であるミオブロック3アンプルを静脈注射の方法により投与した。患者の呼吸は、午後7時3分ころに停止し、午後7時11分ころに心臓が停止した。」という事案です。
川崎協同病院事件の東京高裁判決は、被告人に対し「懲役3年・執行猶予5年」の判決が下し、それに対して、被告人が上告しましたが、最高裁はその上告を棄却しています。以上のとおり、この事案も直接的には安楽死の事案ということになりますが、ここでも終末期医療と治療行為、その際におけるIC等が問題とされています。

2.東海大病院事件横浜地裁判決でいう「尊厳死が許される要件」

東海大病院事件横浜地裁判決は、このような治療行為の中止(尊厳死)が許容される要件として次の3つを挙げています。すなわち、逆に言えば、“この3要件が充たされない場合には、その医療行為の中止は違法であり、許されない”ということになります。

① 患者が現在の医学の知識と技術をもってしても治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること(こうした死の回避不可能の状態に至ったか否かは、医学的にも判断に困難を伴うと考えられるので、複数の医師による反復した診断によるのが望ましいこと)。

② 治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在すること(原則要件)。

②´中止を検討する段階で患者の明確な意思表示が存在しないときには、患者の「推定的意思」によることを是認してもよいこと(例外要件)。

③ 治療行為の中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養・水分補給など、疾病を治療するための治療措置及び対症療法である治療措置、さらには生命維持のための治療措置など、すべてが対象となってよいと考えられること。

3.いわゆる‟3学会救急集中治療ガイドライン”

以上の東海大病院事件横浜地裁判決は、その後の臨床医療の実務に重大な影響を及ぼしています(もちろん、川崎協同病院各判決も同様に臨床医療の実務に重大な影響を及ぼしているといえます。)。そして、以下の3学会救急集中治療ガイドラインも、これら判決の内容に沿ったものとなっているのです。 そして、同ガイドラインでは、

(1)「終末期の定義」について、「救急・集中治療における終末期」とは、集中治療室等で治療されている急性重症患者に対し適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと判断される時期である。」と説明しています。

(2)「終末期の判断」については、「救急・集中治療における終末期には様々な状況があり、たとえば、医療チームが慎重かつ客観的に判断を行った結果として以下の①~④のいずれかに相当する場合などである。」として、「①不可逆的な全脳機能不全(脳死判断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合」、「②生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合」、「③その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合」、「④回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合」が挙げられています。

(3)「終末期と判断した後の対応」については、「医療チームは患者、および患者の意思を良く理解している家族や関係者(以下、家族らという)に対して、患者の病状が絶対的に予後不良であり、治療を続けても救命の見込みが全くなく、これ以上の措置は患者にとって最善の治療とはならず、却って患者の尊厳を損なう可能性があることを説明し理解を得る。」等としています。 そしてそのうえで、‟患者の意思は確認できないが推定意思がある場合”には、「その推定意思を尊重することを原則とする。」とされており、また、‟患者の意思が確認できず推定意思も確認できない場合”には、「家族らと十分に話し合い、患者にとって最善の治療方針をとることを基本とする。医療チームは、家族らに現在の状況を繰り返し説明し、医師の決定ができるように支援する。医療チームは家族らに総意としての意思を確認し対応する。」とされています。 また、‟家族らが延命措置の中止を希望する場合”には、「患者にとって最善の対応をするという原則に従い家族らとの協議の結果、延命措置を減量、または終了する方法について選択する。」としています。なお、この点については、「患者や家族らの意思は揺れ動くことがまれではないため、その変化に適切かつ真摯に対応することも求められる。医療チームで判断できない場合には、施設倫理委員会(臨床倫理委員会など)にて、判断の妥当性を検討することも勧められる。」ともされています。

(4)なお、「延命措置についての選択肢」については、「一連の過程において、すでに装着された生命維持装置や投与中の薬剤などへの対応として、①現在の治療を維持する(新たな治療は差し控える)、②現在の治療を減量する(すべて減量する、または一部を減量あるいは終了する)、③現在の治療を終了する(すべてを終了する)、④上記のいずれかを条件付きで選択するなどが考えられる。」とされ、さらには、「延命措置を減量、または終了する場合の実際の対応としては、例えば以下のような選択肢がある。」として、「人工呼吸器などの生命維持装置の終了」が挙げられています。そして、「このような方法は、短時間で心停止となることもあるため状況に応じて家族らの立ち合いの下に行う。」とされています。

4.本件事案について

実際の上記裁判例の事案をみると、殺人罪で起訴された行為(これを訴因といいます。)は、「人工呼吸器を終了したこと」ではなく、人工呼吸器を外したにもかかわらずその後も苦しいそうにしていたことから、死に至らせることを目的として「致死量の薬剤を投与したこと」が殺人行為として捉えられています。すなわち、医師の尊厳死的な対応をとろうとした(人工呼吸器を外そうとした)ところ、予想に反して患者が苦しみ出したことから、やむを得ず「致死量の薬剤を投与して」死に至らしめた(安楽死)という事案なのです。 また、上記ガイドラインをみても、人工呼吸器を外す(終了させる)こと自体は許されないこととまではされておらず、時と場合によっては人工呼吸器を終了させること(外すこと)が可能であるとされているようです。そのことは、上記3(4)において、延命措置の選択肢に「現在の治療を終了する(すべてを終了する)」が挙げられ、その「実際の対応」として「人工呼吸器などの生命維持装置を終了する」とされていることからも明らかです。しかし、このような対応(人工呼吸器を外す、終了させる)については、直接的には人の生命を消失させることにつながることから、終末期といえるかどうかの判断など相当に慎重な対応が求められるのです(「家族らの立ち合いの下に行う」とは、そのような意味なのです。)。

いずれにしても、上記裁判例の事例では、医師が単独で治療中止の判断を行っており、人工呼吸装置を中止するとすぐに患者は息を引き取るものと安易に考えていたふしもあります。すなわち、その後の致死的な薬剤の投与は想定外だったのではないでしょうか。上記ガイドラインでは、終末期の医療行為の意思決定を医療チームの総意として判断し、判断が困難な時には「臨床倫理委員会」に議を上程する等とされており、慎重にも慎重な対応を求めています。 したがって、本件事例においても、上記ガイドラインに添って、まずは終末期と言えるか否かの慎重な判断が不可欠であり、終末期という判断をしたうえでの治療の中止の方法を検討する必要があります。そして、それによって息を引き取らなかった時の対処方法なども十分に検討し、その詳細を家族に説明して(十分なICの実施)、これらのことを医療チームの総意として進めていくことになります。そして、さらに言えば、上記のとおり、これらのことについて、同病院の臨床倫理委員会などで審議してもらうことも考えるべきなのだろうと考えます。 要するに、人工呼吸器などを外すという「生命医師装置の終了」という行為を行うのは、そう容易なことではなく、組織としての病院側(医療チーム、倫理委員会など)と家族との考え方が一致し、しかも、終末期という要件、延命の選択肢の要件などをクリアしながら事を進めていく必要があるということなのです。