No.99/入院患者は、いかなる場合に転院・退院義務を負うことになるのか (その2)

No.99/2022.9.15発行
弁護士 永岡 亜也子

入院患者は、いかなる場合に転院・退院義務を負うことになるのか (その2)
~ 入院患者の退去義務を認めた裁判例(東京地裁令和元年10月31日判決)について ~

1.はじめに

臨床医療法務だよりNo.97で、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知の内容をご紹介しましたが、同通知が発出される約2か月前に、東京地裁において、入院患者の退去義務を認めた裁判例が言い渡されています。 そこで、本稿では、東京地裁令和元年10月31日判決の内容について、ご紹介をしたいと思います。

2.東京地裁令和元年10月31日判決

(1)事案の概要

原告病院は合計512床の病床を有していたところ、うち184床は高度急性期、残り328床は急性期病床でした。 被告は、原告病院において頚椎症性脊髄症と診断され、頸椎前方固定術を受けることになりました。平成28年3月17日までに原告病院との間で同手術を受けるための入院診療契約を締結して、同日、その手術を受けました。同手術終了後、病室に帰室して間もなく、被告は、痰貯留により急変して呼吸停止となりました。その結果、被告は低酸素脳症による遷延性意識障害を来し、平成29年9月12日、後見開始の審判を受けるに至りました。 被告の家族は、同年4月18日、原告病院に対し、上記結果が医療事故によるものであるとして、損害賠償金合計1億3043万円余りを請求しました。これを受け、原告病院は、同月21日、被告の家族に対し、原告病院の過失等を主張され、非常に高額な損害賠償請求をされている状況では、原告病院医師らが被告に対して冷静かつ客観的な診療を継続することは困難であるとして、被告の転院を申し入れました。また、同年8月10日にも再び、信頼関係が既に崩れていることや被告が既に急性期の症状を脱していることを理由に、被告の転院を申し入れましたが、被告の家族は転院に応じませんでした。 そこで、原告病院は、被告に対し、所有権に基づく目的物返還請求として、病室を明け渡して原告病院建物から退去することを求めるとともに、不法行為に基づく損害賠償請求として、退院を請求した日の翌日から明渡済みまでの病室使用相当損害金の支払を求める訴訟を提起しました。

(2)裁判所の判断

ア 退去義務の有無について

本件入院診療契約は、病院の入院患者用施設を利用して、患者の病状が通院可能な程度にまで回復するように治療に努めることを目的とした私法上の契約であり、…患者の病状が通院可能な程度にまで回復した場合には目的の達成により終了し、患者は病室から退去する義務を負うと解されるところ、他方、目的を達成するために行われた治療が功を奏さず、患者が上記の程度にまで回復することがなく、引き続き何らかの医療行為又は処置が必要とされる状態に陥った場合、本件病院において患者の病状の安定に努めるべく医療行為を施すべきことはもちろんであるが、急性期を脱してその病状が長期にわたって安定し、回復期機能又は慢性期機能を有する病院においても同様の医療行為を行うことができる状態になった後もなお急性期機能を有する本件病院が永続的に患者の入院を引き受けて医療行為等を行い続けることは、前記医療法6条の2第3項、30条の13第1項等で病床の機能を分化させ、その機能に応じ、患者にも適切な選択を求めた趣旨にも適合しないし、そのように解すべき積極的な理由も直ちに見当たらない。そうすると、上記のような場合に診療契約が終了して患者が病室から退去する義務を負うか否かは、患者の入院中に行われた医療行為の内容、現在の患者の病状及びその安定性、今後患者に必要とされる処置の内容、当該処置を実施することができる代替機関の有無等を総合的に考慮した上で判断することが相当というべきである。 これを本件についてみると、…被告は、頚椎症性脊髄症に対する頸椎前方固定術を受けるために、原告との間において本件入院診療契約を締結して上記手術を受けたところ、同手術後に低酸素脳症による遷延性意識障害となって入院を継続する状態に陥ったものであるが、本件病院の医師は、被告がそのような状態になった後、気管切開による挿管や胃瘻造設等を行って自発呼吸や経管栄養ルートを確保するとともに、現在に至るまで被告の状態が悪化することのないように医療的処置を施し続けており、今後、被告の病態からして意識が回復する見込みが低いといわざるを得ないものの、遅くとも原告が被告に本件病室の明渡しを求めた平成29年8月10日までには被告において積極的な治療行為を要する状態にはなく、急性期を脱して長期間安定した状態にあり、日常的に必要とされる処置は、糖尿病に対する血糖管理や痰吸引、胃瘻からの栄養剤の投与というものであって、これらは必ずしも本件病院でなくとも行うことが可能であるし、原告は、これらの処置を行うことのできる他の転院先を紹介する旨申し出ているところである。 そして、本件病院の病床機能は、いずれも高度急性期又は急性期とされており、病床の稼働率も高く、常に満床に近い状況にあることは上記認定のとおりであって、積極的な治療を要する患者のために本件病室を使用することが望ましいという事情もある。 以上を総合的に考慮すれば、原告と被告との間における本件入院診療契約は、遅くとも、被告の病状が急性期を脱して長期にわたり安定的に推移する状態となり、かつ、原告が被告に対して本件病室の明渡しを求めるに至った平成29年8月10日までには終了したと認めるべきであり、これによれば、被告は、その翌日である同月11日以降、本件病室を明け渡して本件建物から退去する義務を負うに至ったというべきである。

イ 応召義務との関係について

被告の病状が長期にわたって安定した状態にあることは上記認定のとおりであり、急変する具体的な危険性があることを認めるに足りる証拠はないし、原告は、被告の家族に対し、急性期を脱して安定した状態にある被告の処置を行うことが可能な転院先を紹介する旨申し出ていることは上記認定のとおりであって、正当な理由なく診察を拒否しているとはいえない…。

ウ 不法行為に基づく損害賠償請求権の成否について

本件入院診療契約は、平成29年8月10日に終了しており、同月11日以降の被告の本件病室の占有には理由がないところ、…本件病室の個室使用料は、1日当たり5400円であることからすると、上記被告の占有による原告の損害は1日当たり5400円が相当である。

3.おわりに

本事案は、高度急性期・急性期病院に入院中の患者が、既に急性期を脱しているにもかかわらず、病院からの転院要請に応じようとしないというものです(実際には、本件患者は遷延性意識障害の状態にあるため、患者家族が転院を拒否しているというものです。)。 これに対して、裁判所は、‶原告病院が高度急性期・急性期病院であること”を前提に、入院診療の結果、患者が通院可能な程度にまで回復しなかった場合でも、‶同患者が急性期を脱してその病状が長期にわたって安定し、他の代替機関においても同様の医療行為を行うことができる状態になったとき”には、‶当該入院診療契約は終了”となり、患者に退去義務が生じ得ることを認めました。 実は、当事務所でも現に1件、同様の事案を受任しており、患者家族を相手取って損害賠償請求等訴訟を提起しています。その事案では、患者家族による病院看護師に対するハラスメント言動もあったため、同家族に対して病院内への立入を禁止する措置をとっていたところ、同家族から面会妨害禁止の仮処分が申し立てられてもいました。こちらについては既に最高裁判所の判断まで得られており、同家族の請求は一切認められずに終わっています。
本事案では、患者本人を相手取り、病院からの退去を求めていますが、当事務所で受任中の事案では、患者家族を相手取り、患者の転院・退院に協力せずに患者を病院に不法に居座らせ続けていることの違法性を主張しています。仮に患者本人の退去義務が認められたとしても、患者家族が転院・退院に協力しない限り、実際にはその転院・退院を実現させることは困難であると考えたためです。 入院診療の場合には、患者本人の状態等によっては、患者本人の代わりに家族に診療内容等の選択・判断(代諾)をしてもらわなければならない場面も想定されます。あるいは、そこまでには至らずとも、入院診療においては特に、患者家族のサポート・支援が少なからず必要となります。だからこそ、病院では通常、入院診療契約締結時に身元保証人を求めたり、キーパーソンを定める等しているのであり、入院診療において患者家族の果たす役割は非常に大きいものがあります。 患者本人に診療協力義務が認められることは、既に裁判例でも肯定されているところですが、その理由は、医療行為が医師と患者の信頼関係・協同関係を基礎に行われるものであるからです。しかしながら、信頼関係・協同関係という点でいえば、患者本人にとどまらず、患者をサポート・支援すべき患者家族にも同じことがいえるはずです。したがって、患者本人にとどまらず、患者をサポート・支援すべき患者家族にも、診療協力義務が認められるはずだと考えます。そして、診療協力義務の中には、医師の医学上の指示に従い患者の転院・退院に協力する義務も含まれるはずです。 この事案は、まだなお係属中のものであり、裁判所の判断が示されるのはこれからです。果たして裁判所がどのような判断を示すのか、その判断に注目したいと思います。 なお、臨床医療法務だよりNo.97でご紹介したとおり、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知は、「医学的に入院の継続が必要ない場合には、通院治療等で対応すれば足りるため、退院させることは正当化される。医療機関相互の機能分化・連携を踏まえ、地域全体で患者ごとに適正な医療を提供する観点から、病状に応じて大学病院等の高度な医療機関から地域の医療機関を紹介、転院を依頼・実施すること等も原則として正当化される」としており、入院患者の病状等を前提にした医学的に適切な転院・退院要請は、応招義務に何ら反するものではありません。