No.96/人生最終段階(終末期)における医療と患者・家族(その9)
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No.96/2022.8.16発行
弁護士 福﨑博孝
人生最終段階(終末期)における医療と患者・家族(その9)
(4.具体的な症例の検討(事案の検討) 事例⑤)
4.具体的な症例の検討(事案の検討)
(5)事例⑤
(比較的軽症の認知症患者への‟がんの告知”)
80歳男性(患者さん)がクリニックを受診し、CTより骨盤内腫瘤ありと診断受け、検査加療目的で当院へ入院しました。当時は手術を予定していたが、がんの進行が早く根治術や化学療法を行える状態ではないため、保存的治療となりました。患者さん本人は「認知症」と診断されてはいますが、ADL(日常生活活動)が自立とされており、意識レベルはクリアで通常の会話は可能な状態です。 入院時より腹部の腫瘍は触知でき、疼痛の訴えがあります。家族の希望で、患者さん本人へ告知はしてないため、「ここのぼこぼこしたのがきになる。触ったら痛いし、便は出来るのに…」等と話す患者さんに対し、腫瘤であることやその腫瘤に対する直接的な治療をしていないことについて説明をしていませんでした。 医師から患者さんへは、がん告知をしないままでの説明が行われ、今後は他病院へ転院してもらい、患者さん本人へ告知をしないままで緩和ケアを行うこととなりました。 私たち医療者は、‟本当のことを説明してあげたい思い”と、‟患者本人が疾患と向き合おうとしている姿”を見て、ジレンマを感じました。どうしたらよかったのでしょうか。
【わたしの考え】
1.本件事案は、終末期の医療行為の選択の問題とも言えないことはありませんが、直接的には、「インフォームド・コンセント(以下「IC)としての‟がん告知”がどうあるべきか」、「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援はどうあるべきか」等という問題という問題が提起されているようなきがします。
まずは、わたしたちは‟ICは誰のためにあるのか”という点を考える必要があります。ICは、「病気と闘う患者さん本人の自己決定に資するためにある(患者さんのためにある)」のであり、決して医療者のためにあるわけでもないし、また、家族等のためにあるわけでもありません。確かに、終末期の医療行為の意思決定プロセスにおいては、患者さん本人の判断能力が認められない場合においては、「家族等」の意見や考え方が極めて重視されています(家族等による患者本人の意思の推定、または、最善の医療のための家族等の考え方の聴取)。
しかしそれは、家族等が‟患者に代わって「代理」で判断している”というわけではないのです。家族の代理判断はあくまでも‟家族等の判断”であって、本来患者さん本人にしか自己決定権がない身体・生命への対処又は処分については、すべてを家族等の判断にゆだねてしまうことなどできるはずもありません。一般的には、判断能力の全くない嬰児・幼児などの場合を除いて、患者さん本人の自己決定権を家族にゆだねてしまう等ということは許されないはずです。あくまでも患者さん本人の意思を推定するための資料として‟家族等の意見や考え方”を聴くにすぎないのです。 また、患者さん本人の意思の推定ができない場合には、医療者は患者のために最善の医療を施すことになりますが、その判断の資料の1つとして‟家族等の意見や考え方”が重視されることがあります。しかしそれでも、重要なのは「患者本人の意思と判断」であって、ICは、患者の自己決定権を実現するために存在しているのです。
2.ところで、ICについては、一時期、「説明と同意」などと日本語に訳されていましたが、近時では日本語訳がなく(厚労省などはICの概念が複雑であることから、ICの日本語訳を断念しているようです。)、「インフォームド・コンセント」という言葉をそのまま使っています。しかしICについて、わが国の医療者の多くは、それを‟理解しているようで、十分な理解がなされていない状況にある”のではないでしょうか。日本語訳があればそれなりの意味が理解できるのでしょうが、「インフォームド・コンセント」という言葉を外来語としてそのまま使っていることから、その意味の十分な理解が浸透していないようにも思えます。
しかし結局、ICとは、わが国の判例や裁判例を見る限り、「医療者による適切かつ十分で分かり易く丁寧な説明と、それによってもたらされる患者家族の理解・納得・選択を経た上でなされる同意」と訳するのが最も穏当なところだと考えます。医療者がそこまでの説明をしないと、患者の自己決定権の行使などおぼつかない、という意味では、この程度の十分な説明が必要であるということになります。
3.では、本件事案においてはいかがでしょうか。ICが患者の自己決定権を保障するものであること、自己決定権が保障されなければ、患者にとっての最も適切・妥当な医療の選択などできるものではないことを考えると、‟患者さん本人の意思の尊重”こそが最も重要なことだと思われます。本件患者さんは認知症のようですが、‟ADLが自立であり意識レベルもクリアであり通常の会話も可能”というのですから、まったく判断能力がないとまでは言えないようです。 このような場合には、患者さん本人に直接ICを試みてもそれなりの判断が可能と考えられますから、医療者側はもう少し踏み込んで、当該患者さん本人に直接説明をする方向で‟家族等と協議を重ねる必要”があると思われます。それこそ、さらに踏み込んで家族等を説得することも必要となる場合もあります。この点について、「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」(厚労省平成30年6月)が参考になります。そこでは、「意思決定支援プロセスにおける家族」として、「家族も本人(認知症の人)の意思決定支援者である。」とし、さらに、「家族も、本人が自発的に意思を形成・表明できるように接し、その意思を尊重する姿勢を持つことが重要である。しかしその一方で、その本人の意思と家族の意思が対立する場合もある。こうした場合、その家族としての悩みや対立の理由・原因を確認した上で、提供可能な社会資源等について調査検討し、そのような資源を提供しても、本人の意思を尊重することができないかを検討する。」(8頁)などとしています。
4.要するに、本件患者さんの自己決定権の問題であることを前提として、‟本件患者さんの性格や考え方やその人生”、‟本件患者さんの自然な死の迎え方とは何か”等のさまざまのことを医療者と家族らが話し合い協議を重ね、可能な限り判断能力のみられる本件患者さん本人にICを試みる方向で結論を出すべきなのではないでしょうか。もちろん、本件患者さんが本当のこと(がんの末期であること)を知った時のショック、その精神状態への対応なども含めて話し合い協議を行うことが必要不可欠であると考えますが、いかがでしょうか。
ただし、ここまでのこと(家族を説得して患者さん本人にがん告知をすること)を医療側が行う以上は、患者さん本人に直接告知をした場合の患者さん本人の精神的なショックを考慮し、家族等とも十分協議しながら、身体面はもちろんのこと精神面でのサポートを十分に行う必要があることも当然のことです。
いずれにしても、本件事案のように、自らが‟がん”であることにうすうす気づいている可能性のある患者さんに対し、蛇の生殺しみたいなことは極力避けるべきだろうと思います。‟がん”を告知されて自殺しかねないような精神状態の患者さんに対しては、それなりの対応が必要となるでしょうが、今では(昔のように)‟患者さんにがんであることを何が何でも隠す(患者さん本人には胃がんであることを告知せずに、胃潰瘍で押し通す)”などというようなことはあまりみられなくなっています。
とにかく、本件患者さん本人に対する‟がん告知”の可否を、家族等と十分に話し合い、結論が出ない時には、それこそ当該施設の‟倫理委員会”などでも協議してもらい、適切妥当な方針を打ち出すしかないと思われます。このような微妙でセンシティブな倫理的判断を医師などの一個人にまかせてしまうことをせずに、病院全体の問題とするために倫理委員会で議論して結論を出し、家族等との協議を粘り強く行っていく必要がありそうな気がします。