No.95/がんの病名告知と説明義務(平成14年9月24日最高裁判決)

No.95/2022.8.16発行
弁護士 増﨑 勇太

がんの病名告知と説明義務

(平成14年9月24日最高裁判決)

第1 はじめに

末期がんをはじめとする難治性の病気について、患者や患者家族に病名告知を行うかは古くから医師の説明義務の問題として論じられてきました。

かつては患者にがんの病名告知を行わないことも少なくなかったようですが、インフォームドコンセントの概念が広く普及するに伴い、病名告知が行われる例が多くなってきたようです。国立がん研究センターが公表している「院内がん登録全国集計」では、2016年版よりがんの病名告知の有無が集計されていますが、2020年版の調査結果によると、初回治療開始時点でがんの病名告知がされていない事例は全体の3%にすぎません。もっとも、集計対象を小児がん病院のみに限る場合、69.8%の事例で初回治療開始時点での病名告知がされておらず、患者の特性等に応じて病名告知の有無が判断されていることがうかがわれます。

本稿では、患者やその家族に癌の病名告知がされなかったことについて、病院側の損害賠償責任を認めた判例をご紹介いたします。病名告知の在り方について改めて考える契機としていただければ幸いです。

第2 平成14年9月24日最高裁判決

1.事案の概要

Y病院のA医師は、平成2年11月、患者Bさん(大正2年生)が多発性の末期癌に罹患しており、救命、延命のための有効な治療方法がなく、余命は長くて1年程度であると診断しました。しかしながら、A医師は、患者Bさん本人に末期癌であることを告知するのは適当でないと考え、Bさんには「前からある胸部の病気が進行している。」とだけ説明をしていました。 A医師は、Bさんの家族に病状の説明をする必要があると考えていたものの、異動によりBさんの担当から外れる予定であったことから、カルテに患者家族への説明が必要である旨を記載したのみで、自ら患者家族への説明はしませんでした。また、Bさんに対しては通院に家族を同伴するように1度勧めたのみで、家族関係について具体的に確認することもありませんでした。 Bさんの担当医師が他の医師に変更となった後も、Bさん本人に末期癌である旨の説明はされず、Bさんの家族に接触が図られることもありませんでした。 その後Bさんは胸部の痛みが治まらないことから別病院の整形外科を受診し、同病院の医師からBさんの子に対してBさんが末期癌である旨の告知がされました。なお、Bさんに対する病名告知はされず、Bさんは自身が末期癌である旨の説明を受けないまま亡くなりました。 Bさんの死後、Bさんの遺族(妻および子ら)からY病院に対し、Bさんが末期癌であることを本人及び家族に告知しなかったことによって精神的苦痛を被ったと主張して損害賠償請求訴訟が提起されました。

2.裁判所の判断

最高裁は、医師は、診療上の義務として、患者に対し診断結果や治療方針等の説明をする義務を負うとしました。さらに、患者が末期的疾患に罹患し余命が限られており、医師が患者本人にその旨を告知すべきでないと判断した場合は、少なくとも患者家族等のうち連絡が容易なものに対しては接触し、当該家族に対する告知の適否を検討したうえで、告知が適当と判断した場合は診断結果等を説明すべき義務を負うと判断しました。
そして、本件の場合、A医師らはBさんの家族に容易に連絡を取ることができたにもかかわらず接触しようとせず、家族への告知の適否を検討しなかったのであって、このような対応は余命が限られている末期がん患者に対する対応として不十分であり、患者家族に対して病状等を告知すべき義務に違反するとして、合計120万円の損害賠償請求を容認した原審判決を維持(上告棄却)しました。

3.解説

(1)患者本人及び家族への告知の判断について

本判決は、がんの告知について医師に一定の裁量があることを前提としつつ、告知の適否を検討するために患者家族と接触するなど告知に向けた努力をすべき義務を認めた判決です。

本判決には、裁判官1名が反対意見を述べています。同反対意見では、厚生省・日本医師会が発行した「がん末期医療に関するケアのマニュアル」において、末期がんの告知の際に考慮すべき事情として①告知の目的がはっきりしていること、②患者・家族に受容能力があること、③医師及びその他の医療従事者と患者・家族の関係が良いこと、④告知後の患者の精神的ケア、支援ができることの4点が掲げられていることを指摘し、これらの基準を斟酌して平成2,3年当時の医療機関側が負うべき注意義務をさらに検討すべきとしています。

確かに、「がん末期医療に関するケアのマニュアル」が掲げる4基準はがん告知の重要な指針であり、現在においても重視されるべきです。ただし、冒頭で指摘したとおり、現在はがんの病名告知をする事例が圧倒的多数になっています。そのことに照らせば、現在において本人に病名告知をしない判断をする場合、上記4基準に照らして相当程度説得的な理由が必要になると考えられます。仮に本件が現在発生した事案であれば、患者本人に告知しなかったこと自体が問題視されていたかもしれません。

なお、患者に病名告知をしない場合、患者が自身の病状を誤解し、適切な治療を受ける機会を失わせる恐れがあります。本件においても、患者は入院を勧められたのに対して入院を拒むなどしているようです。本人に病名告知をしない場合、患者が適切な治療を受ける機会を逸することがないよう、患者家族に病状説明をして患者を監督させたり、医師が患者の受診状況を注視するなど、適切な対応が必要です。

(2)終末期医療の意思決定における病院の体制づくりの必要性

本件の場合、患者の唯一の同居家族である妻は病身であり、患者の通院に付き添うことに障害があったという事情もあるようです。医師ら(特にA医師から患者Bさんを引き継いだばかりの後任の医師)が患者家族に接触を取らないままになってしまったのは、医師から患者家族に直接連絡を取ることへの躊躇もあったのかもしれません。

この点、本判決は、「末期がんの患者を担当する医師は、本人にがんである旨を告知すべきでないと判断した以上、患者家族に関する情報を収集し、必要であれば患者家族と直接接触するなどして速やかに家族に対する告知を判断すべきであった」としています。しかしながら、医師が自ら患者の家族情報等を収集し、誰に告知を行うのが適当か判断するのは容易ではないとも思われます。 厚生労働省が発表している「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、終末期医療及びケアの方針決定について、多専門職種の医療従事者から構成される医療・ケアチームの関与が推奨されています。終末期医療の問題を単に患者と医師の間のみの問題ととらえず、病院側の医療・ケアチームと患者家族の協力のもとで患者にとって最善の方針を見出すことができるような体制を病院において構築していくことが肝要です。

(3)個人情報保護法との関係について

なお、厚生労働省及び個人情報保護委員会が公表している「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取り扱いのためのガイダンス」では、家族への病状説明は患者への医療の提供に必要な利用目的に該当し、個人情報の目的外利用に当たらないものの、あらかじめ本人の同意を得ることが望ましいとされています。家族への病状説明が直ちに個人情報保護法に抵触することは考え難いとしても、本人に無断で家族への病状説明を行い、患者との信頼関係を壊すことにならないよう注意が必要です。