No.91/おやつの形状を確認すべき刑法上の義務は認められるか?(特養あずみの里事件)
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No.91/2022.7.15発行
弁護士 川島 陽介
おやつの形状を確認すべき刑法上の義務は認められるか?(特養あずみの里事件)
-長野地裁松本支部H31.3.25判決、東京高裁R2.7.28判決-
1.はじめに
この臨床医療法務だよりでは、特別養護老人ホームにおいて准看護師が提供したおやつ(ドーナツ)が原因となって施設の利用者が亡くなったとされた案件(※死因については争いがあります。)について、施設の職員である准看護師Xが業務上過失致死罪に当たるとして起訴された刑事裁判について紹介させていただきます。取り上げるのは「特養あずみの里事件」の名称で、広くマスコミ報道がされた事件です。
2.事案の概要
本件は、 特別養護老人ホームである「あずみの里」(以下「本件施設」といいます。)において、利用者に提供された「ドーナツ」が原因となって起こったとされた事件です。この日、利用者の間食として、利用者の状況に応じ、ゼリー系のものとして「ゼリー」、常菜系のものとして「ドーナツ」(直径約7㎝、厚さ約3㎝)が提供されました。本件施設では、介助の主体は介護士が担っており、准看護師Xは、介護士Aから頼まれて、一人で各利用者のテーブル9台を回り、間食の配膳を行いました。本件施設では、間食に食札等を利用しておらず、配膳する者の記憶によってのみ対応していました。本件施設の利用者であったY(85歳)は、自歯・義歯がなく、嚥下障害はないものの、認知症等の影響で食物を小分けにすることなく丸飲みにしてしまう傾向があったため、少し前から、提供される間食はゼリー系に変更されることとなっていましたが、介護士Aから准看護師Xにこのことが伝えられることはなく、准看護師XはYにドーナツを提供しました。准看護師Xは、配膳後、Yと食事の全介助が必要である他の利用者Zとの間に座り(Yに背を向ける形で座り)、Zの食事介助をしました。介護士BがYの異常に気付き、駆け寄ったところYの意識はありませんでした。准看護師Xは、介護士Bの言動でYの異変に気付き、窒息を疑って、他の職員とともにYの救命処置等を行いましたが、搬送先の病院で死亡するに至りました。Yの死因は死亡診断書によると「直接死因 低酸素脳症 原因 来院時心肺停止」とされており、その原因はドーナツを提供した准看護師Xにあるとして、准看護師Xは業務上過失致死罪で起訴されるに至りました。
検察官は、准看護師Xは、❶Yがドーナツを摂取する際にこれを注視して窒息を防止する義務に違反した過失、または、❷配膳する際に、入居者に提供する間食の形態を確認して窒息事故等を防止すべき義務に違反して誤ってドーナツを配膳した過失があると主張し、業務上過失致死罪に該当するとしましたが、准看護師X及び弁護人は、過失の存在を争い「無罪」を主張しました(死因についても争いがありましたが、この点は割愛します。)。
3.裁判所の判断
(1)第一審
第1審である長野地方裁判所松本支部は、検察官が主張した上記❶の過失については認めなかったものの、❷の過失について、准看護師Xは、利用者に間食の形態を誤った場合、特にゼリー系を配膳することとされている利用者に常菜系を提供した場合には、誤嚥・窒息等により、利用者に死亡の結果が生じることは十分に予見できることから、各利用者に提供すべき間食の形態を確認したうえ(間食形態確認義務)、これに応じた形態の間食を利用者に配膳して提供し(ドーナツ提供回避義務)、窒息等の事故を未然に防止すべき業務上の注意義務を負うが、これらを怠ったとし、罰金20万円の有罪判決を言い渡しました。
(2)控訴審
これに対し、控訴審である東京高裁は、「間食の形態を確認しなかったことを業務上過失致死罪における過失とするためには、遅くとも被害者に本件ドーナツを提供するまでの間に本件ドーナツによって被害者が窒息することの危険性ないしこれによって死亡する結果についての具体的予見可能性がどのような内容、程度であったかを十分に検討する必要がある」として、以下の理由から、准看護師Xに過失は認められないとして「無罪」を言い渡しました。
ア 間食の形態を確認することが准看護師Xの職務上の義務であったか
Yの間食の変更が記載されていた「申し送り・利用者チェック表」は、介護職間の情報共有のためのものであり、そこに記載される事項全てが看護師において把握しておく必要があるものではないこと、本件施設において、日勤の看護師に対し、過去の日付の同表を確認するよう求める業務上の指示がなされたり、日勤看護師がそのような確認を実際に行っていたと認めるに足りる証拠はないこと、本件施設のような特別養護老人ホームにおいて、看護職と介護職で共有されていた文書とは別に、介護職の詰所に保管される介護資料を看護師が自ら、しかも遡って確認することが通常行われていると認めるに足りる証拠もないことから、准看護師Xが事前に自ら介護資料を確認して本件形態変更を把握していなかったことが職務上の義務に反するものであったとはいえない。
イ 本件における具体的事情
①本件ドーナツによる窒息の危険性(ドーナツはYが本件施設に入所後にも食べていた通常の食品で、窒息に至る具体的機序等が特定できないものであり、ドーナツによる窒息の危険性の程度は低かった)、②本件形態変更の経緯及び目的(主に感染症対策のため嘔吐防止を図ることを目的とし、窒息の危険を回避すべき差し迫った兆候や事情があって行われたわけではなかった)、③本件施設における看護職と介護職が利用者の健康情報等を共有する仕組み(看護師は、「申し送り・利用者チェック表」に基づいて、介護士から、口頭で、利用者の健康状態の報告を受けていた)、④准看護師Xが事前に本件形態変更を把握していなかった事情(本件施設での介助は基本的に介護職の業務であり、本件間食の形態変更は、介護士らが会議で決定していたが、看護師と介護士の双方が確認すべき日誌にはその記載がなく、その他の方法も含めて看護職に対して周知された形跡もなく、また准看護師Xにおいて形態変更を確認すべき動機付けとなるような事情もないため、准看護士Xが本件形態変更を知ることが容易であったとはいえない)、⑤本件当日の状況(准看護師Xは、たまたま介護士から配膳の手伝いを頼まれ、これを引き受けたが、同介護士から本件形態変更を伝えられず、従前と変わりないものと考えてYに本件ドーナツを提供した)などからは、本件ドーナツでYが窒息する危険性ないしこれによる死亡の結果の予見可能性は相当に低かった。
これに⑥食品提供行為が持つ意味(窒息の危険性を否定しきれる食品を特定するのは困難であり、また、食品の提供は、手術や医薬品の投与などの医療行為とは異なるものである)も併せ考えるならば、准看護師Xが間食の形態を確認せず本件ドーナツを提供したことが刑法上の注意義務に反するとはいえない。
4.コメント
本件はマスコミに注目された事件でもあり、内容からしても特に福祉施設に勤務する方はその結果を注視していたのではないでしょうか。業務上過失致死傷罪の要件である「過失」は、㋐結果について予見可能性があり、㋑そのことにより結果発生が回避できる可能性がある場合に認められると考えられています。この事件において一審と控訴審で結論が分かれた一番大きな理由は、㋐の点にあります。一審は、抽象的な観点から、誤って配膳されたドーナツで窒息等することが予見可能であったと判断したのに対して、控訴審は、具体的事情を基に、Yが誤って配膳されたドーナツで窒息等する予見可能性は相当低かったと判断しています。控訴審は過失の成否について個別具体的な事情を基に判断しており、本件施設の実情に配慮したものと考えられます。ただし、これは准看護師Xを刑事罰に問うべきかという点についての判断となります。民事損害賠償として施設の賠償責任が問われる際には、対応する職員への情報伝達の体制が適切であったかなど、組織としての対応に問題がないかという視点も加わってくることとなります。このような事件を契機に改めて組織としての情報共有体制が十分であるか見直してみるとよいかもしれません。