No.78/人生最終段階(終末期)における医療行為(その1)

No.78/2022.4.1発行
弁護士 福﨑博孝

人生最終段階(終末期)における医療行為(その1)

(1.終末期医療における‟医療者と患者・家族の考え方の違い”)

1.終末期医療における‟医療者と患者・家族の考え方の違い”

(1)はじめに

某病院から‟救急・集中治療における終末期医療”についての講演を依頼されました。終末期医療では、‟医療者側の認識や考え方”と‟患者・家族の認識や考え方”とが大きく齟齬することが多く、医療者が苦労することも多いようです。今回のテーマは、シビアな医療倫理が関係してくることから、そう簡単に正答が出せるようなものではありません。しかしそれでも、医療者は倫理的な誤りは犯すわけにはいかないのです。様々な倫理的課題を検討し各種ガイドラインなどの資料を参考にして、医療者の精一杯の‟倫理観(倫理感)”と‟社会常識”を働かせる必要があります。しかしかといって、医療倫理の判断には特殊な専門的知識や考え方が必ず必要というわけではありません。「一般的な倫理観(倫理感)と社会常識を基盤とする医療対応への考え方」と「ガイドラインレベルの知識」があれば、医療倫理を踏み外すことはないと思います。いずれにしても医療者は普段から人の生命(いのち)に対する‟倫理的な思考”を心掛ける必要があります。

(2)診療ガイドラインとは何か。

人の人生の終末期における医療行為の意思決定プロセスに関するガイドライン(指針)としては、(平成26年11月の)「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」(以下「3学会救急集中治療ガイドライン」)、(平成30年3月の)「人生最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(以下「厚労省人生最終段階ガイドライン」)がありますが、これらはいずれもいわゆる「診療ガイドライン」といわれるものです。 ガイドラインとは、「物事の判断をする道標(みちしるべ)」であり、一般的には「指針」ともいわれています。そして、診療ガイドラインとは、「特定の臨床状況において、適切な判断を行うために、医療者と患者を支援する目的で系統的に作成された文書」(米国医学研究所Institute of Medicine)とされており、EBM(Evidence based Medicine-科学的根拠に基づいた医療)手法に基づいて作成されるのが一般的です。したがって、診療ガイドラインの作成過程は、「最良の科学的根拠の同定」と「価値判断、合意の形成」から成り立っており、様々な価値判断を調整して最終的なガイドラインが作成されることから、いまの裁判では、EBMに基づいたガイドラインが訴訟上の証拠として有用とされています。

(3)診療ガイドラインの法的な位置づけ(裁判例)

終末期医療の現場において延命措置等の方針を決定する医師の注意義務の内容を判示した裁判例としては、東京地判平成28年11月17日があります。この裁判例では、「本ガイドライン(厚労省人生最終段階ガイドライン)は法規範性を有するものではないが、終末期医療の方針決定における医師の注意義務を検討する上では参考になるものである。」とされています。つまり、ガイドライン自体は法規範性(いわば法律と同じ性質)をもつものではありませんが、証拠としては高い証拠価値を有するとされているのです。すなわち、多くの裁判所が、「診療ガイドラインでは、専門家が議論し有効性と安全性を検討した上でまとめられ、策定時点における望ましい治療法あるいは標準的治療法を示すものである以上、医療水準を認定する証拠としてその証拠価値は高い」と考えています。 いずれにしても、医療訴訟における診療ガイドラインの位置付けは、「(Ⅰ)診療ガイドラインで推奨される医療行為は合理的なものとして評価されることが多く、原則としてそれが医療水準となる。(Ⅱ)しかし、診療ガイドラインはあらゆる症例に適応する絶対的なものとまではいえず、①個々の患者の具体的な症状が診療ガイドラインにおいて前提にされている症状等とは必ずしも一致しない、②患者固有の特殊事情がある等の相応の科学的根拠(合理的な理由)に基づいて、個々の患者の状態に応じた医療行為を選択した場合には、それが診療ガイドラインと異なる医療行為であったとしても、直ちに合理的な行動を逸脱したとは評価できない。(Ⅲ)ただし、診療ガイドラインの内容と異なる医療行為を選択した場合は、‟その医療行為の選択に合理的理由があること”について、それを主張するもの(医師側)に立証責任がある。」とされているようです。

(4)臨床現場で‟診療ガイドラインに従うこと“の意味

診療ガイドラインは、臨床上の診療において標準的医療を行うために(医療水準を見定める規準として)使われていますが、裁判所にとっても極めて重要な証拠や法規範的な存在(法的判断の基準)となっています。すなわち、臨床医療においても、また、裁判においても、ガイドラインに従った診療がなされる限り、原則として違法という評価はなされないことがほとんどであり、「厚労省人生最終段階ガイドライン」や「3学会救急集中ガイドライン」についても同様であって、これに従っている限り原則として違法の問題は生じないと思われます。

(5)「厚労省人生最終段階ガイドライン」と「3学会救急集中ガイドライン」との関係

人生の最終段階(終末期)には、事態の進行度合いにより、「急性型」(救急医療等)、「亜急性型」(末期がん等)、「慢性型」(高齢者、植物状態、認知症等)があるといわれています。そして、いずれの終末期についてもその医療の在り方が議論されており、亜急性型の終末期医療については厚労省人生最終段階ガイドラインが、また、急性型の終末期医療については3学会救急集中治療ガイドラインが、それぞれその指針(ガイドライン)として発表されています。さらに、慢性型については、日本老年医学会が平成24年6月付で「人工的水分・栄養補給の導入に関する意思決定に関するガイドライン」を公にしています。しかし、厚労省人生最終段階ガイドラインについては、亜急性型に限定したものではなく、急性型・亜急性型・慢性型の終末期の‟医療とケア全般についての基本原則”を明らかにしていると考えるべきです。したがって、「厚労省人生最終段階ガイドライン」は、「3学会救急集中ガイドライン」等に定められていない事項について、それを補充するものと考えるべきです。

(6)人生最終段階における意思決定プロセスの大原則-患者の最善の選択の道筋・家族の存在-

人生最終段階における医療行為(終末期医療)であっても、医療行為は、❶患者本人の理解・納得・選択・同意(インフォームド・コンセント)が原則です(インフォームド・コンセントとは、具体的にいえば、「医療者側による‟適切かつ十分で分かり易く丁寧な説明”と、それによってもたらされる‟患者側の理解・納得・選択を経た上での同意”」ということになりますが、さらに近時では、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)やSDM(シェアード・デシジョン・メーキング、共同意思決定)が重視されるようになっています。)。しかし、❷人の終末期においては、患者本人がその意思を明確にすることが不可能な場合が多くあります。そのような場合に重視されるのが「家族等」ということになります。患者本人のいま現在の意思が明らかでない場合には、(1)アドバンス・ディレクティブ(事前の指示書)や(2)リビング・ウィル(生きている間に発効する遺言)等があればそれが参考になりますが、そのようなものもない時には、(3)家族等から患者本人の意思を推定することになります。❸その患者本人の意思の推定もできない場合には、医療者は、当該患者本人のための最善の医療を施すことが必要となります。最善の医療とは、医学的に妥当かつ適切な医療ということになりますが、その場合であっても、家族等が重要な役割を果たします。医療者が患者本人にとって何が妥当で適切なのか、何が最善の医療なのか(患者の最善の選択の道筋)、その点を模索する中でも家族等の意見(家族の理解)が聴取されることとなるのです。

以上のとおり、人生最終段階における診療にかかるガイドラインでは、「患者本人の考え方についての家族等の事実認識や意見・考え方」が重視されており、そのために「家族等」の定義を明確にしています。つまり、ここで「家族等」とは、「本人が信頼を寄せ、人生の最終段階の本人を支える存在であるという趣旨ですから、法的な意味での親族関係のみを意味せず、より広い範囲の人(親しい友人等)を含みますし、複数人存在することも考えられるとしているのです。