No.57/未確立な治療法についての医師の説明義務
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No.57/2021.10.15発行
弁護士 福﨑 龍馬
未確立な治療法についての医師の説明義務
(最高裁平成13年11月27日判決について)
医師の説明義務の「範囲や程度」は、「医療水準」(医療水準論)と密接な関係にあります。医療水準とは、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」であり、医師が診療当時の「医療水準」に満たない医療行為を行った場合、注意義務違反(過失)が認められることになります。また、医療水準の内容は、医師の診療上の注意義務の内容を決定するだけでなく、医師の説明義務の範囲や程度をも決めることとなります。すなわち、医師は医療水準として確立した療法の説明を行う義務があります。しかし一方で、‟医療水準として確立されていない療法”については、原則として説明義務はないとされています。 もっとも、未確立の療法であれば常に、説明義務がなくなるわけではありません。判例上、一定の場合に、未確立の療法についての説明義務を認めたものがあります。そこで、今回は、未確立な療法についての医師の説明義務が争点となった最高裁の判決及び、この最高裁判決に影響を受けたと思われる福岡高裁の判決をご紹介したいと思います。
1 最高裁平成13年11月27日判決
(1)事案の内容
Xは、乳癌研究会の正会員Y医師の診察を受け、乳がんと診断されました。Y医師は、Xの乳がんにっいて‟胸筋温存乳房切除術”が適応と判断し、Xに対し、入院・手術の必要があること、乳房を残す方法も行われているが、この方法については、現在までに正確には分かっておらず、放射線で黒くなり、再手術を行わなければならないこともあることを説明し、乳房を全部切除するが、筋肉は残す旨説明しました。なお、Y医師は、‟乳房温存療法”を1例実施した経験がありました。Xは、乳房を可能な限り残す乳房温存療法を紹介する新聞記事に接し、また、Y医師に対し、揺れ動く女性の心情をつづった手紙を交付したりしました。そのため、Y医師は、Xが乳房温存療法に強い関心を有していることを知っていましたが、本件胸筋温存乳房切除術による手術を行い、Xの乳房を切除しました。なお、本件手術当時、乳房温存療法は、欧米では、乳がんの再発率、生存率の点で劣っていないか、むしろ優れていることが確認されていたが、日本では、胸筋温存乳房切除術が主流でした。また、平成元年4月、乳房温存療法について安全性、有効性を立証し、統一的基準を作成するために、厚生省(当時)の助成により、その検討班が設置され、「乳房温存療法実施要綱」が策定され、臨床的研究が開始されていました。しかし、本件手術当時、乳房温存療法の実施報告例は少なく、術式も未確立であり、医療水準として確立するには至っていませんでした。
(2)判決
このような事案において、最高裁は、「一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ、このような未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かっ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務があるというべきである。」「乳がん……手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変ぼうによる精神面・心理面への著しい影響ももたらすものであって、患者自身の生き方や人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、……他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まるものといわなければならない。」と述べて、未確立の治療法であった乳房温存療法を実施している他の医療機関において同療法を受けるか否かを熟慮する機会を与えなかったことは、Y医師の説明義務違反であるとしました。
2 福岡高等裁判所平成14年9月27日判決
上記の最高裁判決に影響されたと思われる判決として、福岡高裁の判決があります。この事案では、平成3年8月の時点で子宮頸がんの治療に当たり、子宮温存療法の希望を表明していない患者に対しても、その当時の最善の治療法とされていた子宮全摘術に加えて、未だ適応基準の確立していなかった治療的円錐切除術についての説明をすべきであったとして、医師の説明義務違反を肯定し、慰謝料50万円及び弁護士費用10万円の支払を命じたものです。この福岡高判では、「子宮摘出という重大な身体侵襲行為についての患者の承諾は、治療効果の点で劣るものの子宮温存の治療法もあるということを知ったうえでなれなければ、治療をしないか子宮摘出かの二者択一になるとの誤解に基づくことになり、真の承諾とは言い難く、その意味で担当医師には治療的円錐切除術について説明する義務がある」とし、「子宮温存の希望を表明していない患者についても、内心でこれを希望していることも十分あり、その点を確かめるのにさしたる時間も手間もかからないから、これを確かめたうえで説明の要否を決めるべきであって、積極的に子宮温存の希望の表明がないということだけで医療機関が治療的円錐切除術の説明を怠った場合は説明義務違反となる。」としています。最高裁判決の事案では、患者が、医師に対して未確立の療法である乳房温存療法に強い関心を示していることを伝えていましたが、この福岡高裁の事案では、患者において妊孕性温存の必要性を担当医らに明確に表明したり、代替療法の有無や実施例などについて積極的に質問したり、説明を求めたりしていませんでした。それにもかかわらず、医師において未確立療法の説明義務を認めており、最高裁判決より説明義務の内容が重くなっています。
3 まとめ
医療の現場では、医療水準として確立した治療方法を原則として説明すべきであり、未確立の新しい治療方法の全てを患者に説明するのは不可能だと思いますが、一方で、医療水準として確立していない治療方法であれば、患者への説明は一切不要と安易に考えることも許されません。上記判決は、医師の立場と、患者の自己決定権との調和を図ったものと考えられていますが、上記判決が述べるように、未確立の療法であっても、ある程度の実施例があり、また、積極的な評価もされている療法である場合、そして、患者が当該療法に強い関心を持つ可能性がある場合(「乳房を切除する」「子宮を摘出する」という術式のような、「患者の人生の根幹」にかかわる手術であって、未確立療法を希望する可能性が高いと思われるような療法である場合)においては、患者から未確立の療法について明確な意思表明がなかったとしても、患者に十分な説明を行い、未確立の療法を受けるか否か熟慮する機会を与える必要があります。