No.53/認知症高齢者の転倒事故にかかる施設職員の注意義務違反を肯定した裁判例

No.53/2021.9.15発行
弁護士 永岡 亜也子

認知症高齢者の転倒事故にかかる施設職員の注意義務違反を肯定した裁判例

(京都地裁令和1年5月31日判決)

1.事案の概要

Aはアルツハイマー型認知症を患っていたところ、平成27年頃からその病状が著しく進行し、在宅での介護が困難な状態となりました。平成27年8月、Aは、医療法人Yとの間で、Yが開設する介護老人保健施設の入所利用契約を締結し、同施設3階の認知症患者専用フロアでの生活を開始しました。なお、事前にYが行った入所検討会議では、Aの要介護が3、障害高齢者日常生活自立度がA2、認知症高齢者日常生活自立度がⅣであること等を前提に、その入所利用が承諾されていました。 同年10月26日午後3時50分頃、Aは、同施設3階のサービスステーション前のソファー(本件ソファー)に座ろうとした際、膝から崩れ、前方に転倒しました(第1転倒)。同年11月8日午前4時50分頃、Aは、本件ソファーの前で転倒し、左側臥位の状態で発見されました(第2転倒)。同月13日午前11時頃、Aは、本件ソファー付近において、仰向けに転倒しました(第3転倒)。翌14日、Aは、両側前頭葉脳挫傷により死亡しました。 Aの子であるXは、Yに対し、Yの職員が付添いや近位での見守りを行う等の義務を怠った旨主張して、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償金の支払いを求める訴訟を提起しました。

2.裁判所の判断(京都地裁令和1年5月31日判決)

(1)第1転倒について

Aは、第1転倒時82歳と相当高齢であった上、第1転倒前におけるAの認知症は相当程度進行しており、重度のものであった。認知症高齢者については、ほかの高齢者と比べて転倒のリスクが一般的に高いと考えられていることからすると、Aは、第1転倒前においても、一般的に重度の認知症高齢者に見られる歩行時の転倒リスクがあった。さらに、Aは、本件施設内外を歩行する際に左側に傾いたりふらついたりすることがしばしば見られ、Aは、本件施設において、比較的頻繁に一人で自立して歩行していたのであるから、本件施設の職員としては、Aについて、一定の転倒リスクがあることを前提に、その動向を注視しておくべき義務は有している。 一方で、第1転倒前にAが転倒した形跡はないし、Aは、本件施設に入所してから第1転倒前までの間、基本的には安定して歩行していたことがうかがわれる。そうだとすると、Aについては、第1転倒前において、一般的に重度の認知症高齢者に見られるような歩行時の転倒リスクがあったとしても、それは抽象的なものにとどまり、重大な傷害や死亡を招来するような危険な態様で転倒することが具体的に予見できた状態にあったということはできない。 したがって、第1転倒前の時点では、Yの職員としては、Aが転倒する可能性を意識して、同人を自己の視野に入れておくべき義務は有するものの、常にAに付き添ったり、近位で見守る等の義務までを負うものではない。しかるに、Yの職員はAの動向を注視し、自己の視野に入れていたといえるから、Yの職員にAを自己の視野に入れておく義務の違反があったということはできない。

(2)第2転倒について

第1転倒の態様に鑑みると、Aにつき、この時点で、本件ソファーに着座しようとする際にバランスを崩し、手を床につくことなく、頭部を直接床に打ち付ける危険な態様で転倒する危険性があった。そして、Yにおいては、第1転倒を目撃した職員が、同転倒発生後、第1転倒の態様を詳細に記載したヒヤリハット報告書を作成し、再発防止策として、ケアスタッフの見守りの強化が記載されていたのであるから、Yの職員においては、当然、Aが本件ソファー付近で着座する際に、危険な態様で転倒する可能性があることは十分に予見できた。そうすると、Yの職員としては、同人が歩行していることを確認した場合には、同人の動向を注視し、同人が本件ソファーに座ろうとする際には、同人に付き添い、介助すべき義務があった。 しかるに、Yの職員は、平成27年11月8日午前4時40分頃、本件施設3階において、Aが歩行しているのを確認したのであるから、同人が本件ソファーに座ろうとしているのかもしれないと考え、同人の動向を注視すべきであったにもかかわらず、その後、本件施設3階の洗濯室でおむつの洗濯をし、約10分間Aの動向を確認することを怠ったものであり、被告の職員には、Aの動向を注視し、同人が本件ソファーに座ろうとする際に付き添い、介助すべき義務の違反があった。

(3)第3転倒について

14日という短期間の間に2度に渡り、バランスを崩して転倒しており、いずれも手をつかずに頭部を直接床に打ち付けていることからすると、Aは、認知症の悪化等によりバランスを崩しやすい状態にあり、また、バランスを崩して転倒した際には、頭部を直接床に打ち付け、重大な結果を生じさせる危険が極めて高い状態にあった。このように、Aが転倒した場合には、極めて危険な状況になることが十分に予想される状況にあり、また、バランスを崩しやすい状況にあったことも容易に認識できたのであるから、Yの職員としては、Aがバランスを崩しやすい状況にあった場合には、バランスを崩したときに直ちに対応できるようAに付き添い介助すべき義務があった。 被告の職員は、第3転倒が発生する直前において、Aが本件施設3階のサービスステーション前で紙パック入りの牛乳を片手に持ち、それを飲みながら歩行しているのを確認している。Aについては、歩行時にバランスを崩して転倒する危険性が一定程度あったということができるところ、ましてパック入りの牛乳を片手に持ちつつ、それを飲みながら歩行することは、手を挙げることで体のバランスを失するおそれがあるのみならず、重度の認知症であるAが2つの行為を同時並行で行うことを意味し、それによってAが身体のバランスを崩しやすくする可能性は相当程度高かった。 しかるに、Yの職員は、第3転倒前において、Aが牛乳を飲みながら歩行しているのを確認しながら、同人に付き添うこと、あるいは、他の職員にAへの付添いを求めることをしなかったものであり、Yの職員には、Aに付き添う義務の違反があった。

3.まとめ

本事例では、短期間のうちに計3回の転倒事故が生じているところ、初回の転倒についてはその責任が否定され、2回目以降の転倒についてのみ、その責任が肯定されています。すなわち、本裁判例は、Aの転倒リスクの程度を、その時点ごとの具体的事情に基づき評価・判断したうえで、施設に対して、その時点ごとの転倒リスクの程度に見合った注意義務を要求しているのであり、合理的な判断であるといえます。 なお、本裁判において、Yは、本件施設の人的態勢上、Yの職員がAに常時付き添うことは不可能であり、同人の転倒を回避することはおよそできなかった旨主張しましたが、裁判所は、本件施設における人的態勢が厳しいことをもって、Yの責任を否定する理由ということはできない旨判示しています。すわなち、施設としては、人的態勢の問題等により、安全に受け入れられないと判断される場合には、その入所を断るべきなのであり、その判断をせずに入所を受け入れた以上は、人的態勢が厳しいことをもって、その責任を否定する理由にはならないということです。 認知症高齢者の増加に伴い、その転倒・転落事故のリスクは、介護施設・病院のいずれにおいても、避けては通れない問題となっています。認知症高齢者を受け入れる介護施設・病院においては、その転倒・転落事故のリスクを正確に評価・把握するとともに、そのリスクに応じた付添い・見守り・介助等を適時適切に行うことが肝要です。また、万一、人的態勢が不十分であるという場合には、施設・病院として、人的態勢を整える等の必要な対応を行う必要がありますし、さらに、日頃から、施設内・病院内の点検を心がけ、転倒・転落リスクのある場所・箇所などがある場合には、可能な限りこれを排除しておくことが大切です。