No.51/利用者が歩行介助を拒絶した上で生じた転倒事故における施設側の責任

No.51/2021.9.1発行

弁護士 川島陽介

ー横浜地裁H17.3.22判決-

1.はじめに

医療機関や社会福祉施設に勤務されているみなさまは、これまで患者や施設利用者の転倒転落の場面(ないしその危険が生じそうになった場面)に遭遇し、ヒヤリとしたことは少なからずあるのではないでしょうか。みなさまが勤務する病院や施設においては、このような事案をインシデントないしアクシデント事例として集約し、できる限り事故等が生じないように取り組んでおられることと思います。今回の臨床医療法務だよりでは、介護施設で起こった利用者の転倒事故(施設利用者が歩行介助を断った事案)について、職員や施設側の責任を認めた裁判例を紹介させていただきます。

2.事案の概要

本件は、 社会福祉法人Yの管理運営する介護施設において、通所介護サービス(デイサービス)を受けていた利用者Xが、社会福祉法人Yの職員による歩行介護が受けられなかったため、同施設のトイレ内において転倒し、右大腿骨頚部内側骨折の傷害を負い、重篤な後遺障害が残る事態となったというものです。利用者Xは、安全配慮義務(利用者の身体等の安全を確保しつつ、施設利用ができるよう必要な配慮を行う義務)違反があるとして、社会福祉法人Yに対し、金3977万円の損害賠償を求める裁判を提起しました。 これに対して社会福祉法人Yは、職員は、利用者Xがトイレ使用を訴えたので、トイレまで手を貸して歩行介助を行ったが、 同人は、自らの意思で身体障害者用トイレを選択し、同トイレ内での介助を断ったとの事情があるため、安全配慮義務の違反はないとの主張を行いました。

3.裁判所の判断

裁判所は、利用者Xがトイレ内での介助を断ったとの事実を認めましたが、結論として、社会福祉法人Yには介護契約上の安全配慮義務違反があるとして、金1253万円の賠償を認めました。その理由は次のとおりです(裁判所が認定した事実についても一部記載しますので、参考としてご確認ください。)。 ① 利用者Xは、介護保険法上の要介護状態区分について要介護2と認定された。…利用者Xは、本件施設で通所介護サービスを受けた際、同施設の玄関ホールでつまずき、しりもちをついて転倒したことがあった。この転倒を契機に、…利用者Xの移動については、全職員が注意し、その日の利用者Xの様子により、見守りまたは介助をするようにしていた。 ② 利用者Xは、本件施設において、…通所介護サービスを受けた後、同施設2階にあるソファーに座って、送迎車が来るのを待っていたところ、特に尿意等はなかったが、いつもどおりトイレに行っておこうと思い、杖をついて同ソファーから立ち上がろうとした。その動作を見た職員は、利用者Xが前かがみになりそうになったことから転倒の危険を感じ、転倒防止のため利用者Xの介助をしようと考え、利用者Xの側に来て、「ご一緒しましょう。」と声をかけた。利用者Xは、「一人で大丈夫。」と言ったが、 職員は、「トイレまでとりあえずご一緒しましょう。」と言い、上記ソファーから本件トイレの入口までの数メートルの間、右手で杖をつく利用者Xの左腕側の直近に付き添って歩き、利用者Xの左腕を持って歩行の介助をしたり利用者Xを見守ったりして、歩行の介護をした。このときの利用者Xの歩行に不安定さはなかった。利用者Xが本件トイレに入ろうとしたので、職員は本件トイレのスライド式の戸を半分まで開けたところ、利用者Xは本件トイレの中に人っていった。利用者Xは、本件トイレの中に入った段階で、職員に対し、 「自分一人で大丈夫だから。」と言って、内側から本件トイレの戸を自分で完全に閉めた。ただし利用者Xは戸の内鍵をかけなかった。このとき、職員は、「あ、どうしようかな。」と思い、「戸を開けるべきか、どうするか。」と迷ったが、結局戸を開けることはせず、利用者Xがトイレから出る際にまた歩行の介護を行おうと考え、同所から数メートル離れたところにある洗濯室に行き、乾燥機からタオルを取り出そうとした。一方、戸を閉めた利用者Xは、本件トイレ内を便器に向かって、右手で杖をつきながら歩き始めたが、2、3歩、歩いたところで、突然杖が右方にすべったため、…横様に転倒して右足の付け根付近を強く床に打ち付けた。 ③ 利用者Xは、障害者用トイレに入る際、職員の同行を拒絶したが、本件トイレは入口から便器まで1.8メートルの距離があり、横幅も1.6メートルと広く、しかも、入口から便器までの壁には手すりがないのであるから、利用者Xが本件トイレの入口から便器まで杖を使って歩行する場合、転倒する危険があることは十分予想し得るところであり、また、転倒した場合には利用者Xの年齢や健康状態から大きな結果が生じることも予想し得る。職員としては、利用者Xが拒絶したからといって直ちに利用者Xを1人で歩かせるのではなく、説得して、利用者Xが便器まで歩くのを介護する義務があったというべきであり、これをすることなく利用者Xを1人で歩かせたことについては、安全配慮義務違反があったといわざるを得ない。 ④ 要介護者に対して介護義務を負う者であっても、意思能力に問題のない要介護者が介護拒絶の意思を示した場合、介護義務を免れる事態が考えられないではない。しかし、そのような介護拒絶の意思が示された場合であっても、介護の専門知識を有すべき介護義務者においては、要介護者に対し、介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性とを専門的見地から意を尽くして説明し、介護を受けるよう説得すべきであり、それでもなお要介護者が真摯な介護拒絶の態度を示したというような場合でなければ、介護義務を免れることにはならない。 ⑤ 職員は、利用者Xに対し、介護を受けない場合の危険性とその危険を回避するための介護の必要性を説明しておらず、介護を受けるように説得もしていないのであるから、歩行介護義務を免れる理由はない。 ⑥ 本件事故当時、利用者Xは、本件トイレを自ら選択し、同トイレ内部での歩行介護について、本件施設の職員に自らこれを求めることはせず、かえって、本件施設職員に対して「自分一人で大丈夫だから。」と言って、内側より自ら本件トイレの戸を閉め、単独で便器に向かって歩き、誤って転倒したのであるから、利用者Xにおいても、本件事故発生について過失があるものというべきで、上記のような転倒に至る経緯や利用者Xが高齢者である一方、…介護サービスを業として専門的に提供する社会福祉法人であることも掛酌すると、利用者Xの過失割合は3割というべきである。

4.コメント

本裁判例は、患者や施設利用者が介助・介護を拒絶する意思を示した場合に、どのような対応を医療側や施設側が行うべきであるかという観点から、参考になる事案と思われます。もちろん、事故が発生した場合に、医療側や施設側に安全配慮義務違反が認められるかについては、ケースバイケースと言えますが、本裁判例が示しているとおり、患者や施設利用者が介助・介護を拒絶する意思を示している場合であっても、その危険性が予測できるような場合については、説明や説得を尽くすべきであることは各現場において共通することと思われます。本裁判例は、施設側に対し、とても厳しい判断をしたものであり、必ずしも同種事案で同様の処理がなされるとは限りませんが、医療機関や福祉施設に勤務するみなさまは、このような判断をされる可能性があることを認識して日々の対応を行うべきといえます。 なお、本裁判例では、利用者Xが職員の歩行介助を断った事実を認定しており、そのことを基に過失相殺(被害者側の落ち度も考慮して賠償責任の範囲や賠償額を決めること)をして、損害額の3割を減額しています。このことは、裁判所が、施設側や職員の言い分に一定の理解を示していると言えますが、減額幅が3割にとどまっていることや、社会福祉法人Yの責任を認めていることからしても、専門的な施設が負う責任の重大性を示しているといえます。