No.50/職場でのハラスメント(組織で働く人たちが知っておくべきこと!) その1

No.50/2021.8.16発行
弁護士 福﨑 博孝

職場でのハラスメント(組織で働く人たちが知っておくべきこと!) その1
-これまでのハラスメント(パワハラ)と、これからのハラスメント(パワハラ) -

(はじめに)

近時、病院その他組織から講演・研修等の依頼を受けることが多くなっており、しかも、その求められるテーマのほとんどがパワハラ・セクハラ・ペイハラ(ペイシェントハラスメント)などハラスメント関係の対処法ばかりになっています。2019年(令和元年)5月にパワハラ防止法(いわゆる「労働施策総合推進法」、以下同じ。)が成立し、事業者に対しパワハラの職員研修などの責務が課せられました。しかし、その後の長いコロナ禍において職員研修を行えなかった病院などの多くの組織が職員間ハラスメントのために重い腰を上げたということなのかもしれません。そこで本稿では、ハラスメント講演・研修等で聴講者に話をする内容を、「職場でのハラスメント(組織で働く人たちが知っとくべきこと!)」というタイトルで、下記のとおり7回シリーズに分けて筆を進めてみたいと思います。

  • これまでのハラスメント(パワハラ)と、これからのハラスメント(パワハラ) その1
  • ハラスメントの概念とその分類                       その2
  • パワーハラスメント(パワハラ)の定義                   その3
  • パワハラ防止指針に示された‟パワハラの行動類型”              その4
  • セクハラ等防止指針に示されたセクハラ・マタハラ・パタハラの行動類型    その5
  • パワハラ防止法における事業者の講ずべき措置                その6
  • 働きやすい職場をつくるために(最後に)                  その7

1.これまでのハラスメント(パワハラ)と、これからのハラスメント(パワハラ)

(1)職場におけるいじめ・嫌がらせとハラスメント法制の系譜

わが国の最初のハラスメント判決(セクハラ民事判決)は、平成4年の福岡セクハラ判決(福岡地判平成4年4月16日)といわれています(正確ではないかもしれませんが。)。そして、その後の社会の流れの中で、平成9年の男女機会均等法の改正で事業者にセクハラ防止配慮義務が課され、平成18年の同法改正では事業者にセクハラ防止措置義務が課されました。また、平成28年の同法改正及び育児・介護休業法改正では事業者に対してマタハラ・パタハラ防止措置義務が課されることになり、そしてついに、令和元年にパワハラ防止法が制定されるに至ったのです。要するに、法制的な流れをみる限り、ハラスメントのうちで最初に社会のスポットライトを浴びたのは「セクハラ」であり、その後に「マタハラ」「パタハラ」と続き、さらにそれを後追いするように「パワハラ」に焦点が当てられるようになってきたのです。 しかし、実際の労働者の就労現場でのパワハラ事案(就労現場でのハラスメント事案のほとんどはパワハラだと思われます。)は、それよりも前に(少なくともそれに並行して)社会的な急増をみております。都道府県労働局に寄せられる「いじめ・嫌がらせ」に関する労働相談(いわゆる、労働局に寄せられた職場でのパワハラ相談)をみると、平成14年度には約6,600件程度であった相談件数が、その10年後の平成24年度には約51,670件と、その数が桁違いに跳ね上がっているのです。そしてその後も、その相談件数の増大は続き、平成25年度には59,197件、平成26年度には62,191件、平成27年度には66,566件、平成28年度には70,917件、平成29年度には72,067件、平成30年度には82,797件、令和元年度には87,570件となっており、ここ約20年間は毎年着実かつ急速にパワハラ事案が増加し続けています。しかも、解雇・自己都合退職・労働条件の引き下げなどという従来一般的であった労働相談項目を遙か昔に追い抜いてしまい、労働相談件数のトップを走り続けているのです(令和元年度労働相談件数は27万9,210件となっていますが、そのうち「いじめ・嫌がらせ」が87,570件であり、全体の31.4%を占め断トツの相談件数となっています。)。 このようなことも背景にあり、‟パワハラによる精神障害を理由とする損害賠償請求訴訟˝は増加の一途をたどっており、労働基準監督署も‟パワハラよる精神障害˝を比較的簡単に労災認定するようにもなっています。しかも、パワハラをその要因の一つとする「過労死」、「過労自殺」の増大も続いており、ついにわが国政府も、2019年(令和元年)5月にパワハラ防止法を制定せざるを得なくなったのです(また、2020年(令和2年)6月1日には同法が大企業について施行されるに至っています。)。

(2)ハラスメントの世界の趨勢(世界の流れ)

わが国でパワハラ防止法が可決成立した2019年(令和元年)5月ころの世界を見渡すと、スイス・ジュネーブの国連国際労働機関(ILO)で、「仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約」(ILO第190号、以下「ILOハラスメント禁止条約」といいます。)が可決採択され(同年6月21日)、わが国政府は、これに賛成票を投じました(賛成439票、反対7票、棄権30票)。わが国は、日本国政府が2票、労働組合(連合)が1票、経済界(経団連)が1票を持っていましたが、政府(2票)と連合(1票)は賛成票を投じたものの、経団連は棄権しています(経済界は、パワハラの定義の定め方しだいでは、組織内において上司が部下に対し指導教育管理ができなくなるのではないか、と危惧してしたといわれています。)。 このILOハラスメント禁止条約は、わが国における「パワハラ防止法」に当たるものですが、その適用範囲や法効果に顕著な相違点があります。 例えば、①ハラスメントの定義について、ILOハラスメント禁止条約では「身体的、精神的、性的、経済的に危害を惹き起こす可能性のある行為と慣行」とされ、セクハラ、パワハラ、モラハラ等ハラスメント全般を包含するものとされ広範囲にわたっていますが、わが国パワハラ防止法では、その対象が‟パワハラ”のみとされています。 また、②当該行為の取扱いについては、ILOハラスメント禁止条約では法的に「禁止」とされていますが、わが国のパワハラ防止法では、「事業者に対策・防止策を義務付ける」(事業者に措置義務を課している)のみであって、パワハラ行為そのものを禁ずる法律にはなっていません。 さらに、③行為者への罰則については、ILOハラスメント禁止条約が「制裁」を行う(「罰則」を付加する)こととされていますが、わが国のパワハラ防止法では行為者への罰則はありません。 確かに、わが国政府は、上記ILOハラスメント禁止条約に賛成票を投じましたが、ほぼ同じころに成立したパワハラ防止法の“緩さ”(①適用範囲の狭さ、②禁止法になっておらず、③制裁がないこと)を考えると、この条約をわが国政府が批准することができるか甚だ心細いものを感じます。 しかし、世界の趨勢が、ILOハラスメント条約にあるように‟罰則を科することを前提とするハラスメント禁止”にある以上、いずれそう遠くない時期に、わが国もパワハラ防止法を改正し、ハラスメントを全面的に禁止して、それに違反する行為者は罰せられるという世の中になる可能性があるのです。わが国においても、ハラスメントについての世界の流れ(トレンド)の方向を念頭に置きながら、この問題への対処を考えておかないと、いずれ大きな禍根を残すことにもなりかねません。