No.37/医療水準と説明義務の範囲・内容との関係性について

No.37/2021.5.17発行
弁護士 永岡 亜也子

1.はじめに

医師の説明義務違反が争われる事例は多数あります。今回は、過去の裁判例を基に、医療水準と説明義務の範囲・内容との関係性についてご紹介をしたいと思います。 たとえば、大阪地裁平成22年9月29日判決は、医師が、肝硬変の治療に当たり、生体肝移植についての説明をしなかったという事案で、以下のように判示して、医師の説明義務違反を肯定しました。 「生体肝移植の存在を前提にして重篤な肝硬変について検査・診断・治療等に当たることが、診療契約に基づき被告病院に要求される医療水準であり、また、不法行為における被告病院の担当医師の過失の基準としての医療水準でもあるところ、患者は重篤な肝硬変であり、内科的治療には限界があって早晩死を免れず、生体肝移植の適応があったから、被告病院の主治医である被告医師には、少なくとも、患者あるいはその家族に対し、患者の肝硬変が重篤であり内科的治療では早晩死を免れないこと、唯一の根本的な治療法として生体肝移植があること、生体肝移植には患者に肝臓を提供するドナーの存在が必要であり、ドナーにも合併症が起こる可能性があること、生体肝移植には保険適用があること、生体肝移植をするか否かは最終的に患者本人及びドナー並びに家族が決めることを説明し、生体肝移植を実施するか否かを患者及びその家族に判断させるべきであった。」 すなわち、本裁判例は、「診療契約に基づき当該病院に要求される医療水準」の内容を基に、医師が患者に説明すべき具体的内容を範囲付けているのであり、「説明義務の範囲・内容は診療当時の医療水準によって決まる」という考え方に立っていることが分かります。

2.医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合の説明義務の内容・方法

では、診療当時の医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合など、複数の選択肢が考えられる場合に、具体的にどのような説明をすればいいのでしょうか。 この点、最高裁平成18年10月27日判決は、医師が、未破裂脳動脈瘤の存在が確認された患者に対し、一定程度の説明を行った結果、患者が1か月弱の熟慮の末に開頭手術を選択していたが、その後になされた30分程度の追加説明の結果、患者の選択がコイル塞栓術へと変更されたという事案で、後記3記載の裁判例を引用したうえで、以下のように判示して、医師の説明義務違反を否定した原審の判断を認めませんでした。 「医師が患者に予防的な療法(術式)を実施するに当たって、医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には、その中のある療法(術式)を受けるという選択肢と共に、いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し、そのいずれを選択するかは、患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものでもあるし、また、上記選択をするための時間的な余裕もあることから、患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように、医師は各療法(術式)の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められる。」 「開頭手術では、治療中に神経等を損傷する可能性があるが、治療中に動脈瘤が破裂した場合にはコイル塞栓術の場合よりも対処がしやすいのに対して、コイル塞栓術では、身体に加わる侵襲が少なく、開頭手術のように治療中に神経等を損傷する可能性も少ないが、動脈瘤が破裂した場合には救命が困難であるという問題もあり、このような場合にはいずれにせよ開頭手術が必要になるという知見を有していた…同医師らは、患者に対して、少なくとも上記各知見について分かりやすく説明する義務があった。」 「患者が開頭手術を選択した後の手術前のカンファレンスにおいて、内頸動脈そのものが立ち上がっており、動脈瘤体部が脳の中に埋没するように存在しているため、恐らく動脈瘤体部の背部は確認できないので、貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉塞してしまう可能性があり、開頭手術はかなり困難であることが新たに判明したというのであるから、本件病院の担当医師らは、患者がこの点をも踏まえて開頭手術の危険性とコイル塞栓術の危険性を比較検討できるように、患者に対して、上記のとおりカンファレンスで判明した開頭手術に伴う問題点について具体的に説明する義務があった。」 「本件病院の担当医師らは、患者に対し、上記各説明をした上で、開頭手術とコイル塞栓術のいずれを選択するのか、いずれの手術も受けずに保存的に経過を見ることとするのかを熟慮する機会を改めて与える必要があった。」 すなわち、本裁判例は、診療当時の医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合など、複数の選択肢が考えられる場合には、「患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で、その複数の選択肢すべての利害得失を分かりやすく説明すべき」であると判断していることから、その説明すべき内容・程度を判断するに際しては、「患者の自己決定にとって必要十分か」という視点を持つことが重要になります。

3.医療水準として未確立である療法(術式)についての説明義務の有無

では、診療当時の医療水準として未確立である療法(術式)については、一切説明をする必要はないのでしょうか。 この点、最高裁平成13年11月27日判決は、医師が、乳がん手術を実施するに当たり、当時医療水準として未確立であった療法(術式)について、消極的な説明をしたにとどまり、その適応可能性の有無や、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在を説明しなかったという事案で、以下のように判示して、医師の説明義務違反を肯定しました。 「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある。本件で問題となっている乳がん手術についてみれば、疾患が乳がんであること、その進行程度、乳がんの性質、実施予定の手術内容のほか、もし他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などが説明義務の対象となる。」 「ここで問題とされている説明義務における説明は、患者が自らの身に行われようとする療法(術式)につき、その利害得失を理解した上で、当該療法(術式)を受けるか否かについて熟慮し、決断することを助けるために行われるものである。」 「一般的にいうならば、実施予定の療法(術式)は医療水準として確立したものであるが、他の療法(術式)が医療水準として未確立のものである場合には、医師は後者について常に説明義務を負うと解することはできない。とはいえ、このような未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。少なくとも、当該療法(術式)が少なからぬ医療機関において実施されており、相当数の実施例があり、これを実施した医師の間で積極的な評価もされているものについては、患者が当該療法(術式)の適応である可能性があり、かつ、患者が当該療法(術式)の自己への適応の有無、実施可能性について強い関心を有していることを医師が知った場合などにおいては、たとえ医師自身が当該療法(術式)について消極的な評価をしており、自らはそれを実施する意思を有していないときであっても、なお、患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務がある。そして、乳がん手術は、体幹表面にあって女性を象徴する乳房に対する手術であり、手術により乳房を失わせることは、患者に対し、身体的障害を来すのみならず、外観上の変貌による精神面・心理面への著しい影響をもたらすものであって、患者自身の生き方が人生の根幹に関係する生活の質にもかかわるものであるから、胸筋温存乳房切除術を行う場合には、選択可能な他の療法(術式)として乳房温存療法について説明すべき要請は、このような性質を有しない他の一般の手術を行う場合に比し、一層強まる。」 「被上告人医師は、少なくとも、上告人の乳がんについて乳房温存療法の適応可能性のあること及び乳房温存療法を実施している医療機関の名称や所在を被上告人医師のしる範囲で明確に説明し、被上告人医師により胸筋温存乳房切除術を受けるか、あるいは乳房温存療法を実施している他の医療機関において同療法を受ける可能性を探るか、そのいずれの道を選ぶかについて熟慮し判断する機会を与えるべき義務があった。」 すなわち、本裁判例は、診療当時の医療水準として未確立である療法(術式)であっても、医師に説明義務が課される場合があり得ることを認めているのであり、それにもかかわらず、医師がその説明を怠った場合には、説明義務違反の責めを負うことになります。

4.まとめ

前記3記載の裁判例は、「ここで問題とされている説明義務における説明は、患者が自らの身に行われようとする療法(術式)につき、その利害得失を理解した上で、当該療法(術式)を受けるか否かについて熟慮し、決断することを助けるために行われるものである。」と判示しており、前記2記載の裁判例も、同判示内容を引用しています。 すなわち、医師による「説明」は、患者がそれを「理解」し、「熟慮」のうえで「決断」をするために必要十分なものでなければならないのであり、医師は、「その説明が患者の理解・熟慮・決断のためにある」ということを常に意識しておく必要があります。そして、その説明義務の範囲・内容は、基本的には診療当時の医療水準を基に判断されることになりますが、前記3記載の裁判例が判示するとおり、診療当時の医療水準にまでは至っていない療法(術式)についても説明義務が課される場合がありますので、その具体的範囲・内容については、個々の患者の具体的な意向等を踏まえての検討を行う必要があります。そして、その検討過程等については、できるだけ診療記録等へ記載しておくことが肝要です。