No.31/ペイハラと応需応召義務-診療拒否-(東京地裁H29.2.9 判決)

No.31/2021.4.1 発行

弁護士 川島陽介

1.はじめに

医療者のみなさまは、「この患者さんの診療をしたくない(または継続したくない)」などと思われたことがありませんか。それでも診療を継続されたことがほとんどではないかと思います。それは医療者には医師法19条1項に規定されている「応需応召義務」があるため、診療を断ることができないと考えておられるからではないでしょうか。確かに医師法19条1項は「応需応召義務」を規定し、医療者に診療する義務を課しています(医療機関も判例上診療拒否ができないとされています)が、全く例外がない訳ではなく、「正当な事由」が認められる場合には、診療を拒否できるとされています。今回の臨床医療法務だよりでは、この「正当な事由」を認め、診療拒否に対する患者からの損害賠償請求を排斥した裁判例を紹介したいと思います。なお、この裁判例は歯科医院の歯科医に関する事案ですが、その判断内容はそのまま医院・病院の医師にも妥当します。

2.事案の概要

本件は、 歯科医院A でインプラント治療を受けた患者B が、歯科医A が、患者B の意向及びインフォームドコンセントを無視し、患者B との間の信頼関係を破壊した上、一方的に診療拒否を通告し、治療を放棄したと主張して、損害の賠償を求めた事案です。争点は主に、①歯科医A は患者B の意向を無視して本件治療を行ったか、②歯科医Aは患者B に対して事前に適切な説明を行ったか、③歯科医A はは患者B との間の信頼関係を破壊したか、歯科医Aが患者B に対して本件治療の終了を通告し,以後の診療を拒否したことには「正当な事由」があるか、といった点でした。

3.裁判所の判断

結論として、原告(患者B)の主張はいずれも認められないとして、請求排除の判決が下されました。争点③が「応需応召義務」に関係する点ですので、この点を中心に判決を紹介させていただきます。本判決は、争点③について、歯科医A が患者B の意向やインフォームドコンセントを無視したとは認められないから、本件治療自体に信頼関係を破壊するような問題があったとは認められず、むしろ、 患者B は歯科医A や職員からの診療上の指示を守らず、「てめえうそついてんじゃねーよ」などの暴言を繰り返していたことが認められるとしました。また、 歯科医A が患者B に対してコミュニケーションが取れないことを理由として本件治療の終了を通告し、今後電話や来院があっても診療を拒否することを決定したことについても、患者B の言動により患者B と歯科医A との間の信頼関係が破壊されていたことに加え、治療が予定した最終段階まで実施されていたこと、患者B が主観的な不満を理由として実施済みの治療行為に関する治療費の支払を拒否することが複数回あったことなどといった事情を基に、 歯科医A が患者B の診療を拒否したことには「正当な事由」(歯科医師法19 条1 項)があるとしました。

4.解説

本判決は、歯科医師法19 条1 項の規定する「応需応召義務」に関し、診察治療を拒むことができる「正当な事由」の有無について判断しているケースであり、歯科医の事案ではありますが、同様に医師についても今後の実務の参考になるものと思われます。判決文を見るとわかりますが、この歯科医院では、患者とのやり取りについて,診療録に詳細な記録を残し、かつ、一部の会話は録音する等の対応をしていたようです。そのため裁判所も患者の行った横暴横柄な対応について詳細に認定しています。この裁判の原告である患者Bは、診療上の指示を守らないことが頻繁にあったのみでなく、歯科医や職員に対し、「てめえうそついてんじゃねーよ」「私がそういう話で契約したんだから,やれよ」「最初の時に出来ると言ったことがなぜ出来ないの! ! ?サギじゃん! ! !」「プライドもってやって下さい。△△の社長に,『おたくの載せてる歯医者こんなことやってます』って言ってやろーか」などの暴言を繰り返していたとの認定もされています。加えて、治療費の拒否も複数回あったことも認定されていますので、この患者は、相当なペイハラ(ペイシェントハラスメント)患者であったことが窺えます。

5.コメント

この判決の事案は特殊なものなのかもしれませんが、みなさまを悩ませている昨今の病院内におけるペイハラ事案に鑑みると、必ずしも“対岸の火事”ではなく、同様の対応を行うべき事案に遭遇するかもしれません。実際の事案で「正当な事由」が認められるかはケースバイケースではありますが、厚生労働省の通達や日本医師会の指針、裁判例の傾向からすると、医療者と患者(ないし家族)との間に「信頼関係」が必要不可欠であるとの前提のもと、①信頼関係が失われた時には、②患者への診療に緊急性がなく、③代替する病院等が存在する限り、診療拒否に「正当な事由」を認めることはできると考えられます(臨床医療法務だよりNo.24をご参照ください。)。いずれにしても、本裁判例は、ペイハラ患者に対し、どのような場合に診療拒否を行うことできるかという観点から参考になるものと思われます。 余談ですが、この裁判例の事案もそうですが、事実関係を明確に示すことができるよう、証拠資料を残すことは極めて重要です(それができたからこそ、この裁判例でも歯科医師の対応に正当事由が認められています。)。日ごろから診療録への詳細な記載を心掛けるとともに、問題となりそうな事案については必要に応じて録音・録画することなども検討されるとよいと思われます。