No.162/裁判例にみる‟医療者のインフォームド・コンセント” その2 2.高齢化社会の深化とインフォームド・コンセントの新しい展開(ACPとSDM)

No.162/2024.9.2発行
弁護士 福﨑博孝

裁判例にみる‟医療者のインフォームド・コンセント” その2
2.高齢化社会の深化とインフォームド・コンセントの新しい展開(ACPとSDM)

2.高齢化社会の深化とインフォームド・コンセントの新しい展開(ACPとSDM)

これまでのICの法理は、超高齢化社会(高齢者の多死社会)において、その変革を余儀なくされているようです。すなわち、超高齢化社会においては、その多くの人が自らの判断と意思決定を外部に表明できないままで死を迎えざるを得ないことが多くなっており、これまでのIC概念のみでは対応できなくなっているのです。また、人類における医療や科学の進歩は、治療などの医療行為の選択の幅を拡げており、それをこれまでのIC概念のみで選択させることには困難を伴うことも否定できなくなっています。そこで新たに登場したのが、アドバンス・ケア・プラニング(ACP)であり、また、シェアード・ディシジョン・メイキング(SDМ)であるといえます。そして、そのことは、ICについての今後の判例・裁判例にも影響を及ぼしてくるはずです。

(1)アドバンス・ケア・プラニング(ACP)

人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)では「ACP(アドバンス・ケア・プラニング)」が取り入れられています。そして、日本老年医学会の「ACP推進に関する提言(2019年)」(以下、「ACP提言」といいます。【注1】)では、「ACPは将来の医療・ケアについて、本人(筆者注:患者本人・入所者本人等)を人として尊重した意思決定の実現を支援するプロセスである」(2頁)と定義付けされ、さらには、「ACPの実践のためには、本人と家族等と医療・ケアチームは対話を通し、本人の価値観・意向・人生の目標などを共有し、理解した上で、意思決定のために協働することが求められる(【注2】)。ACPの実践によって、本人が人生の最終段階に至り意思決定が困難となった場合も、本人の意思をくみ取り、本人が望む医療・ケアを受けることができるようにする。」(2頁)と説明されています。すなわち、「患者・家族・医療従事者の話し合いを通じて、患者の価値観等を明らかにし、これからの治療・ケアの目標や選考を明確にするプロセス」を意味し、患者が、家族等・医療者・介護提供者と一緒に、現在の病気だけでなく、判断能力・意思決定能力が低下した場合に備えて、終末期を含めた医療や介護のことを話し合うことや、意思決定ができなくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人(代弁者)を決めておくプロセスを意味するのであり(【注3】)、「人生会議」とも呼ばれています(【注4】)。要するに、ICなどに基づく患者本人の意思決定とはいっても、人生の最終段階においては、多くの場合に判断能力・意思決定能力を欠くことになるのであり、それを想定したICの実現方法を模索しているといえます。そして、それ以上に、判断能力・意思決定能力を欠いている高齢者のICを実質化しようという試みでもあります。

【注1】ACP提言では、「本提言は厚生労働省『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』および本学会の『立場表明2021』と『高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン-人工的水分・栄養補給の導入を中心として』と共通の理念によって策定されている。」(ACP提言1頁)とされています。

【注2】ACP提言では、「意思決定プロセスのあり方」として、「医療・ケア従事者は本人および家族や代弁者らとの共同意思決定、すなわち、十分なコミュニケーションを通し、関係者皆が納得できる合意形成とそれにもとづく選択肢と意思決定を目指す。共同意思決定においては、医療・ケアにおける意思決定の分岐点で利用可能なすべての治療・ケアの選択肢を挙げ、各選択肢のメリットとデメリットを比較検討する。そして、本人の人生にとって最善の実現のために関係者皆でよく話し合い、一緒に考えるコミュニケーションのプロセス通して、皆が納得できるような合意を形成し、意思決定する。」(3頁)としており、SDМ(共有意思決定、協働意思決定)の手法をも採用しているように思えます。

【注3】ACP提言では、「本人の意思決定能力が低下した場合であっても本人の意向を尊重することが大切である。そのために代弁者を選定する。代弁者は本人の意向によって選定されることが望ましく、代弁者となる人は自分が代弁者であることを承認していることが必要である。すでに本人が意思を表明できなくなっている場合は、本人と信頼関係があり、本人の価値観を理解した上で本人の推定意思を伝えることができる人が関係者の合意の上で代弁者となることが、本人の意思をくむために重要である。一般的には、本人の家族、親族、友人や本人をよく知る人が代弁者となることが望ましい。任意後見人・成年後見人が代弁者の役割を兼ねることもあるが、後見人は医療行為の同意権を有さず、代弁者として医療行為の同意権を有しているわけではない。いずれにしても、医療・ケアチームと協働し、本人の意思決定を支えることが求められる。」(5頁)としています。

【注4】ACP提言では、「本人・家族らと医療・ケアチームが話し合いを繰り返しても合意を形成することが困難な場合や判断に迷う際には、倫理コンサルタントに相談したり、倫理委員会に諮ったりすることも検討すべきである。身近に倫理的な問題の相談窓口がない場合でも、医療・ケアチーム以外の複数の専門家を含めた話合いの場を別途設置し、方針等について協議したり助言を得たりすることに努めるべきである。」(6頁)としており、最終的には、倫理コンサルタントチーム、臨床医療倫理委員会などが関わる必要もあります。

(2)シェアード・ディシジョン・メイキング(SDМ)

いまの臨床医療には、「医療者から提示された情報」による‟患者の自己決定”(IC)が必要不可欠とされており、いわゆる「情報提供型の意思決定支援」がICの基本となっています。しかしその一方で、「医師は説明する役割」、「患者は医師の説明を聞いて自分で決める役割」という‟役割分担”が(悪い意味で)明確になって固定化し、逆に、‟そのことが「患者の意思決定の阻害要因」になることがある”といわれるようになったのです。医学・医療の知識に乏しい患者、大病で精神が弱っている患者に、エビデンスが十分ではなく確実性は高くないがそれなりに期待できそうな治療法を、その複数の選択肢の中から自ら選ばせて決定させること(自己決定権を行使させること)は容易なことではなく、また、そのままでは残酷なことでもあります。そしてそれは、そのような患者に選択肢の中から一つを選ぶことを促して、半ば強制して選択させる立場の医療者に対しても残酷を強いることになります。 そこで議論されるようになったのが「シェアード・ディシジョン・メイキング」(以下「SDM」といます。)であり、「共有意思決定」・「共同意思決定」・「協働意思決定」などと訳されています(【注5】)。これは、患者側と医療者側の双方が医学的な意思決定プロセスに貢献することを目指し、医療者が患者側に治療法や代替法を説明し、さらには、患者が自分の価値観や意向や希望に最も合った治療法等の選択ができるよう、医療者が積極的に支援するものなのです。患者ひとり一人の生活環境や習慣・好み・思いを医師やその他の医療スタッフが共有し、病気や治療法に関しても十分に理解してもらった上で、その患者が最も納得できる最善の治療法を選択する手法であり、医療者と患者がエビデンス(科学的根拠)を共有して一緒に治療法を決定することになります(【注6】)。 いずれにしても、特定の場面でのことではありますが、‟シェアード・デシジョン・メーキング(SDМ)に基づいた共有意思決定”こそが‟理想的なICの一場面”であるともいえるのかもしれません(【注7】)。もっとも、ICとSDМはその適用場面に相違がありますので、「臨床医療の場では、状況に応じてICが適切か、SDМが適切か、医療者は両方の可能性を考え、それを区別して患者とのコミュニケーションを進める必要が生じる」(【注8】)ということなのです(「これから始める! シェアード・ディシジョンメイキング~新しい医療のコミュニケーション~編者中山建夫〔日本医事新報社〕(以下「これから始める!SDМ」と言います。)」7頁)。

【注5】この点について、「これから始める!SDМ」では、「SDМにおいて『共有』すべきものは、『(双方の)情報・目標・責任』となる。そして、これらの共有を進めるために医療者と患者・家族の間で十分なコミュニケーションが必要とされる。コミュニケーションは、双方向性・交互作用があり、動的、すなわち時間とともに変化するプロセスという特性を持つ。…医師が診断結果と選択肢を一方的に患者や家族に預けて意思決定を求めることは、SDМと似て非なる行為と言える。」(12頁)と説明されています。

【注6】この点について、「これから始める!SDМ」では、「臨床の場面では『患者は医療者、特に医師の指示に従えばよい』という伝統的な医療の父権主義(パターナリズム)が根強く存在するのと同時に、近年では『患者のことを最も知っているのは患者であり、決めるのは情報を得た患者自身である』という一種の消費者主義(コンシューマーリズム)も力を得つつある。SDМは父権主義と消費者主義の対立的な関係を解き、患者と医療者の協働と問題解決をめざす新たな調和的アプローチと言える。」(1頁)とされています。

【注7】この点について、「これから始める!SDМ」では、「ICとSDМは重なる部分があり、明確な区別なく用いられている場合も少なくないが、両者の相違はいくつかの重要な視点を含んでいる。ICでは、医療者が最良と考える方法を提示し、(患者の納得が尊重されるにせよ)最終的にはそれに対する患者の『同意する・しない』が到達点であり関心事となる。一方、SDМでは患者と医療者が解決策を協力して見つけ出そうとする点で、医療者の主導するICと大きく異なる。つまり、『患者自身、そして医療者自身も、どうしたらよいか本当には分かっていないときに、協力して解決策を探す』取組みがSDМと言える。」(6頁)とされ、さらには、「SDМで重視されることは、『同意した・しない』という固定された結果ではなく、患者と医療者が共有する過程それ自体と両者の関係性の構築と言える。」(14頁)とされています。

【注8】この点について、「これから始める!SDМ」では、「SDМが特に意義を持つのは、何をしたら最も良い臨床的結果を期待できるのか分からないという状況である。これは、他の選択肢に比べて良い結果が期待できることを示した臨床研究が乏しい状況、すなわち最善の治療法が確立しておらず、その結果として治療の選択肢が複数存在してしまうような状況を指す。これを『不確実性の高い』状況と呼(ぶ)」(9頁)とされ、さらに、「すべての診療場面でICからSDМへの転換が必須とされているのではない。患者の状態を適切に評価し、その時点で利用可能なエビデンスを十分に把握した上で、その状況の確実性・不確実性を理解し、どのような意思決定・合意形成を行うことが最良か判断できる能力がこれからの医療者に求められるだろう。」(14頁)とされています。なお、「これから始める!SDМ」では、そのような例として、「未破裂脳動脈瘤をめぐるSDM」が取り上げられており(110~127頁)、「未破裂脳動脈瘤におけるSDМは、患者と医療者の間で、脳動脈瘤や身体状況に関する情報(破裂のリスク、治療のタイプ、治療のリスクや患者の状況、生命予後など)を十分に共有し、その上で患者の生き方やリスクについてコミュニケーションを通じて話合い、治療の判断を進めていく」(127頁)とされています。

(3)人生の最終段階での各ガイドラインにおけるACP、SDМ

本稿で取り上げている6つのガイドラインでは、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)やSDМ(シェアード・デシジョン・メイキング)を、インフォームド・コンセント(IC)の手法の中に‟取り入れているもの”と‟そうではないもの”に分かれます。しかし、近時の人生の最終段階(人の終末期ないしそれに近似する時期)における医療行為については、各ガイドラインに一定の位置づけがなされているか否かにかかわらず、ACPとSDМを取り入れた考え方や解釈をしなければならないものと思われます(【注9】)。そしてそのことは、これらガイドラインの基本(原則的ガイドライン)となっている「人生の最終段階ガイドライン」(平成30年版)が明らかにしています。

【注9】本稿で取り上げている6つのガイドラインを作成年代別に並べてみると、❶終末期医療のガイドライン(平成19年5月)、④宗教的輸血拒否ガイドライン(平成20年2月)、⑥高齢者ケアのガイドライン(人工的水分・栄養補給)(平成24年6月)、②救急・集中医療に関する3学会提言(平成26年11月)、③DNAR勧告(平成29年1月)、①人生の最終段階ガイドライン(平成30年3月)、⑤透析の開始と継続に関する提言(令和2年4月)ということになります。 このうち①人生の最終段階ガイドライン(平成30年3月)にACPとSDМの考え方が取り込まれているのは間違いありません。また、ガイドラインとして最も新しい⑤透析の開始と継続に関する提言(令和2年4月)では明示的にACPとSDМを取り入れています。さらに、⑥高齢者ケアのガイドライン(人工的水分・栄養補給)(平成24年6月)のガイドラインについては、平成24年の策定ではありますが、ACPが明示的に取り入れられ、一方、SDМも十分に意識したものとなっています。しかし、❶終末期医療のガイドライン(平成19年5月)、②救急・集中治療に関する3学会提言(平成26年11月)、③DNAR勧告(平成29年1月)は、その策定時期がかなり早い時期であることもあり、また、②と③は急性期にかかる終末期医療に関するものであることが多いことから、ACPとSDMはほとんど意識されていないような気がします。

ア ‟人生の最終段階ガイドライン“におけるACP、SDМ

人生の最終段階ガイドラインでは、【基本的な考え方】として、「4)人生の最終段階における医療・ケアの提供にあたって、医療・ケアチームは、患者本人の意思を尊重するため、患者本人のこれまでの人生観や価値観、どのような生き方を望むかを含め、できる限り把握することが重要です。また、患者本人の意思は変化しうるものであることや、患者本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、患者本人が家族等の信頼できる者を含めて話し合いが繰り返し行われることが重要です。」(2頁)とされており、平成30年3月の大幅改訂の目的の一つが「ACPやSDМを取り入れること」にあったのではないかと考えられます(【注10】)。 また、「患者本人の意思は変化しうるものであることを踏まえ、患者本人が自らの意思をその都度示し、伝えられるような支援が医療・ケアチームにより行われ、患者本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である。さらに、患者本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、家族等の信頼できる者も含めて、患者本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である。この話し合いに先立ち、患者本人は特定の家族等を自らの意思を推定する者として前もって定めておくことも重要である」(3頁)などという指摘は、明らかにACPの考え方に基づくものになっています。 そして、「透析の開始と継続に関する提言」では、「人生の最終段階ガイドライン」(厚労省)について、「2018年(平成30年)には、…人生の最終段階の医療とケアについて、患者にとって最良の選択を行うために繰り返し話し合うプロセスである共同意思決定(SDМ)と、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセスであるアドバンス・ケア・プラニング(ACP)の概念を盛り込んで改訂した。」(日本透析医学会雑誌53巻4号177頁)と的確な評価をしています。確かにそのとおり、そこにはSDМとACPの理念が色濃く反映されていますし、また、「透析の開始と継続に関する提言」においては、それがさらに濃厚さを増し、提言全体にSDMとACPの考え方が強く反映されることになります。

【注10】ICとSDМは重なる部分はありますが、すべての診療場面においてICとSDМへの転換が必須とされているわけではありません(「これから始める!SDМ」6頁、9頁)。しかし、「他の選択肢に比べて良い結果が期待できることを示した臨床研究が乏しい状況、すなわち最善の治療法が確立しておらず、その結果として治療の選択肢が複数存在してしまうような状況」(同14頁)においてはSDMが妥当すると考えられています。このような症例の一般的な例としては、「未破裂脳動脈瘤」などにおけるICにSDМが援用されることが多いのですが、終末期医療などにおいても、例えば、慢性腎臓病の患者の終末期には、その治療方法に選択肢が多く存在しており、その意味では、高齢者などに関する人生の最終段階における治療のICの過程においてSDМという手法を使うことには何らの違和感がありません。

イ ‟透析の開始と継続に関するガイドライン“におけるACP、SDМ

このガイドラインでは、冒頭の【緒言】において、「SDМ(シェアード・デシジョン・メーキング)に基づく決定およびACP(アドバンス・ケア・プラニング)の十分な実施も詳細に提示し、全国の透析施設で参考にできる内容とし、医療チームは、患者の意思を尊重し、その意向に寄り添いながら、本人が納得できる尊厳あるいは人生を送り、望む最期を迎えられることを目指した。」(177頁)としているとおり、ACPとSDMをその提言の中にふんだんに盛り込んでいます。 まず「提言2」では、「患者との共同意思決定(SDМ)」という項目をたてて「治療方針等の決定にあたっては、SDМ(シェアード・デシジョン・メーキング)のプロセスを採ることが望ましい。その際、慢性腎臓病(CKD)の診断、合併症、予後、各種治療法(生活習慣改善、食事・運動・薬物療法、RRT)の利益・不利益・生活に与える影響等に関して、わかりやすい言葉で説明し、理解を得る。」、「患者の話を傾聴し、患者がどの程度情報を理解しているかを確認するとともに、患者の価値観、意向、楽しみ、生きがい、気にしていること、わからないこと、経済不安、生活環境、親族関係、ストレス、医療とケアの希望等についての情報も収集する。」、「効果的なコミュニケーションにより、疾病に対する患者の適応力の向上を支援し、患者が自身の病態と治療選択肢の利益および不利益を正確に理解できるまで質疑応答を繰り返す。患者の価値観や意向等を理解し、患者の利益に資する治療選択肢を提案し、合意形成を目指す。患者の最良の選択は、医学的・看護学的・看護学的に最良な医療とケアと異なる場合があり、お互いの見解も理解し、患者がすべての情報を正しく理解した上で、患者の価値観にあった最良の選択を行えるように支援する。」としています(202頁)。 また「提言3」では、「患者のアドバンス・ケア・プラニング(ACP)」という項目の下に、「ACP(アドバンス・ケア・プラニング)とは、患者・家族等・医療チームが、年齢や疾病の時期にかかわらず、本人の価値観や人生の目的を理解して共有し、意思決定能力が低下する時に備えて、事前に人生の最終段階における医療とケアについて考える機会をもち、本人を主体にこれらを計画する意思決定を支援する話し合いのプロセスである。医療チームは、ACPを適切な時期に実施し、本人の意思が尊重された医療とケアを受けるために早期から十分に話し合うことが重要であり、透析の開始時や病状の変化があった際に、ACPを十分に行う必要がある。」、「患者・家族等と意思決定プロセス(図-略-)(214頁)に準じて話し合いを繰り返して、患者の人生観、価値観、希望等を理解し、患者が重要と考える優先事項を把握し、患者の価値観に合うケアにより、患者の尊厳を保つことを目標にする。」としています(204頁)。 以上のとおり、透析の開始と継続に関するガイドラインでは、SDМとACPを深く追求しており(【注11】)、この2つの理念に基づく医療者の患者に対する対応がいかに重要なものかを考えさせられます。

【注11】「高齢腎不全患者のための保存的腎臓療法-SDМとACPの役割」(会田薫子 日老医誌2022;59:446-455)では、その「要約」(446頁)として、「長寿化に伴い医学的・倫理的に新たな課題が生じている。従来、末期腎不全患者には腎代替療法として血液透析を中心とする透析療法がおこなわれてきた。しかし、高齢者のなかには体外循環忍容性をもたない患者が少なくなく、血液透析によって益よりも害がもたらされる場合もあると報告されるようになってきた。老化が進行した高齢患者に対しては血液透析よりも対症療法と緩和ケアを軸とする保存的腎臓療法(CKM)のほうが生命予後と機能予後およびQOLに関して優位という報告もみられるようになってきた。こうした治験を背景に、西洋諸国ではCKMへのアクセスが拡大している。日本でも、『高齢腎不全患者のための保存的腎臓療法-CKMの考え方と実践』(2022)が刊行された。これは日本における最初の『CKMガイド』である。暦年齢だけでなく高齢者総合機能評価等を踏まえた療法選択が望まれる。」とされ、さらに、「療法選択に関する意思決定支援について、同『ガイド』は共同意思決定(SDМ)を推奨している。SDМでは医療・ケアチーム側からは医療・ケアの情報を患者・家族側に伝え、患者側は自らの生活と人生の物語りに関する情報を医療・ケアチームに伝える。双方はコミュニケーションをとりつつ、患者の価値観・人生観を反映した物語りの視点で最善の選択に至ることを目指す。SDМのプロセスをともにたどりつつ、将来、本人が人生の最終段階に至り意思決定能力が不十分となった場合に備え、本人の医療・ケアに関する意向を事前に把握するために双方で対話を繰り返しておくと、それがアドバンス・ケア・プラニング(ACP)になる。ACPの適切な実施は最期まで本人らしく生きることを支援する。」とされています。また、同誌では、「SDМもACPも本人を人として尊重しつつ意思決定を支援することを要点としている。これは臨床倫理の中心的な課題である。そのため、意思決定支援に際しては臨床倫理のガイドラインに沿ってそのプロセスを辿ることが重要である。」(452頁)ともされている。

ウ 高齢者ケアのガイドライン(人工的水分・栄養補給)におけるACP、SDМ

高齢者ケアのガイドラインの指針の大きな柱の一つに「医療・介護・福祉従事者は、患者本人およびその家族や代理人とのコミュニケーションを通して、皆が共に納得する合意形成とそれに基づく選択・決定を目指す。」(6頁)があります。そしてその上で、解説欄において、「本人の事前指示(AD)が望ましい場合や、今後の人生・生活の見通しを立てつつ、どのようなケアを受けたいかを本人・家族と話し合いながら考えていく(advance care planning)際にテーマとなるような問題であれば、早くから本人・家族との当該問題をめぐる話し合いを開始する。」(13頁)とされています。すなわち、このガイドラインでいう「医療者等と患者・家族等とのコミュニケーション」は、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)による手法を考えているということなのです。 そして、ここでは、「1.8 医療・ケアチームは、本人・家族にとって最善と思うところが明確であれば、それを勧めることは適切である。が、同時に、本人・家族は独立した存在であるのだから、それを押し付けてはならない。合意を目指して、ぎりぎりまでコミュニケーションを続ける努力をする。また、本人・家族は理だけで動くのではなく、情も兼ね備えているのだから、その気持ちに寄り添う対応が望まれる。」(7頁)などとされていますが、これもACPの理念に基づく対応を前提としているものと思われます。
さらに言えば、このガイドラインでは、「低いレベルの医学的エビデンスしかない場合、医療・介護側は選択肢の医学的評価について、自分たちの判断がたとえ実際上標準的であっても、それをあたかも確実なものであるかのように本人・家族に提示しない。また高いレベルのエビデンスがある場合でも、それに基づく選択肢についての判断を本人・家族の人生の事情に優先するものとして押し付けない。」(7頁)、「ある医学的介入を行うならば、死を当面避けることができ、一定のQOLを保った生の保持ないし快復が可能となる場合は、一般的にはその医学的介入を行うことが本人の益になる(=人生をより豊かにする可能がある)。しかし、当の本人の場合に最善かどうかを判断するためには、個別の人生の事情(についての本人の理解)を考慮に入れて、個別化した評価を行う必要がある。」(9頁)、「意思決定プロセスにおいては、本人・家族がAHNを導入しないことを含め候補となる選択肢を示され、各選択肢が本人の生活にもたらす益と害について知らされ、理解した上で、本人の意思(推定を含め)と人生についての理解に照らして最善の道を考えられるようにする」(11頁)などとされていますが、これなどは明らかにSDМによる手法を前提にしているように読めます。