No.161/裁判例にみる‟医療者のインフォームド・コンセント” その1 1.インフォームド・コンセントの歴史的な成り立ち

No.161/2024.8.16発行
弁護士 福﨑博孝

裁判例にみる‟医療者のインフォームド・コンセント” その1
1.インフォームド・コンセントの歴史的な成り立ち

1.インフォームド・コンセントの歴史的な成り立ち

医療者の業務(医業)には、歴史的にみても「倫理」の問題が密接に関わってきましたが、医療が人の命や健康を対象とするものである以上当然のことといえます。いまの臨床医療で実践されているインフォームド・コンセント(以下「IC」)も、この医療倫理の流れをくむものであり、生命や健康にかかわる「倫理」を抜きにしてはICという概念自体も成り立ち得ないといえます(なお、ここでいう「倫理」という言葉の本来の意味は、「倫」(人の輪、仲間)と「理」(ことわり)を合わせたもので、「社会生活を送る上での一般的な決まり事」と考えておけば理解がし易いと思います。)。また、ICについての判例・裁判例を理解する上でも、ICと倫理の関わり方を歴史的に見ておくことは非常に有益だと思われます。

(1)ヒポクラテスの誓いと医療倫理(パターナリズムの源流? ICの否定?)

ヒポクラテスは、紀元前420年ころの古代ギリシャに生まれた医師であり、「ヒポクラテスの誓い」を著わして「医聖」と呼ばれました。このヒポクラテスの誓いは、生命の尊重をうたい、医師としての最善の医療の施行を宣言するものであって、医師の同業者組合(ギルド)に入会しようとする者に神の前で誓わせたものといわれています。そしてこれは、近年に至るまで「医師の倫理観の基礎」とされてきましたが、その一方で、ヒポクラテスは、(‟ヒポクラテス誓い”には触れられていませんが)「素人である患者に詳細を説明することは患者を不安がらせるだけであり、何の益にもならない。」などとも言っているのです。すなわち、ヒポクラテスの言葉には、‟治療行為についての医師の説明や患者の理解・納得・同意”(IC)が言及されていないどころか、それを否定しているかのようでもあるのです。そしてそのことが、1960年代のアメリカにおいて、「医師のみに目を向けたパターナリズム」との批判を浴びることになってしまいます(そのことは後述します。)。

(2)ニュールンベルグ綱領と生命倫理(ICの萌芽)

1945年ドイツは連合国に対して無条件降伏しましたが、その終戦直後に、ナチスドイツの非人間的で残忍な人体実験・大量虐殺が発覚し、しかも、ドイツの精神科医その他の医師・人類学者などもそれに深く関わっていたことが判明して、戦犯として裁かれることになりました。この裁判こそが‟ニュールンベルグ国際軍事裁判”ということになります。この裁判で判明した非人間的な行為や犯罪的行為の内容を参考として、二度とこのような残忍な人体実験等が起こらないようにするため、1947年に綱領として採択されたのが「ニュールンベルグ綱領」ということになります。 ニュールンベルグ綱領では、‟人を対象とした医学的研究”においては、「その被験者の‟自発的な同意”が本質的に絶対に必要である」として、被験者の意思と自由を保護しています(綱領第1項では「最も重要なのは、被験者の‟自由意思による同意”である。」と宣明しています。)。しかしそれは、何も医学的研究だけの問題ではなく、臨床医療一般においても同様の倫理観・価値観が妥当するものだったのです。つまり、ニュールンベルグ綱領は、ナチスの非倫理的な残忍行為に対する倫理的規範として採択されたものですが、通常の臨床医療での場での‟医療者と患者との人間関係”における倫理的規範としても十分に役に立つものであり、そこに‟ICの萌芽”が見られるのです。また、ニュールンベルグ綱領には、直接的にはナチスドイツの行った非人道的な虐殺行為や人体実験に対する反作用という側面がありますが、その反作用の背景となった思潮は「ヒューマニズム・人道主義」以外に考えられません。そして、その後の医療の世界において、ニュールンベルグ綱領に依拠してICが成立したということは、IC自体の思想的な背景にも、ヒューマニズム・人道主義という思潮が存在するということになるといえます。

(3)世界医師会の1964年ヘルシンキ宣言(1975年東京修正)

ニュールンベルグ綱領は、戦後の各国の医師たちに深刻な衝撃を与えましたが、その波紋は、世界医師会でのその後の数年にわたる議論を経て1964年のヘルシンキ宣言に行き着きました。医学の進歩のためには人体実験が不可欠であることを認めながらも、‟被験者個人の利益と福祉”を、‟科学の社会に対する寄与”よりも優先すべきであるという原則に立ち、臨床研究の倫理を守るための具体的な手続を明らかにしたのです。要するに、学術知識を深め患者を助けるためには、研究室での実験結果をヒトに応用することが必要不可欠であるとの前提の下に、世界医師会は、医学研究に携わる医療者への指針としての勧告(ヘルシンキ宣言)を行いました。そしてこれが、現代の臨床研究の基本となっており、臨床医療におけるICの先駆けとなっているのです(そこでは、「医師は、被験者が研究の内容を知らされたうえで、自由意思で行う同意(IC)を、被験者からできれば文書によって得ておくべきである。」とされています。)。

(4)現代的意味でのIC概念の成立(パターナリズムの排斥)

以上のとおり、大戦後のニュールンベルグ綱領、世界医師会のヘルシンキ宣言には‟ICの萌芽”がみられます。しかし、これはあくまでも「ヒトを対象とした医学研究」(生体実験)を前提とするものであり、‟一般的な臨床医療”を対象としたものではありません。また、‟患者の人権”という側面からの直接的で具体的な捉え方もされてはいませんでした。そして、現在の臨床医療において一般化したICという概念の成立は1960年代のアメリカでの「患者の人権運動」まで待たなければなりません。つまり、ICは、アメリカ市民が患者の人権運動によって「医者任せの独善的な医療(パターナリズム医療)」から勝ち取った患者の権利(自己決定権)なのです。それ以前のアメリカでは、医師と患者との間で医療契約が結ばれると、医師に一切の裁量権が与えられると考えられていたようで(その背景には、「医師は害をなさない」というヒポクラテス思想が存在したかもしれません。)、それに疑問を持ったアメリカ市民の多くが、自分たちの受けた医療行為を知るために訴訟を提起するようになり、そこで裁判規範とされたのがニュールンベルグ綱領、ヘルシンキ宣言だったのです。そして、これらの裁判で成立した考え方が‟IC法理”だったのです。ICの法理は、自由主義・個人主義を基調とするデモクラシー社会のアメリカで、1960年代から1970年代初めにかけて、‟患者の権利と医師の義務という視点”からの‟患者と医師の人間関係”をめぐる新しい生命倫理観に基づく裁判上の法理として確立されたのです。 わが国も、このようにアメリカで成立したIC法理を臨床医療に輸入せざるをえませんでしたが、‟患者の権利と医師の義務という側面”が強すぎるアメリカのIC法理を日本的にアレンジして輸入しようとしました。日本医師会は1990年に「生命倫理懇談会報告書」を明らかにし、旧厚生省は1993年に「インフォームド・コンセントの在り方に関する検討会報告書」を公にしていますが、ここでは、‟権利と義務の相克”という側面よりも、‟ICを医療者と患者との人間関係の潤滑油”として捉え、‟より良き医療を成立させるための中核”として位置付けているのです。

(5)超高齢化社会とインフォームド・コンセントの新しい展開

しかし、これまでのICの法理は、超高齢化社会(高齢者の多死社会)において、その変革を余儀なくされているようであり、新しい展開を見せています。すなわち、超高齢会社においては、その多くの人が自らの意思決定と判断を外部に表明できないままで死を迎えざるを得ないことが多くなっており、これまでのIC概念のみでは対応できなくなっているのです(これは以前から予想されていたことではありますが、終末期においては約70%の患者で意思決定が不可能となっていると言われています)。また、人類における医学・医療の進歩は、治療などの医療行為の選択の幅を拡げており、それをこれまでのIC概念のみで選択させることには困難を伴うこととも否定できなくなっています。
そこで新たに登場したのが、シェアード・ディシジョン・メイキング(SDМ)であり、また、アドバンス・ケア・プラニング(ACP)であるといえるのではないでしょうか。

ア シェアード・ディシジョン・メイキング(SDМ)(ICの更なる進化・深化)

いまの臨床医療には‟患者の自己決定権に裏付けられたIC”が欠かせません(「情報提供型の意思決定支援」といわれています)。しかしその一方で、「医師は説明する役割」、「患者は医師の説明を聞いて自分で決める役割」という役割分担が(悪い意味)で明確になって固定化し、そのことが患者の意思決定の阻害要因になることがあります。医学・医療の知識に乏しい患者、大病で精神が弱っている患者に、エビデンスが不十分で確実性が高くない治療法などを、その複数の中から自ら選択させ決定させること(自己決定権を行使させること)は容易なことではなく、また残酷なことでもあります。 そこで議論されるようになったのが「シェアード・ディシジョン・メイキング」(以下「SDM」といます。)であり、「共有意思決定」・「共同意思決定」・「協働意思決定」などと訳されています。これは、患者側と医療者側の双方が医学的な意思決定プロセスに貢献することを意味し、医療者が患者に治療法や代替法を説明し、さらに、患者が自分の価値観や意向や希望に最も合った治療法等の選択ができるよう、医療者が積極的に支援するものなのです。患者ひとり一人の生活環境や習慣・好み・思いを医師やその他の医療スタッフが共有し、病気や治療法に関しても十分に理解してもらった上で、その患者が最も納得できる最善の治療法を選択する手法であり、医療者と患者がエビデンス(科学的根拠)を共有して一緒に治療法を決定することになります。 いずれにしても、「IC(情報提供)はSDM(意思決定支援)の中核をなすものである」ということは否定できません。むしろ逆に言えば、“理想的なIC”は、“シェアード・デシジョン・メーキング(SDМ)に基づいた共有意思決定”ともいえるのかもしれません。

イ アドバンス・ケア・プラニング(ACP)(ICが不可能となる前にACP-高齢患者へのICの実質化)

人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン(人生の最終段階ガイドライン〔平成30年版〕)では、「今回の改訂は、…近年の高齢多死社会の進行に伴う在宅や施設における療養や看取りの需要の増大を背景に、地域包括ケアシステムの構築が進められていることを踏まえ、また、近年、諸外国で普及しつつあるACP(アドバンス・ケア・プラニング:人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス)の概念を盛り込み、医療・介護の現場における普及を図ることを目的に、1)本人の意思は変化しうるものであり、医療・ケアの方針についての話し合いは繰り返すことが重要であることを強調すること、2)本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、その場合に本人の意思を推定しうる者となる家族等の信頼できる者を含めて、事前に繰り返し話し合っておくことが重要であること、3)病院だけでなく介護施設・在宅の現場も想定したガイドラインとなるよう配慮すること等の観点から、文言変更や解釈の追加を行いました。」(要約)とされています。 以上のとおり、人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)ではACPが取り入れられており、それは「患者・家族・医療従事者の話し合いを通じて、患者の価値観を明らかにし、これからの治療・ケアの目標や選考を明確にするプロセス」を意味します。すなわち、患者が、家族等・医療者・介護提供者と一緒に、現在の病気だけでなく、意思決定能力が低下した場合に備えて、終末期を含めた医療や介護のことを話し合うことや、意思決定ができなくなったときに備えて、本人に代わって意思決定をする人(家族等)を決めておくプロセス」を意味するのであり、「人生会議」とも呼ばれています。要するに、ICなどに基づく患者本人の意思決定とはいっても、人生の最終段階においては多くの場合判断能力・同意能力を欠くことになるのであり、それを想定したICの実現方法を模索しているといえます。そして、それ以上に、判断能力・同意能力を欠いている高齢者のICを実質化しようという試みでもあります。