No.155/重篤な肝硬変で生体肝移植の適応がある患者に対して、生体肝移植の説明をしなかった医師の説明義務違反が肯定された事例(大阪地裁平成22年9月29日判決)

No.155/2024.5.15発行
弁護士 永岡 亜也子

重篤な肝硬変で生体肝移植の適応がある患者に対して、生体肝移植の説明をしなかった
医師の説明義務違反が肯定された事例(大阪地裁平成22年9月29日判決)

1 事案の概要

平成16年12月29日、患者A(死亡時57歳の女性)は肝硬変、腹水貯留、高アンモニア血症及び肝性脳症等の治療のため、Y1病院に入院し、平成17年2月9日に退院してからは、月2回程度、Y1病院に通院していた。これら入通院期間中、主治医であるY2医師は、Aやその家族に対し、Aの肝硬変の治療法として「生体肝移植」に言及したことはなく、他方、Aやその家族からも「生体肝移植」についての質問や要望が出されたことはなかった。 平成19年9月4日、Aは肝硬変の悪化により、再びY1病院に入院した。新たに主治医となったB医師は、Aの家族に対し、生体肝移植のインフォームド・コンセントを実施し、その準備を進めていたが、同月6日、Aは死亡した。 なお、日本では、平成元年から小児に対する生体肝移植が行われ、平成5年から成人に対する生体肝移植も行われるようになり、大学病院等の地域の中核病院での実施に限られるとはいえ、平成15年末までに、2500例を超える生体肝移植が実施され、特に、平成13年から平成15年まで、毎年400例を超える生体肝移植が実施され、さらに、平成16年1月からは、肝硬変を含む成人についてのほとんどの肝臓の疾患に対し保険診療により生体肝移植を受けられるようになり、同年には500例を超える生体肝移植が実施され、最初の実施から同年末までに、50を超える施設で合計3000例を超える生体肝移植が実施されていた。また、肝移植の術死率は5%程度であるが、他方、生体肝移植後の患者の累積生存率については、同年末までの実施例において、18歳未満の患者で、1年後生存率85.8%、5年後生存率83.0%、10年後生存率78.2%であり、他方、18歳以上の患者で、1年後生存率78.0%、5年後生存率69.8%、10年後生存率64.0%となっていた。

2 裁判所の判断(大阪地裁平成22年9月29日判決)

(1) 生体肝移植に関するY1病院の医療水準について

ある疾病について新規の治療法が開発された場合、その治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるには、まず、その治療法が当該疾病の専門的研究者の間で、有効性と安全性が是認されていたことが必要である。そして、その有効性と安全性が是認されていたことを前提として、当該医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮し、当該医療機関において、その治療法に関する知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、上記知見は、当該医療機関にとって診療契約に基づき要求される医療水準であり、また、不法行為における担当医師の過失の基準としての医療水準でもあるというべきである。 生体肝移植の実施例や実施した施設が相当数に及んでおり累積生存率も相当高く、平成16年1月にはほとんどの肝臓の疾患に対し保険診療により生体肝移植を受けられるに至ったことを併せ考慮すると、平成16年1月ころまでには、生体肝移植は、重篤な肝硬変を含む重篤な肝臓疾患に対する根本的な治療法として専門的研究者の間で有効性と安全性を是認されていたものと認められる。 一般病院の内科医と生体肝移植の関係、Y1病院による重篤な肝臓疾患の患者の治療の実施と内科的治療の限界、生体肝移植が生命を救うための根本的治療法として保険診療の対象になっていること、Y1病院の内科医師の学会や大学医局の所属の状況やY1病院と大学病院との関係、生体肝移植の実施も想定した転医の実施例を併せ考慮すると、本件診療期間当時、Y1病院において、生体肝移植に関する知見を有することを期待することが相当と認められるから、生体肝移植の存在を前提にして重篤な肝硬変について検査・診断・治療等に当たることが、診療契約に基づきY1病院に要求される医療水準であり、また、不法行為におけるY1病院の担当医師の過失の基準としての医療水準でもあると認められる。 生体肝移植が健康なドナーも医療行為の対象としてその臓器の一部の移植を受け個人の倫理観にも直結する問題を有する点は、患者及びドナー等に対するインフォームド・コンセントの方法や内容の問題であって、根本的な治療法としての生体肝移植を説明すること自体を否定ないし消極の方向に導くものではない。また、患者に比べてドナー数が著しく少ない点も、患者ごとにドナーが存在するかどうかは異なるのであって、実施例や実施した施設が相当数に及び累積生存率も相当高いことから、根本的な治療法としての生体肝移植を説明すること自体を否定ないし消極の方向に導くものではない。

(2) Aの生体肝移植に対する適応について

Aの肝硬変は、平成16年12月29日の時点でChild-Pugh分類Cに該当し重篤な非代償性肝硬変で生命にかかわる状態であり、その後も、Child-Pugh分類BないしCであり、ことに平成18年6月以降は、Child-Pugh分類Cであったと推定される。また、6か月以内の死亡率を算定すると、平成16年12月29日の時点で90%を超えており、その後、入院治療で一旦はある程度回復し、平成17年2月7日には、18.3%まで低下したものの、退院後の同年3月22日頃には再び悪化し、79.1%となり、その後も、同年7月12日の49.9%を除き、50%を超える状況が続いていた。 以上によれば、Aの肝硬変は重篤な非代償性肝硬変であり、平成17年3月22日以降は、内科的治療には限界があって早晩死を免れず、生体肝移植の適応があったものと認められる。

(3) Y側の説明義務違反、過失について

生体肝移植の存在を前提にして重篤な肝硬変について検査・診断・治療等に当たることが、診療契約に基づきY1病院に要求される医療水準であり、また、不法行為におけるY1病院の担当医師の過失の基準としての医療水準であり、また、不法行為におけるY1病院の担当医師の過失の基準としての医療水準でもあるところ、Aは重篤な肝硬変であり、平成17年3月22日以降は、内科的治療には限界があって早晩死を免れず、生体肝移植の適応があったから、Y1病院の主治医であるY2医師には、同日以降、少なくとも、Aあるいはその家族に対し、Aの肝硬変が重篤であり内科的治療では早晩死を免れないこと、唯一の根本的な治療法として生体肝移植があること、生体肝移植にはAに肝臓を提供するドナーの存在が必要であり、ドナーにも合併症が起こる可能性があること、生体肝移植には保険適用があること、生体肝移植をするか否かは最終的にA本人及びドナー並びに家族が決めることを説明し、生体肝移植を実施するか否かをA及びその家族に判断させるべきであったものと認められる。 しかし、本件診療期間中、Y2医師は、Aやその家族に対し、Aの肝硬変の治療法として生体肝移植に言及したこと自体一切なく、この点において、Y2医師を履行補助者とするY法人につき診療契約上の説明義務違反があり、また、Y法人の被用者であるY2医師に不法行為における過失がある。

(4) 因果関係、損害について

平成17年3月22日以降、上記の説明が実施されて、Aが生体肝移植を受け、これにより死亡の時点(平成19年9月6日)においてなお生存していたことを是認することができる高度の蓋然性があるとまでは認められない。したがって、説明義務違反、過失とAの死亡の結果との間に相当因果関係があるということはできない。 もっとも、前記の術死率及び累積生存率の程度やドナーとなる者が存在していたことに照らすと、Y2医師において生体肝移植に関する説明を実施していれば、生体肝移植が実施されて死亡の時点において生存していた相当程度の可能性があり、しかも、その可能性は高いものと認められる。したがって、説明義務違反、過失により、Aは上記可能性を侵害されたものであり、この侵害によってAが被った損害につき、Y法人は債務不履行及び使用者責任に基づき賠償義務を負い、Y2医師も不法行為に基づき賠償義務を負う。 そして、生存についての相当程度の可能性を侵害されたことによる損害としては、上記侵害による精神的苦痛が認められるところ、Aは生体肝移植に関する説明を受けていた場合の生存の可能性が高いこと、その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、上記の精神的苦痛に対する慰謝料額は400万円が相当である。また、上記の慰謝料の額及びその他本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、本件の債務不履行及び不法行為と相当因果関係を有する弁護士費用は80万円が相当である。

3 まとめ

医療訴訟において、医師・医療機関の過失・責任の有無を判断するにあたっては、当該診療契約に基づき医師・医療機関に要求される「医療水準」がいかなるものであるのか、という問題が生じることになります。本判決において、「当該医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮し、当該医療機関において、その治療法に関する知見を有することを期待することが相当と認められる場合には、特段の事情が存しない限り、上記知見は、当該医療機関にとって診療契約に基づき要求される医療水準であり、また、不法行為における担当医師の過失の基準としての医療水準でもある」と述べられているとおり、「医療水準」とは、全国一律のものではなく、当該医療機関の性格や、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮し、判断されることになります。 本事案では、医師の説明義務違反の有無が争われましたが、説明義務違反が問題となる場面においても、「医療水準」の内容が影響することになります。なぜなら、当該診療契約に基づき医師・医療機関に要求される「医療水準」に含まれる医療行為については、医師が行うべき説明義務の範囲・対象に含まれるものと考えられるからです。本判決も、「生体肝移植の存在を前提にして重篤な肝硬変について検査・診断・治療等に当たることが、診療契約に基づきY1病院に要求される医療水準であり、また、不法行為におけるY1病院の担当医師の過失の基準としての医療水準でもある」ことを前提に、当該医師は、生体肝移植を実施するか否かを患者・家族に判断させるための説明をなすべきであったにもかかわらず、これを怠ったとして、説明義務違反を認めています(なお、「医療水準と説明義務の範囲・内容との関係性」については、臨床医療法務だよりNo.37で取り上げており、その中で本判決についても簡単に触れています。)。 本事案では、新規の治療法についての説明義務が問題となりましたが、患者の自己決定権を尊重する考え方からは、本判決も述べているとおり、少なくとも、当該疾病の専門的研究者の間で、その治療法の有効性と安全性が是認されている状況にあり、また、高次医療機関への紹介等により、その治療法の実施が可能である状況にある場合には、広くその説明を行うべきであると考えられます。