No.14/東京女子医大病院鎮静剤大量投与事件

No.14/2020.11.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

禁忌薬 の投与など医薬品添付文書(能書)に反する医療行為について
(東京女子医大病院鎮静剤大量投与事件)

1. はじめに

平成26年に、首にできた良性腫瘍「リンパ管種」の治療のため、東京女子医大病院で手術を受けた後、鎮静剤「プロポフォール」を大量投与された男児(当時2歳)が死亡した事故で、警視庁は、集中治療室の実質的責任者であった准教授など、担当した麻酔科医6人が術後の安全管理を怠ったとして、同人らを業務上過失致死容疑で東京地検に書類送検しました。医療行為について刑事事件にまで発展する例は、それほど多くありませんが、本件では、過失の内容・程度及び発生した結果の重大性を考慮し、刑事事件としての立件に踏み切ったようです。本件に関連して、添付文書( 能書)に記載された注意事項に反する医療行為の危険性・注意点などを過去の裁判における事例を踏まえて説明しようと思います。

2. 事案の概要

本件において男児に大量投与された「プロポフォール」は、人工呼吸中の子供への使用が原則禁止される「禁忌薬」とされており、添付文書にもその旨が明記されていました。もっとも、法的な規制まではなく、現場の医師の裁量で使用する例も多いようです(合理的な理由があれば許される場合もあります。)。元准教授らは、手術直後に、人工呼吸器のチューブが外れないよう、他の鎮静剤より効き目が良いプロポフォール の投与を開始し ましたが、翌日の心電図の異常な波形に気づくことなく、また、手術後3日目に、3度目の心電図異常を受けて 実施した超音波検査でも「異常なし」と判断するなどし、結局、投与は手術後 4日目の朝まで約70時間にわたって行われました。積算量は成人の許容量の2.7倍にまで達していたとのことです。警視庁は、全国の麻酔科医ら専門家への聴き取りを積み重ねたうえで、過去に子供にプロポフォールが使われた例が数多くあることを踏まえ、プロポフォールの「 投与行為」自体は過失に当たらないと判断しました(刑事事件としては「合理的な理由があり許される」とされたのかもしれませんが、民事事件では「投与が許される合理的理由」の証明が難しい場合も多いと思われます。)。⼀⽅で、男児の容体が悪化するリスクを考慮し、⼼電図の異常や尿量の減少が確認された際に投与を中⽌したり、他の鎮静剤に切り替えたりすれば死亡を回避できたとみて、「術後の安全管理を怠ったこと」を過失ととらえ麻酔科医6人を書類送検しました(添付文書とは異なる投与方法(禁忌薬剤の投与)を実施する以上、その後の経過観察については、極めて厳しい対応が要求されるはずです。)。なお、⼿術の執⼑医や主治医は、「術後の安全管理」への関与が薄いとして⽴件を見送られています。

3.医薬品添付文書と医療者の責任 (最高裁判決平成8年1月23日)

(1)添付文書に反する医療行為の適否について判断した最高裁の判例最判平成8年1月23日は、「医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定される」としました。医薬品の添付文書に記載された麻酔剤の使用上の注意事項が医師の注意義務の一つの基準になる( 法律用語では「規範性をもつ」と表現します。)ことを明らかにしたのです(逆にいえば、民事訴訟では「合理的な理由」を主張立証できれば、医師の過失は推定されません。) 。
(2)上記最高裁の事例で使用された麻酔剤の添付文書には「麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべき」と記載されていたにもかかわらず、当該医師は「5分間隔で血圧測定 」を行うよう看護師に指示していた、という事案であり、添付文書記載の2分ごとの血圧測定を行わなかった過失があるとして、民事上の損害賠償責任が認められました。
(3)なお、当該医師は「昭和49年当時は5分間隔が一般的開業医の常識 (=医療慣行) となっていたので過失は認められない」という主張もしていましたが、同判決はさらに「平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行……に従った医療行為を行ったというだけでは 、医療機関に要求される医療水準に基づいた注意義務 を尽くしたものということはできない」として、かなり厳しい判断をしました。要するに、医薬品添付文書に反する医療行為が当時の「医療慣行」となっていたとしても(一般開業医において当然に行われていることであったとしても)、当然に、医薬品添付文書に従わないことの「合理的理由」にはならない、ということになります。

4. 最判に照らして、東京女子医大 病院 の事案を考えると ・・・

東京女子医大病院の事案における警視庁の判断は、刑事上の責任に関するものです。上記の通り、「投与行為」 自体は過失とせず、「術後の安全管理」のみを過失と捉えて書類送検がなされていますが、民事上の責任を考えると、「投与行為」自体も過失にあたると判断される可能性があります (刑事責任を追及する場合の方がより重大な過失が要求されるため、刑事においては立件が見送られたものと思われます 。)。なぜならば、「投与行為」 自体が禁忌とされていた(医薬品添付文書で禁止されていた以上、民事の裁判においては、前述の最高裁判決の判断に従って、合理的理由がない限り過失が認められるからです。上記最高裁判決は、医療慣行に従ったとしても当然には、医薬品添付文書に反したことの合理的理由にはならないとしていますので、「過去に子供にプロポフォールが使われた例が数多くあった」というだけでは、合理的理由とは認められないでしょう。以上のとおり、民事訴訟においては、禁忌薬を投与した過失、その投与後の厳格な経過観察を怠った過失が争われることになり、刑事事件と異なり、より厳格な「合理的理由の立証」が求められることとなります。

5.医薬品添付文書に 反する医療行為の危険性及び注意すべき点

裁判において医薬品添付文書の規範性はかなり強く、それに反する医療行為によって、患者に後遺症が発生したり、死亡してしまった場合には、医療者が賠償責任を負わなければならない可能性が高いといえます。そのため、医薬品添付文書に反する医療行為は、とても慎重に行われる必要性があります。医薬品添付文書に反する医療行為に「 合理的な理由 」が認められる場合としては、医学文献等において、先端的治療法としての医学的有効性が認められている場合等が考えられます。また、医学文献等において、先端的な治療としての記載があり、十分な根拠を以って行う場合であっ たとしても、患者へのインフォームド・コンセントを疎かにすることはできません。医療者は、今から行う治療方法が「 先端的な治療であり、かつ、医薬品添付文書に反する方法ではあるが、十分な医学的根拠をもって行われること」などを十分に患者に説明し、それを理解・納得同意してもらうこと(インフォームド・コンセント)が重要です。十分な医学的根拠をもって 行った医療行為であったとしても、そのことを患者に十分に説明していない場合には、それ自体が 説明義務違反とされる可能性もあります。いずれにしても、添付文書に反する薬剤の投与又は異なる薬剤の投与方法をとる場合には、当該患者への厳格なインフォームド・コンセントと、当該患者の明確な理解と納得と同意が必要不可欠ということになりそうです。