No.134/人生の最終段階における医療行為とインフォームド・コンセント(ガイドラインの重要性)(その4)

No.134/2023.6.15発行
弁護士 福﨑博孝

人生の最終段階における医療行為とインフォームド・コンセント(ガイドラインの重要性)(その4)
(第3 救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3学会からの提言~)

第3 救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン ~3学会からの提言~

(はじめに)

急性期型の終末期ないしそれに近似した人生の最終段階での医療について考えるときには、救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン(いわゆる「3学会からの提言」)が欠かせません。これは、平成26年11月に日本救急医療学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会の3学会が合同して策定したものであり、臨床医療における急性期型の終末期医療には欠かせないガイドラインとなっています。しかしそれも、前述のとおり、上記「第2」で解説した「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」が基礎となっており、それを踏まえた考え方が示されています。 しかし、これらのガイドラインが作られる契機となった2つの安楽死・尊厳死にかかる刑事裁判の判決があり、そのことを認識しておく必要があります。それが「東海大学病院事件」(横浜地裁判決)と「川崎協同病院事件」(横浜地裁判決、東京高裁判決、最高裁判決)ということになりますが、その判決内容が、「人生の最終段階ガイドライン(厚労省)」をはじめとする多くの学会ガイドラインに影響を及ぼし、現在の臨床医療の現場に影響を及ぼしています(【注16】)。

【注16】以下の判例は、わが国の終末期医療の方向性を決めた重要なものであり、それによれば、終末期の医療には‟「治療行為の中止」という尊厳死”と重なる部分があり、そこでは患者の自己決定の理論と医師の治療義務の限界の問題に行きつくことを認識させてくれます。

(1)東海大学付属病院事件に関する横浜地判平成7・3・28(以下「東海大病院事件横浜地裁判決」)では、「医学の進歩は、様々な病気を克服してきており、また将来とも克服してゆくといえる。しかしなお、現代医学の知識と技術をもってしても、治癒不可能な病気が存在することも現実である。そうした病気に冒された患者が、治療を継続しても間近に死を迎えざるを得なくなりながら、一方では医学の進歩は、そうした患者についても生命を維持し延命を図ることを可能とし、患者は治る見込みのないまま、時には苦痛に苦しみながら命を長らえるという事態が出現した。こうした事態の出現は、医療のあり方についても再考をもたらし、病気への対応については患者自身が決定するという自己決定権の思想が高まり、生命の質を問う考えが出、治癒の見込みのない患者に対する末期医療のあり方が問題とされるようになった。そして、延命医療が進歩・普及するとともに、かえっていわゆる尊厳死あるいは自然死の思想が広がり、その延命医療の限度が問題とされ、さらにいわゆる安楽死についても、現代医療の現実の中で新たな思潮が生れつつあるように思えるのである。」と判示しています。

(2)そして、東海大病院事件横浜地裁判決では、‟尊厳死”(治療行為の中止)について、「一般論として末期患者に対する治療行為の中止の許容性について考えると、治癒不可能な病気に侵された患者が回復の見込みがなく、治療を続けても迫っている死を避けられないとき、なお延命のための治療を続けなければならないのか、あるいは意味のない延命治療を中止することが許されるか、というのが治療行為の中止の問題であり、無駄な延命治療を打ち切って自然な死を迎えることを望むいわゆる尊厳死の問題でもある。」と説明しています。そして、「こうした治療行為の中止は、意味のない治療を打ち切って人間としての尊厳性を保って自然な死を迎えたいという、患者の自己決定権を尊重すべきであるとの患者の自己決定権の理論と、そうした意味のない治療行為までを行うことはもはや義務ではないとの医師の治療義務の限界を根拠に、一定の要件の下に許容される」と判示し、許容される尊厳死(治療行為の中止)の根拠を「自己決定権」と「治療義務の限界」に求めています。 この点をさらに明確にしたのが、川崎協同病院事件に関する横浜地判平成17・3・25です(以下「川崎協同病院事件横浜地裁判決」)。すなわち、川崎協同病院事件横浜地裁判決は、「末期医療において患者の死に直結し得る治療中止の許容性について検討してみると、このような治療中止は、患者の自己決定の尊重と医学的判断に基づく治療義務の限界を根拠として認められる。」、「近時の高度な延命医療技術の発展の結果、過去の医療水準であれば人間の自然な寿命が尽きたと思われる後も、種々の医療機器等の活用によって生物学的には延命が可能な場合が生じ、過剰医療との批判も生じてきている。そのような状況が、患者に、自己の生の終わりをどのような形にするか、自己の生き方の最後の選択として、死の迎え方、死に方を選ぶという余地を与えるとともに、医師の側には、実行可能な医療行為のすべてを行うことが望ましいとは必ずしもいえないという問題を生ぜしめて来ているものと思われる。この前者が患者の終末期における自己決定の問題であり、後者が治療義務の限界の問題である。」と判示しています。

(3)しかしその一方で、川崎協同病院事件の東京高判平成19・2・28(以下「川崎協同病院事件東京高裁判決」といいます。)では、「自己決定権による解釈だけで、治療中止を適法とすることには限界がある」などと判示し、自己決定権と治療義務の限界から尊厳死の適法性を導き出すことに懐疑的です。そして、この東京高裁判決は、「いずれのアプローチ(自己決定権からのアプローチと治療義務の限界からのアプローチ)にも解釈上の限界があり、尊厳死の問題を抜本的に解決するには、尊厳死法の制定ないしこれに代わる得るガイドラインの策定が必要であろう。すなわち、尊厳死の問題は、より広い視野での下で、国民的な合意の形成を図るべき事柄であり、その成果を法律ないしこれに代わり得るガイドラインに結実させるべきなのである。」と判示し、尊厳死(治療行為の中止)を適法なものとするためには立法ないしそれに代わるガイドラインの策定が必要であるとしています。ここで取り上げる「人生の最終段階ガイドライン」、「3学会からの提言」などが、上記東京高判でいう「ガイドライン」に該当するということになりそうです。

Ⅰ.基本的な考え方・方法

急性期の重症患者を対象に治療を行っている救急・集中治療においては、患者背景にかかわりなく救命のために最善の治療や措置を行っている。しかし、そのような中で適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと思われる状況に至ることがある。その際の医療スタッフの対応は、‟患者の意思に沿った選択をすること”、‟患者の意思が不明な場合は患者にとって最善と考えられる選択を優先すること”が望ましいが、それらを考える道筋は明確に示されていない。 このような救急・集中治療における終末期治療に関する問題を解決するために、日本救急医療学会、日本集中治療医学会、および日本循環器学会(筆者注:いわゆる「3学会」)は、救急・集中治療における終末期の定義を示し、その定義を考慮したうえで患者、患者家族等や医療スタッフによるその後の対応についての判断を支援する必要があると考え、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン~3学会からの提言~」(以下、ガイドラインという)を作成した。 患者が救急・集中治療の終末期であるという判断やその後の対応は主治医個人ではなく、主治医を含む複数の医師(複数科であることが望ましい)と看護師らとからなる医療チーム(以下、「医療チーム」という)の総意であることが重要である。そして、悲嘆にくれる家族らの気持ちを汲み、終末期に対する家族らの理解が深まるように対応することが求められる。 一方、患者や家族らの意思は揺れ動くことがまれではないため、その変化に適切かつ真摯に対応することも求められる。医療チームで判断できない場合には、施設倫理委員会(臨床倫理委員会など)にて、判断の妥当性を検討することも勧められる(【注17】)。
本ガイドラインは三学会の合意のもとに救急・集中治療における終末期の判断やその後の対応について、考える道筋を示したものである。したがって、本ガイドラインの使用を強制するものではなく、どのように使用するかは各施設の選択に委ねられている。

【注17】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「(3)複数の専門家からなる話し合いの場の設置」という項において、「方針の決定に際し、〇医療・ケアチームの中で心身の状態等により医療・ケアの内容の決定が困難な場合、〇本人と医療・ケアチームとの話し合いの中で、妥当で適切な医療・ケアの内容について合意が得られない場合 〇家族の中で意見がまとまらない場合や、〇医療・ケアチームとの話合いの中で、妥当で適切な医療・ケアの内容についての合意が得られない場合等については、複数の専門家からなる話し合いの場を別途設置し、医療・ケアチーム以外の者を加えて、方針等についての検討及び助言を行うことが必要である。」(5頁)とし、そこでの「注16」においても「別途設置される話し合いの場は、あくまでも、本人、家族等、医療・ケアチームとの間で人生の最終段階における医療・ケアのためのプロセスを経ても合意に至らない場合、例外的に必要とされるものです。第三者である専門家からの検討・助言を受けて、あらためて本人、家族等、医療・ケアチームにおいて、ケア方法などを改善することを通じて、合意形成に至る努力をすることが必要です。第三者である専門家とは、例えば、医療倫理に精通した専門家や、国が行う「本人の意向を尊重した意思決定のための研修会」の修了者が想定されますが、本人の心身の状態や社会的背景に応じて、担当の医師や看護師以外の医療・介護従事者によるカンファレンス等を活用することも考えられます。」(6頁)としています。

1.救急・集中治療における終末期の定義とその判断

1)終末期の定義

「救急・集中治療における終末期」とは、集中治療室等で治療されている急性重症患者に対し適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと判断される時期である(【注18】【注19】)。

【注18】東海大病院事件横浜地裁判決では、このような治療行為の中止(尊厳死)が許容される要件として次の3つが挙げられています。すなわち、逆に言えば、‟この3要件が充たされない場合には、その医療行為の中止は違法であり許されない”ということになります。

① 患者が現在の医学の知識と技術をもってしても治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること(こうした死の回避不可能の状態に至ったか否かは、医学的にも判断に困難を伴うと考えられるので、複数の医師による反復した診断によるのが望ましいこと)。

② 治療行為の中止を求める患者の意思表示が存在し、それは治療行為の中止を行う時点で存在すること(原則要件)。

②´中止を検討する段階で患者の明確な意思表示が存在しないときには、患者の「推定的意思」によることを是認してもよいこと(例外要件)。

③ 治療行為の中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養・水分補給など、疾病を治療するための治療措置及び対症療法である治療措置、さらには生命維持のための治療措置など、すべてが対象となってよいと考えられること。

【注19】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「終末期」はもちろん「人生の最終段階」についても定義付けされておらず、「人生の最終段階には、がんの末期のように、予後が数日から長くても2-3か月との予測ができる場合、慢性疾患の急性増悪を繰り返し予後不良に陥る場合、脳血管疾患の後遺症や老衰など数か月から数年にかけ死を迎える場合があります。どのような状態が人生の最終段階かは、本人の状態を踏まえて、医療・ケアチームの適切かつ妥当な判断によるべき事柄です。また、チームを形成する時間のない緊急時には、生命の尊重を基本として、医師が医学的妥当性と適切性を基に判断するほかありませんが、その後、医療・ケアチームによって改めてそれ以後の適切な医療・ケアの検討がなされることになります。」(3頁注4)と説明されているだけです。すなわち、人生の最終段階ガイドラインは、急性期型、悪急性期型、慢性期型などすべてに対応するものと考えられており、具体的な定義付けを避けているように思えます。また、救命救急対応が必要な緊急時には、患者本人の意思を考慮する余裕がないことが多く、現実にもそれが困難であることも多いことから、生命の尊重を優先させ、医学的に妥当で適切な治療を行うしかないということも当然の前提としているような気がします。

2)終末期の判断

救急・集中治療における終末期には様々な状況があり、たとえば、医療チームが慎重かつ客観的に判断を行った結果として以下の(1)~(4)のいずれかに相当する場合などである。

(1)不可逆的な全脳機能不全(脳死判断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分な時間をかけて診断された場合

(2)生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、移植などの代替手段もない場合

(3)その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場合

(4)回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合

2.延命措置への対応

1)終末期と判断した後の対応(【注20】)

医療チームは、‟患者”および患者の意思を良く理解している‟家族や関係者”(以下、家族らという)に対して、患者の病状が絶対的に予後不良であり、治療を続けても救命の見込みが全くなく、これ以上の措置は患者にとって最善の治療とはならず、却って患者の尊厳を損なう可能性があることを説明し理解を得る。医療チームは患者、家族らの意思やその有無について以下のいずれであるかを判断する。

【注20】川崎協同病院事件横浜地裁判決では、「疑わしきは生命の利益に」(in dubio pro vita)という極めて重要な基本的視点が明らかにされています。すなわち、この原則は、生命の尊重及び平等性の保障を与えるものであり、「人工延命治療を最初から施さない場合、あるいは中止する場合、そこに合理的な疑念が存在する以上、生命に不利益に解釈してはならないこと」を意味します。具体的には、例えば、本人の意思を何ら確認することなく、医師が一方的に当該延命治療について「無意味」とか「無益」という価値判断を押し付けてはならないことを意味し、本判決では、「回復不能でその死期が切迫していることについては、医学的に行うべき治療や検査等を尽くし、他の医師の意見等も徴して確定的な診断がなされるべきであって、あくまでも『疑わしきは生命の利益に』という原則の下に慎重に判断が下されなければならない。」とか、「(患者の意思の推測等について)その探求にもかかわらず真意が不明であれば、『疑わしきは生命の利益』に医師は患者の生命保護を優先させ、医学的に最も適応した諸措置を継続すべきである。」などと判示しています。 もっとも、「疑わしきは生命の利益に」という考え方が、臨床の現場でどれくらい支持されているかは分かりません。むしろ、「患者にとっての最善の対応」は「疑わしき生命の利益」という考え方と衝突してしまうことも考えられます。最終的には、「患者本人にとって最善の対応をとる」ということがどういうことなのか、「患者の生命を縮めてしまうこと」が許されるのか等、臨床現場では悩ましい事態に陥りそうです。

(1)患者に意思決定能力がある、あるいは事前指示がある場合

患者が意思決定能力を有している場合や、本人の事前指示がある場合、それを尊重することを原則とする(【注21】【注22】(【注23】))。この場合、医療チームは患者の意思決定能力の評価を慎重に評価する。その際、家族らに異論のないことを原則とするが、異論がある場合、医療チームは家族らの意思に配慮しつつ同意が得られるよう適切な支援を行う。

【注21】「人生の最終段階ガイドライン(本文と解説編)では、「人生の最終段階における医療・ケアの在り方」という項で、「①医師等の医療従事者から適切な情報と説明がなされ、それに基づいて医療・ケアを受ける本人が多専門職種の医療・介護従事者から構成される医療・ケアチームと十分な話し合いを行い、本人による意思決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療・ケアを進めることが最も重要な原則である。また、本人の意思は変化しうるものであることを踏まえ、本人が自らの意思をその都度示し、伝えられるような支援が医療・ケアチームにより行われ、本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である。さらに、本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、家族等の信頼できる者を含めて、本人との話し合いが繰り返し行われることが重要である。この話し合いに先立ち、本人は特定の家族等を自らの意思を推定する者として前もって定めておくことも重要である。」(3頁)としています。

【注22】この点に関連するもので、蘇生措置拒否(DNAR)があります。これは尊厳死の概念に相通じるもので、がんの末期、老衰、救命の可能性がない患者などで、本人又は家族の希望で心肺蘇生措置(CPR)を行わないことを意味し、医療者の立場では同意書をとることが必要になります。 ところで、DNARについては、「DNAR指示のあり方についての勧告」(平成29年1月版 日本集中治療医学会)があり、そこでは、「DNAR指示のもとに基本を無視した安易な終末期医療が実践されている。あるいは救命の努力が放棄されているのではないかとの危惧が最近浮上してきた。日本集中治療学会理事会ならびに倫理委員会は、DNARの正しい理解に基づいた実践のためには下記の諸点について留意する必要があることを勧告する。」として、「1.DNAR指示は心停止時のみに有効である。心肺蘇生不開始以外ICU入室を含めて通常の医療・看護については別に議論するべきである。2.DNAR指示と終末期医療は同様ではない。DNAR指示にかかわる合意形成と終末期医療実践の合意形成はそれぞれ別個に行うべきである。3.DNAR指示いかかわる合意形成は終末期医療ガイドラインに準じて行うべきである。4.DNAR指示の妥当性を患者と医療・ケアチームが繰り返して話し合い評価すべきである。…7.DNAR指示の実践を行う施設は、臨床倫理を扱う独立した病院倫理委員会を設置するよう推奨する。」(日本集中治療医学会誌2017..24:208–9 208頁)としています。

【注23】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「本人の意思が確認できる場合」として、「①方針の決定は、本人の状態に応じた専門的な医学的検討を経て、医師等の医療従事者から適切な情報の提供と説明がなされることが必要である。そのうえで、本人と医療・ケアチームとの合意形成に向けた十分な話し合いを踏まえた本人による意思決定を基本とし、多専門職種から構成される医療・ケアチームとして方針の決定を行う。」、「②時間の経過、心身の状態の変化、医学的評価の変更等に応じて本人の意思が変化しうるものであることから、医療・ケアチームにより、適切な情報の提供と説明がなされ、本人が自らの意思をその都度示し、伝えることができるような支援が行われることが必要である。この際、本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、家族等も含めて話し合いが繰り返し行われることも必要である。」、「③このプロセスにおいて話し合った内容は、その都度、文書にまとめておくものとする。」としています。また、ここの「注10」では「よりよき人生の最終段階における医療・ケアの実現のためには、まず本人の意思が確認できる場合には本人の意思決定を基本とすべきこと、その際には十分な情報と説明が必要なこと、それが医療・ケアチームによる医学的妥当性・適切性の判断と一致したものであることが望ましく、そのためのプロセスを経ること、また合意が得られた場合でも、本人の意思が変化しうることを踏まえ、さらにそれを繰り返し行うことが重要だと考えられます。」(4頁)とされています。

(2)患者の意思は確認できないが推定意思がある場合

家族らが患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重することを原則とする(【注24】【注25】)。

【注24】尊厳死(治療行為の中止)が認められる根拠を「自己決定権」に求める以上、‟患者の意思の尊重”は当然のことであり、したがって、具体的な症例では‟患者の意思の確認方法”がきわめて重要な問題となってきます。そして、東海大病院事件横浜地裁判決は、①尊厳死(=消極的安楽死)としての治療行為の中止の場合や、②間接的安楽死としての生命短縮の副次的効果を伴った医療行為については、明示的な患者の意思表示のみでなく「推定的意思表示」も是認してよいと判示しています。すなわち、現実の医療の現場では、死が避けられない末期患者にあって、意識さえも明瞭ではなく、治療行為の中止等が検討される段階で、患者の明確な意思表示が得られないことが多いのですから、どうしても‟推定的意思の可否”が問題とならざるを得ないということなのです。特に、医療の現場では、家族から治療行為の中止や生命短縮の可能性のある治療行為(例えば、痛み止めの強い麻薬の投与など)を求められたりすることも少なくありません。そして、このような場合には、尊厳死(=消極的安楽死)・間接的安楽死について‟患者の意思の推定が許される”ということなのです(もちろん、積極的安楽死については‟その時点”での明示的な意思が必要とされていますから、現実にはこれが違法にならないという場合は極めて限定的です。)。 このような推定的意思を認定する際に「事前の意思表示が存在する」場合があります。そして、この点については、「患者自身の事前の意思表示がある場合には、それが治療行為の中止が検討される段階での患者の推定的意思を認定する有力な証拠となる。事前の文書による意思表示(リビング・ウィル等)あるいは口頭による意思表示は、患者の推定的意思を認定する有力な証拠となる」(東海大病院事件横浜地裁判決)とされています。また、患者の「事前の意思表示が何ら存在しない」場合においても、東海大病院事件横浜地裁判決は、「家族の意思表示から患者の意思を推定することが許される」とし、さらに、「こうした家族の意思表示から患者の意思を推定するには、家族の意思表示がそうした推定をさせるに足りるだけのものでなければならないが、そのためには、意思表示をする家族が、患者の性格、価値観、人生観等について十分に知り、その意思を適確に推定しうる立場にあることが必要であり、さらに患者自身が意思表示をする場合と同様、(家族も)患者の病状、治療内容、予後等について、十分な情報と正確な認識を持っていることが必要である」としているのです。そして、この場合の医師の側も、「患者及び家族との接触や意思疎通に努めることによって、患者自身の病気や治療方針に関する考えや態度、及び患者と家族の関係の程度や密接さなどについて必要な情報を収集し、患者及び家族をよく認識し理解する適確な立場にあることが必要である」とされ、その判断に厳格な態度で臨むことを求めています。

【注25】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)の「注13」では、「本人の意思決定が確認できない場合には家族等の役割がいっそう重要になります。特に、本人が自らの意思を伝えられない状態になった場合に備えて、特定の家族等を自らの意思を推定する者として前もって定め、その者を含めてこれまでの人生観や価値観、どのような生き方や医療・ケアを望むかを含め、日頃から繰り返し話し合っておくことにより、本人の意思が推定しやすくなります。その場合にも、本人が何を望むかを基本とし、それがどうしても分からない場合には、本人の最善の利益が何であるかについて、家族等と医療・ケアチームが十分に話し合い、合意を形成することが必要です。」(5頁)とされています。

(3)患者の意思が確認できず推定意思も確認できない場合

患者の意思が確認できず、推定意思も確認できない場合には、家族らと十分に話し合い、患者にとって最善の治療方針をとることを基本とする。医療チームは、家族らに現在の状況を繰り返し説明し、意思の決定ができるように支援する。医療チームは家族らに総意としての意思を確認し対応する。

① 家族らが積極的な対応を希望している場合

家族らの意思が延命措置に積極的である場合、あらためて「患者の状態が極めて重篤で、現時点の医療水準にて行い得る最良の治療をもってしても救命が不可能であり、これ以上の延命措置は患者の尊厳を損なう可能性がる」旨を正確で平易な言葉で家族らに伝え、家族らの意思を再確認する。家族らの意思の再確認までの対応としては現在の措置を維持することを原則とする。再確認した家族らが、引き続き積極的な対応を希望する時には、医療チームは継続して状況の理解を得る努力をする。

② 家族らが延命措置の中止を希望する場合

家族らが延命措置の終了を希望する場合、患者にとって最善の対応をするという原則に従い家族らとの協議の結果、延命措置を減量、または終了する方法について選択する(【注26】)。

【注26】延命治療の中止について家族の要請があったにもかかわらず、患者の推定意思を否定し、「法律上許されない治療行為の中止」と判断した最高裁判決があります。すなわち、川崎協同病院事件に関する最判平成21・12・7(以下「川崎協同病院事件最高裁判決」)は、「上記の事実経過によれば、被害者が気管支ぜん息の重積発作を起こして入院した後、本件抜管時までに、同人の余命等を判断するために必要とされる脳波等の検査は実施されておらず、発症からいまだ2週間の時点でもあり、その回復可能性や余命について的確な判断を下せる状況にはなかったものと認められる。そして、被害者は、本件時、こん睡状態にあったものであるところ、本件気管内チューブの抜管は、被害者の回復をあきらめた家族からの要請に基づき行われたものであるが、その要請は上記の状況から認められるとおり被害者の病状等について適切な情報が伝えられた上でされたものではなく、上記抜管行為が被害者の推定的意思に基づくということもできない。以上によれば、上記抜管行為は、法律上許容される治療中止には当たらないというべきである。そうすると、本件における気管内チューブの抜管行為をミオブロックの投与行為と併せ殺人行為を構成するとした原判決は、正当である。」と判示し、その上告を棄却しています。 患者本人の意思などが明らかではないにもかかわらず(患者本人の意思が明確であっても許容されないことはありますが…)、「家族の要請」だけで尊厳死や安楽死にあたる医療行為の中止や積極的医療行為の実施を行ってはならないことは当然のことです(東海大病院事件横浜地裁判決も川崎協同病院事件横浜地裁判決も、このような「家族の要請」ないし「家族の意思」による尊厳死や安楽死を認めてはいません。あくまでも「患者の意思の推定」なのです。)。もし、これが許されるとなれば(つまり、家族の要請で尊厳死や安楽死が許されるとすれば)、患者は生きたいと希望しているのにその患者の意思を無視して患者の事情だけで死に追いやられることとなり、患者の人権は無視されることとなります。したがって、前記の「家族の意思表示から患者の意思を推定する」ということと「家族の要請を容れる」こととは、全く次元の異なるものであることを忘れてはなりません。 しかし、その区別は簡単ではなく、医療の現場で安易に流れるおそれはないのでしょうか。わが国の医療現場では、がん告知を含めて患者の医療についての意思決定を、患者本人の意思にではなく「家族の代理的な意思」にゆだねる傾向があるように思われます。あくまでも「家族は患者本人ではない」という当然の原則を忘れてはなりません。このことが忘れ去られたところに、「家族の意思による患者本人の意思の推定」=「家族の要請」という極めて危険な誤った事態が待っている、ということができます。 もっとも、家族等の存在を無視することはできず、家族等により患者本人の意思が推定できないとしても、その家族等の存在を前提とする対応が必要です。すなわち、家族等が本人の意思を推定できない場合に、「家族の要請を受け入れること」と、「本人にとって何が最善であるかについて、本人に代わる者として家族等と十分に話し合い、本人にとっての最善の方針をとること」(人生の最終段階ガイドライン、3学会からの提言)とは別ものです。家族らが患者本人の意思を推定できないとしても、家族らの要望を受け入れるという意味ではなく、家族らと十分に話し合って「患者にとっての最善の治療方針」を考えることは極めて重要なことであり、単に「家族らの意見に従う」、「家族らの要請に応じる」という短絡的な対応では、患者の自己決定権を尊重することにはならない、ということなのです。

③ 家族らが医療チームに判断を委ねる場合

医療チームは、患者にとって最善の対応を検討し、家族らとともに‟合意の形成”をはかる。

(4)本人の意思が不明で、身元不詳などの理由により家族らと接触できない場合

延命措置中止の是非、時期や方法について、医療チームは患者にとって最善の対応となるように判断する(【注27】)。

【注27】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、「家族等がいない場合及び家族等が判断を医療・ケアチームに委ねる場合には、本人にとっての最善の方針をとることを基本とする。」とし、その「注14」においては、「家族等がいない場合及び家族等が判断せず、決定を医療・ケアチームに委ねる場合には、医療・ケアチームが医療・ケアの妥当性・適切性を判断して、その本人にとって最善の医療・ケアを実施する必要があります。なお家族等が判断を委ねる場合にも、その決定内容を説明し十分に理解してもらうよう努める必要があります。」(5頁)としています。

2)延命措置についての選択肢

一連の過程において、すでに装着された生命維持装置や投与中の薬剤などへの対応として、①現在の治療を維持する(新たな治療は差し控える)、②現在の治療を減量する(すべて減量する、または一部を減量あるいは終了する)、③現在の治療を終了する(すべてを終了する)、④上記のいずれかを条件付きで選択するなどが考えられる。延命措置を減量、または終了する場合の実際の対応としては、例えば以下のような選択肢がある(【注28】)。
(1)人工呼吸器、ペースメーカー(植込み型除細動器の設定変更を含む)、補助循環装置などの生命維持装置を終了する。(注)このような方法は、短時間で心停止となることもあるため状況に応じて家族らの立ち合いの下に行う。

(2)血液透析などの血液浄化を終了する。

(3)人工呼吸器の設定や昇圧薬、輸液、血液製剤などの投与量など呼吸や循環の管理方法を変更する。

(4)心停止時に心肺蘇生を行わない。

上記のいずれを選択する場合も、患者や家族らに十分に説明し合意を得て進める。延命措置の差し控えや減量および終了等に関する患者や家族らの意向はいつでも変更できるが、状況により後戻りできない場合があることも十分に説明する(【注29】)。患者の苦痛を取るなどの緩和的な措置は継続する。筋弛緩薬投与などの手段により死期を早めることは行わない。

【注28】東海大病院事件横浜地裁判決が許容している対象の治療については、「治療行為の中止の対象となる措置は、薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸器、輸血、栄養・水分補給など、疾病を治療するための治療措置及び対症療法である治療措置、さらには生命維持のための治療措置など、すべてが対象となってよいと考えられること。」と判示しています。 また、この点について、東海大病院事件横浜地裁判決は、「どのような措置を何時どの時点で中止するかは、死期の切迫の程度、当該措置の中止による死期への影響の程度等を考慮して、医学的にもはや無意味であるとの適正さを判断し、自然の死を迎えさせるという目的に沿って決定されるべきである」、「この死の回避不可能な状態というのも、中止の対象となる行為との関係で、ある程度相対的にとらえられるのであって、当該対象となる行為の死期への影響の程度によって、中止が認められる状態は相対的に決してよく、もし死に対する影響の少ない行為ならば、その中止はより早い段階で認められ、死に結びつくような行為ならば、まさに死が迫った段階に至ってはじめて中止が許される」としています。しかし、東海大病院事件横浜地裁判決のように、‟栄養・水分補給措置”を中止することを許容することについては、かなり批判されていることを忘れないでください。

【注29】「人生の最終段階ガイドライン」(解説編)では、延命措置についての選択肢を具体的に挙げておらず、【基本的な考え方】として、「3)人生の最終段階における医療・ケアにおいては、できる限り早期から肉体的な苦痛等を緩和するためのケアが行われることが重要です。緩和が十分に行われた上で、医療・ケア行為の開始・不開始、医療・ケアの内容の変更、医療・ケア行為の中止等については、最も重要な本人の意思を確認する必要があります。確認に当たっては、適切な情報に基づく本人による意思決定(インフォームド・コンセント)が大切です。」(2頁)と記述しているのみです。

Ⅱ.医療チームの役割

救急・集中治療に携わる医療チームは、その専門性に基づき、医療倫理に関する知識や問題対応に関する方法の修得をすることが求められるが、それらの治療チームによって患者が終末期であると判断され、その事実を告げられた家族らは、激しい衝撃を受け動揺する。このような状況においても家族らが患者にとって最善となる意思決定ができ、患者がよりよい最期を迎えるように支援することが重要である。そのために医療チームは、家族らとの信頼関係を維持しながら、家族らが患者の状況を理解できるよう情報提供を行う必要がある。また、家族の一人を喪失することに対する悲嘆が十分に表出できるように支援する。終末期の家族ケアの詳細については「集中治療における終末期患者家族へのこころのケア指針」などを参考にする。

Ⅲ.救急・集中医療における終末期医療に関する診療記録記載について

1.終末期における診療記録記載の基本(【注30】)

担当する医師らは基本的事項について確認し、的確、明瞭に記載する。このことによって、終末期の診療における様々な問題を把握し、終末期における良質な医療を展開することが可能になる。 また、のちに検証を受けた際などにも、医療チームによる方針の決定、診療のプロセスなどが、医療倫理に則り妥当なものであったといえる記載に心がける。

【注30】「人生の最終段階ガイドライン解説編」では、「③このプロセスにおいて話し合った内容は、その都度、文書にまとめておくものとする。」(4頁)、「④このプロセスにおいて話し合った内容は、その都度、文書にまとめておくものとする。」(5頁)と記述し、さらに注15(同5頁)において、「本人の意思が確認できない場合についても、本人の意思の推定や医療・ケアチームによる方針の決定がどのように行われたのかのプロセスを文書にまとめておき、家族等と医療・ケアチームとの間で共有しておくことが、本人にとっての最善の医療・ケアの提要のためには重要です。」(5頁)と記載してありますが、「3学会からの提言」ほどは詳しくはありませんので、「3学会からの提言」の記載項目を参考にして下さい。

以上の観点から、終末期における診療録記載に当たっては、以下の次項を含むことが求められる。

1)医学的検討とその説明

(1)終末期であることを記載する。

(2)説明の対象となる家族らとその範囲などを記載する。

(3)上記(1)について家族らに説明した内容を記載する。

(4)上記(3)に際して家族らによる理解や受容の状況を記載する。

2)患者の意思について

(1)患者の意思、または事前意思の有無を記載する。

(2)上記(1)がないか不明な場合は、家族らによる推定意思を記載する。

3)終末期への対応について

(1)患者の意思、または事前意思の内容を記載する。

(2)家族らによる推定意思を記載する。

(3)家族らの意思を記載する。

(4)患者にとって、最善の選択肢についての検討事項を記載する。

(5)医療チームのメンバーを記載する。

(6)法律・ガイドライン・社会規範などについての検討事項を記載する。

4)状況変化とその対応について

(1)上記1)の変更について記載する。

(2)上記2)の変更について記載する。

(3)上記3)の変更について記載する。

5)治療および方針決定のプロセスについて

(1)いわゆる5W1H(いつ、どこで、誰が、何故、何を、どのように)を記載する。

(2)以上の結果について記載する。

2.死亡退院時の記録

1)解剖の説明に関する記録

(1)剖検・解剖の種類について家族らへの悦明を記載する。

(2)家族らからの諾否について記載する。

(3)解剖の結果などについての説明を記載する。

2)退院時要約の記載

(1)病院の運用手順に基づいて共通の書式で記載する。

(2)主傷病名・副傷病名、手術名・処置名などに関するコード化について留意する。

(3)症例登録、臨床評価指標などについて留意する。

3)退院時に必要な文書の記載

(1)死亡診断書または死体検案書、入院証明書、保険関連書類等を必要に応じて作成する。