No.13/医療紛争を回避するために医療者は何をすべきか!?(その3)
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No.13/2020.11.1発行
弁護士 福﨑 博孝
3.診療記録への記載と紛争回避機能
医療者の患者家族へのインフォームド・コンセント(以下「IC」)は、必ず診療録(カルテ)・看護記録等(以下「診療記録」)に記載する必要があります。そのことが医療事故紛争(特に医療訴訟)において、医療者自らを守ってくれることは多言を要しません。しかし、それ以上に重要なことは、診療記録への医療側のいうとおりの記載があることから、患者家族がその記載を信頼して(信頼せざるを得なくて)、それ以上の医療紛争へと進展を防いだ事例も多いという点です。今回は、そのことを話ししてみたいと思います。
(1)診療記録による真実の担保(裁判所の考え方)
医師には、医師法24条によって、「診療録の作成・保管義務」が課されています。また、「看護記録等の診療録以外の診療記録に不備がないか点検すべき義務がある」(甲府地判平成16・1・20)ともされています。そして、診療録の記載は、「医師が患者の症状を“どのように把握し、診療計画を立て、治療をしたか”を如実に表している」(東京地判平成15・3・12)とされ、さらに、「診療録の記載内容は、それが後日改変されたと認められる特段の事情がない限り、医師にとっての“診療上の必要性”と“医師法24条の法的義務”との両面によって、その真実性が担保される」(東京高判昭和56・9・24)ともされています。すなわち、診療記録の記載内容はその真実性が担保されていることから、診療記録には、原則として“高い証明力”が認められ、訴訟上においては、原告(患者)にせよ、被告(医師など)にせよ、診療記録の記載と異なる診療経過を主張して争うことにはかなりの困難を伴うことになります。そして、このこと(診療記録に記載されていることは真実だろうということ。それはそう簡単に争えないということ)は、裁判官が考えるだけのことではなく、患者家族の考え方(認識)にもなっているといえます。
(2)診療記録への記載・不記載の意味するもの(裁判所の考え方)
以上からすれば、患者側(原告)の主張が診療記録(カルテ・看護記録等)の記載内容に合致しないと、「医療者側の主張が真実に合致する」と判断されることが多いということになります。しかし逆にいうと、医療者側が診療記録の記載と異なる診療経過を主張しても、特別の事情がない限り、簡単には認められないということになります。そして、多くの裁判例を見る限り、医療訴訟における「診療記録の記載事項(事実)」についての裁判所の原則的な取り扱いは、「診療記録に記載していることは、“あったこと”!」であり、「診療記録に記載していないことは、“なかったこと”!」ということになるのです。 この点については、多くの裁判例があり、裁判所は、「カルテ等診療記録に記載のある診療行為やその説明(詳細な説明の記載)については、その記載のとおり事実として信用できる」(東京地判平成15・6・27)、「診療録の診察記録欄に『入院精査を!(拒否)(多忙)』という記載があれば、『入院を勧めたが、多忙を理由に拒否された』と認めるのが相当である」(東京地判平成18・10・18)、「診療録に“薬剤の作用機序を説明する図”が記載されている場合には、その図を書きながら薬剤の作用機序を説明したと推認できる」(大阪地判平成23・1・31)などと判示して、「診療記録に記載していることは、“あったこと”!」と判示しています。 またその一方で、裁判所は、「診療録に抗がん剤の副作用を説明した旨の記載がないときには、その説明をしたという医師の供述は信用できない」(横浜地判平成12・4・26)、「手術の内容等について明確かつ具体的な説明をうかがわせる(診療録上の)記載がないこと等に照らせば、『手術の合併症(筋力低下等)について具体的かつ明確な説明をしなかった』ものと認めるのが相当である」(東京地判平成13・12・17)、「病院の全ての診療録(耳鼻咽喉科、放射線科等)に『問診を実施した』という記載がない以上、問診を実施しなかったものと認めるのが相当である」(東京地判平成15・4・25)、「診療録に『出血』の記載がないことは、『出血がなかった』ことを示すものである」(大阪高判平成17・9・13)とも判示しています。
(3)同意書・承諾書の訴訟上の意義(裁判所の考え方)
手術等の患者の身体に侵襲を伴う医療行為を行う場合の「同意・承諾」の方式としては、「手術承諾書」などの「同意書面」を徴するのが一般的です(近時では一般的に「説明書兼同意書」とされているようです。)。もっとも、「いかなることが起きようとも何ら異議を述べません。」という「免責文言」が挿入されていることがありますが、そのことによって医療者側の注意義務違反が許されることはなりません(東京高判昭和42・7・11他)。 したがって、仮に同意書面を徴するにしても、それは医療者側が患者側に対し“説明義務を尽くしたことを証明するもの”という位置づけをするしかありません。これまでの裁判例を見ても、医師が説明義務を尽くしたという事実を認定するに際し、このような同意書(説明書兼同意書)を徴したことが認定の重要な資料とされた事例は多く、医療訴訟での診療記録の証拠価値の高さを考えれば、その「承諾書・同意書」は診療録(カルテ)に貼り付けておく(電子カルテに取り込んでおく)必要があります。
(4)診療記録へ記載することの紛争回避機能
最後に、これらの医師や看護師等のICを実施したことを診療記録等に記録することの意義、その重要性にも触れておきたいと思います。診療の経過の中で当該患者家族にICが実施されたのかどうかという点が争われたときには診療記録等の記載が決定的な役割を果たします。しかしこれは、“医療者の身を守るためのもの”というだけの捉え方をすべきではありません。患者家族などの一般の人は、本当にそのようなIC(医師等からの説明)がなされたか否かは、事故後においてその詳細を記憶していないことが多いのです。そして、診療記録の記載を見せられると、“それを思い出す”か、そうでなくても“「たぶん説明を受けたのだろうな」と納得される”患者家族がほとんどなのです。ところが、そのことの記録がない(記載がない)と、患者家族の多くは、「本当は、そのような説明はなされていないのではないか?」等という疑念を持ちます。診療記録等に記載されていないのに、医師が説明したと言えば言うほど、患者家族は疑心暗鬼となり、医師の言葉を責任逃れの弁解としか受け取れなくなるのです。もし本当にIC(医療者からの説明)が真実なされていたとしても、診療記録に記載していなかったことが仇となり、“紛争の引き金”になってしまう、ということにもなりかねないのです。その意味では、そのような余計な紛争に巻き込まれる患者家族も迷惑な話であり、医療者は、自らのためにも又患者家族のためにも、ICを行った場合には、そのことを診療記録へしっかりと記載しておく必要があるといえます。