No.124/‟判断能力・同意能力のない患者”についての医療行為の決定プロセス(その4)

No.124/2023.3.15発行
弁護士 福﨑博孝

‟判断能力・同意能力のない患者”についての医療行為の決定プロセス
(患者本人へのインフォームド・コンセントが尽きた先には何が必要なのか?誰に何をどうすればいいのか?)(その4)

第3 医療行為の同意権と同意能力

1.‟患者本人の同意権(自己決定権)”と‟患者の推定的承諾(推定同意)”、そして、インフォームド・コンセント(説明)の相手方

(1)‟患者本人の同意権”と‟患者の推定的承諾(推定同意)”

医療行為の同意権とは、‟医的侵襲を伴う医療行為を受けることに関する決定権限(自己決定権)”のことであり、患者本人に一審専属的に帰属するものであって、それは医療を受ける‟患者本人のみに帰属”することになります。したがって、医師が医療行為を行うには、原則として、その具体的な医療行為につき患者本人から同意を得ることが必要であり、同意なくして医療行為を行うと「違法」となります(したがって、いかなる場合においても、‟同意能力を有する患者に代わり家族が代理人として同意すること”はできません。)。 医療行為の同意は、「人格権としての自己決定権に基づく自己の身体の法益処分」と説明され、一般的には違法性阻却事由の一つとして位置付けられています。すなわち、違法性阻却事由とは、通常は法律上「違法」とされ犯罪を構成したり、民事上の損害賠償の対象とされたりする場合であっても、それがあると例外的に、‟その違法性が否定される(その根拠となるべき)事実や事情”のことを意味し、それがあれば「違法」とはなりません。 このように「患者の同意」は違法性阻却の一要素ということになりますから、例えば、命が失われかねない緊急時に患者本人の同意を得ることができない場合などにおいては、「患者の推定的承諾(推定同意)」が認められれば、当該患者の明示的な同意がなくても、その医療行為が違法ということにはなりません(東海大学付属病院事件に関する横浜地判平成7・3・28【注11】)。 例えば、当該者の命が失われかねない緊急事態において、救命救急医がその命を助ける治療行為を行うことは、当該者に意識がないにしても、‟人は命を助けて欲しい”と考えるのが通常であり合理的なことから、救急医療についての当該者の「推定的承諾(同意)」を認めることは容易なことです。むしろ、これが許されないとなると臨床の現場は混乱することになります。したがって、ここでいう「患者の推定的承諾(推定同意)」という概念が臨床現場では非常に重要なものとなっているのです。そして、上記のとおり、患者の意思の推定(推定的承諾・同意)は、「合理的な意思の推定」ということにならざるを得ず、一般常識として「不合理」と考えられる意思の推定ということは考えられません(もっとも、倫理に反する医療行為を望んだり、医療水準を明らかに下回る医療行為を望んだりするなど、患者が不合理としか考えられない意思をもっていることも考えられないことはありませんが、医療者はそれに従うなどということはできないはずです。その場合には、「倫理に反する」とはどういう場合なのか…という難しい問題に突き当たります。)。

【注11】尊厳死・安楽死が認められる根拠を「自己決定権」に求める以上、‟患者の意思の尊重”は当然のことであり、したがって、具体的な症例では‟患者の意思の確認方法”がきわめて重要な問題となってきます。そして、東海大病院事件についての横浜地判平成7・3・28では、①尊厳死(=消極的安楽死)としての‟治療行為の中止”の場合や、②間接的安楽死とされる‟生命短縮の副次的効果を伴った医療行為”については、明示的な患者の意思表示のみでなく、「推定的意思表示」でも是認してよいと判示しています。すなわち、現実の医療の現場では、死が避けられない末期患者にあっては意識さえも明瞭ではなく、治療行為の中止等が検討される段階では、患者の明確な意思表示が得られないことが多いのですから、どうしても‟推定的意思の存否”が問題とならざるを得ないのです。特に、医療の現場では、家族から治療行為の中止や生命短縮の可能性のある治療行為を求められたりすることも少なくありません。そして、このような場合には、尊厳死(=消極的安楽死)・間接的安楽死について‟患者の合理的な意思の推定が許される”というのです。つまり、「患者自身の事前の意思表示がある場合には、それが治療行為の中止が検討される段階での患者の推定的意思を認定する有力な証拠となる。事前の文書による意思表示(リビング・ウィル等)あるいは口頭による意思表示は、患者の推定的意思を認定する有力な証拠となる」と判示して‟推定的意思論”を展開しています。しかし、治療行為の中止等の尊厳死については、その他の要件も厳しいものとなっており、臨床的にはかなり困難な判断を求められることになります。

(2)インフォームド・コンセント(説明)の相手方

(ア)ところで一方で、インフォームドコンセント(説明)の相手方も、‟診療契約の当事者”及び“同意権(自己決定権)の帰属主体”という意味からすれば、原則として「患者本人」ということになります。この点について、名古屋地判平成15・11・28(【注12】)は、「医師は、患者本人の指示通り、その息子に対し、手術に付随する危険性について説明したから説明義務は尽くしたと主張するが、診療契約上の説明義務は、自己の身体への医的侵襲を承諾するか否かは自ら決めるという自己決定権に由来するのであるから、‟患者本人に判断能力がない等の特段の事情のない限り”、本人自身に説明すべきであり、本件において患者本人自身が判断できないような特段の事情があったとは認められず、上記主張は理由がない。」と判示しています。この判決では、担当医師が、「家族同席の下で、更に詳しい説明をしたい」と申し出たのに対し、患者本人が、「家族へ説明するよう」に指示したという事情があります。このような場合には、患者自身が、自己決定権の行使の前提としての説明を受ける利益を放棄したと考えれば、「家族へ説明がなされれば足りる」と解する余地もあります。しかし、そのように解するためには、患者が「事態の重大性について理解し、真意に基づいて説明を受ける利益を放棄した」といえることが必要となるとしているのです。

【注12】名古屋地判平成15・11・28は、房室結節回帰性頻拍の治療としてカテーテルアプレーションを受けたところ、完全房室ブロックとなり、心臓ペースメーカーの植え込みを余儀なくされた事案であり、「Y病院担当医師らとしては、本件手術を実施するに先立ち、Xに対し、完全房室ブロック発生の可能性、その確率及びその場合には心臓ペースメーカーの植え込みが必要となることを説明し、Xが本件手術を受けるか否かを熟慮し、判断する機会を与えるべきであった。」とも判示しています。

(イ)これと関連して、判断能力の認められる患者本人へ説明した上で、さらに家族にまで説明する義務があるか否かについて争われた裁判例もあります。すなわち、名古屋地判平成16・9・30(【注13】)は、「確かに、医師が医療行為等について患者だけでなく家族に対しても説明することが望ましいことはいうまでもないところであり、殊に本件のように一定の危険性を伴う検査については、患者と家族とが十分に検討できるように家族に対しても医師が的確な情報を提供することが望ましいというべきである。しかし、本件において、亡患者の判断能力に疑いを差し挟むべき事情をうかがうことはできない。むしろ、亡患者は、株式会社の代表取締役でワンマン社長と言われていたことが認められるのであって、亡患者は、自分に関することは自ら判断し、決定していたことがうかがわれる。本件において、医師が亡患者の家族に対して説明しなかったことをもって説明義務違反があるとまではいえない。」と判示しています。つまり、この判決は、患者本人だけではなく、その家族に対しても十分なICを施し、その上で患者本人及びその家族の同意を得た方がいいのですが(臨床現場での実務ではそうあるべきだと思われるのですが)、家族へのICがなかったからといって違法とまではならないとしているのです(しかし、患者の判断能力・同意能力に疑いがある場合には、家族に対する説明義務が認められ、それを怠ると違法になる可能性があります。)。

【注13】名古屋地判平成16・9・30は、Y病院で重症膵炎によって死亡した亡Aの相続人であるXらが、Y病院に対し亡Aの死亡によって生じた損害の賠償を求めた事案であり、担当医師には、亡Aの急性膵炎の診断及びその重症化に対する対応において注意義務違反があると判示しましたが、その判断過程において、その説明義務についても上記のように述べています。

しかし、近時、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)やSDМ(シェアード・デシジョン・メイキング)などという‟ICの考え方”が深化し進展していることを考えると、人生の最終段階におけるICについては、「家族等」の存在が極めて重要となってきており、患者が判断能力・同意能力を失っている場合の‟医療者のIC(インフォームド・コンセント)の相手方”は、患者本人とともに「家族等」の存在が重視されているということになります。そういう意味では、上記名古屋地判は、ACPの考え方が一般化していない時期の裁判例であることに留意した方がいいのではないでしょうか。

2.医療行為の同意能力とは

(1)医療行為を受けることについての‟有効な同意”となるためには、患者本人に「同意能力」(判断能力とほぼ同じ意味と考えていいと思います)がなければなりません。しかし、医療行為の同意は‟法律行為ではない”ことに注意する必要があります。医療行為ついての同意は「人格権としての自己決定権に基づく自己の身体の法益処分」(すなわち、‟一身専属的法益(その人のみに帰属する権利又は利益)への侵害に対する承認”)ということになりますから、法律行為と異なり、‟第三者が代理人として同意の意思表示をする”ということが想定されていません(すなわち、医療行為の同意には「代理行為」がなじまないのです。)。したがって、未成年者であるということだけで当然にそれ(代理による同意)が許されるわけでもありません。すなわち、例えば、未成年者であっても同意能力が認められる場合には、原則として、そのことを前提とした医療行為の同意を得なければならず、親権者のみの同意では医療行為の同意にはならない、ということになるのです。

(2)この同意能力の内容や程度については、未だ明確な基準があるわけではありませんが、一般的には、‟その医療行為の侵襲(一身専属的法益への侵害)の意味が理解でき、その侵襲によってどのような結果が生ずるかを判断する能力”があれば良いということになりそうです。例えば、精神病質との診断によりロボトミー(前頭葉白質切截術)を施行した結果、患者に対し人格低下という後遺症を被らせたとされる事案である‟札幌ロボトミー事件”において、札幌地判昭和53・9・29(【注14】)は、「かかる承諾は、患者本人において自己の状態、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る程度の能力を備えている状況にないときは格別、かかる程度の能力を有する以上、患者本人の承諾を要するものと解するのが相当である。したがって、精神障害者あるいは未成年者であっても、右能力を有する以上、その本人の承諾を要するものといわなければならない。」と判示しています。すなわち、この考え方に従えば、「自己の状態(病状など)、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る能力」の存在をもって、「医療行為の同意能力がある」ということができるのであり、「患者本人にその能力が備わっている場合には、患者本人の同意を必要とする」ということになります。

【注14】札幌地判昭和53・9・29は、精神病質との診断によりロボトミー(前頭葉白質切截術)を施行した結果、患者に対し人格低下という後遺症を被らせた事案(いわゆる「札幌ロボトミー事件」)であり、同手術については「患者本人の承諾がなく、かつ手術の最終手段性の制約を逸脱した違法がある」等と判示し、医師らに損害賠償責任を認めました。