No.123/医師の残業代込み年俸制と固定残業代について(最高裁判決平成29年7月7日・医療法人社団康心会病院事件)

No.123/2023.3.15発行
弁護士 福﨑 龍馬

医師の残業代込み年俸制と固定残業代について
(最高裁判決平成29年7月7日・医療法人社団康心会病院事件)

1.はじめに(裁判における固定残業代・定額残業代のルール)

(1)労働基準法37条

労働基準法37条により、事業者は、時間外労働、休日・深夜労働に対して、一定の割増率による割増賃金を支払わなければなりません。すなわち、労基法では労働時間の上限は原則1日8時間までとされていますので、労働時間がそれを超える場合には、(36協定を締結したうえで)25%の割増賃金を支払う必要があります。例えば、計算を簡略化して説明すると、時給1000円の労働者が、1日10時間働いたような場合、8時間を超えた部分(2時間分)については、時給1250円(=1000円×1.25)の賃金を支払わなければなりません。

(2)固定残業代が有効となるための要件について

固定残業代・定額残業代とは、労働者が行った時間外労働、休日・深夜労働に対して、あらかじめ定めた一定の金額を支払う制度です。固定残業代が有効となる要件としては、①時間外労働や深夜労働の対価(割増賃金)の趣旨で支払われていること(「対価性の要件」)、②所定内賃金部分と割増賃金部分とを「判別」することができること(「明確区分性の要件」)、③一定時間を超えて時間外労働等が行われた場合には別途上乗せして割増賃金を支払う旨の合意があること(「差額支払の合意の要件」)、の3つが挙げられます。①②の要件については、判例学説上、固定残業代の有効要件として争いがないとされていますが、③の要件については、有効要件として必要か、議論がされている状況にあります。 下記で紹介する判例で問題となった、「医師の残業代込み年俸制」が有効か否かについても、固定残業代と同様の議論がされており、主に要件②「明確区分性の要件」が問題となります。例えば、賃金規定に、「基本給25万円。固定残業代を含む」といった規定しかないような場合、労基法37条の規定に従った、割増賃金の計算は不可能ですので、明確区分性を欠き無効となる可能性が高いです。一方で、「基本給25万円のうち、5万円は1か月20時間分の時間外労働に対する割増賃金分とする。」との規定であれば、労基法37条に従った割増賃金の計算もできるため、明確区分性の要件は満たすとされています。

2.最高裁判決平成29年7月7日・医療法人社団康心会病院事件

(1)事案の概要

Xは、医療法人であるYとの間で雇用契約を締結し、Yが運営する病院において、消化器外科の医師として勤務していました。本裁判は、Xが解雇の無効を主張して、雇用契約上の地位を有すること、及び解雇後の賃金・賞与・損害賠償等を求めて提訴した事案です(Xの業務態度には、相当に問題があったようであり、解雇自体は有効と判断されています)。Yは、神奈川県を中心に、病院や介護老人保健施設等を運営する医療法人であり、Yに勤務する職員は、平成25年12月末日時点で、3125人(医師580人、医師以外の職員2545人)と、規模の大きい医療法人です。Xの給与は、年俸1700万円とされており、その内訳は、①本給月額86万円、②諸手当月額34万1000円等、③賞与本給3か月分相当額により構成されていました。なお、同病院の規定では、時間外手当の対象業務は「病院収入に直接貢献する業務」または「必要不可欠な緊急業務」に限定され、医師の時間外勤務に対する給与は緊急業務における実働時間を対象として管理責任者の認定によって支給すること、通常業務の延長とみなされる時間外業務は時間外手当の対象とならないこと等が定められていました(すなわち、一定の決まった業務以外は残業代なし。)。

(2)第一審・控訴審の判断

Xの割増賃金について、「通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外割増賃金に当たる部分とを判別することができないといわざるを得ない」として、明確区分性の要件を否定しながらも、医師としての業務の特質に照らして合理性があること、Xが労務の提供について自らの裁量で律することができたこと、Xの給与額が相当高額であったこと等から、労働基準法による労働時間の規制を及ぼすことの合理性に乏しい、として時間外手当が年俸に含まれるとの合意があったと判断しました(すなわち、残業代の支払いは不要)。

(3)最高裁((最二小判平成29年7月7日)の判断

これに対して最高裁は「使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討することになるところ、同条の上記趣旨によれば、割増賃金をあらかじめ基本給等に含める方法で支払う場合においては、上記の検討の前提として、労働契約における基本給等の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要であり・・・上記割増賃金に当たる部分の金額が労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回るときは、使用者がその差額を労働者に支払う義務を負うというべきである。・・・本件合意によっては、Xに支払われた賃金のうち時間外労働等に対する割増賃金として支払われた金額を確定することすらできないのであり、Xに支払われた年俸について、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。したがって、YのXに対する年俸の支払により、Xの時間外労働及び深夜労働に対する割増賃金が支払われたということはできない。」としました。すなわち、高額な年俸を受領している医師であっても、残業代込みの年俸制は当然には許されず、他の労働者と同様に、明確区分性の要件を満たす必要があることを明らかにしたのです。

3.固定残業代を導入するリスク

固定残業代という名称から、「定額で労働者に何時間でも働いてもらえる」、という間違った認識を持っている経営者もいるように思われます。しかし、そのような目的での固定残業代の導入は許されませんし、それだけでなく、大変なリスクを背負うことにもなります。固定残業代が無効とされた場合、①固定残業代相当額が残業代の支払いと認められないだけでなく、②固定残業代相当額も、割増賃金の算定の計算基礎に算入されます。すなわち、割増賃金の計算式である「X×1.25」の「X」の部分の金額が大きくなるため、固定残業代を導入しない場合よりもかなり高額の残業代になることが予想されます(この①②を「残業代のダブルパンチ」と呼ぶそうです。)。

4.固定残業代を導入する際には・・・

固定残業代制度の導入はリスクが大きすぎるため、メリットがあまりないようにも思われますが、一方で、「固定残業代制は、業務内容等から毎月の時間外労働が、定められた時間を超えることが稀な会社などにおいては、定められた時間内であれば残業代は同額となるから、敢えて長い居残りをしようとする労働者の意欲を阻害することになって長時間労働の抑制手段ともなり得る」(白石哲編著『労働関係訴訟の実務〔第2版〕』116頁)との評価もされています。残業が常態化しており、残業代で稼がなければ手取が少なくなってしまう、というような会社においては、あまり効果的でない居残り残業が横行している可能性もあります。そのような会社にあっては、固定残業代制度の導入は、残業をするインセンティブを無くす効果があるかもしれません。昨今の働き方改革の流れの中で、残業時間をどうやって抑制するか、頭を抱えている事業者は多いものと思われますが、残業を減らすための一つの選択肢として、あり得るのかもしれません。 もっとも、安易な固定残業代の導入は、大きいリスクを抱えるだけですので、慎重な検討・判断が求められます。