No.122/‟判断能力・同意能力のない患者”についての医療行為の決定プロセス(その3)

No.122/2023.3.1発行
弁護士 福﨑博孝

‟判断能力・同意能力のない患者”についての医療行為の決定プロセス
(患者本人へのインフォームド・コンセントが尽きた先には何が必要なのか? 誰に何をどうすればいいのか?)(その3)

第2 人生の最終段階における医療・ケア行為の決定プロセスでの‟診療ガイドラインの役割”

以上のとおり、「判断能力・同意能力のない患者に関する医療行為についてのICのあり方」(医療同意の在り方)を考える際には、いくつかのガイドラインの検討が外せません。その中心的存在が、厚労省の「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」ということになります。ここでは、‟どうしてガイドラインの検討を余儀なくされるのか”を考えてみたいと思います。

1.ガイドラインとは何か

人の人生の最終段階(終末期)における医療行為の内容の意思決定(のプロセス)に関するガイドライン(指針)としては、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」(3学会救急集中治療ガイドライン)、「人生最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(人生の最終段階ガイドライン〔平成30年版))などがありますが、これらはいずれもいわゆる「診療ガイドライン」といわれるものです(その他にも、人生の最終段階におけるガイドラインとしては、「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」(日本老年医学会)などがあります。)。 ガイドラインとは、「物事の判断をする道標(みちしるべ)」であり、一般的には「指針」といわれることも多いようです。そして、診療ガイドラインとは、「特定の臨床状況において、適切な判断を行うために、医療者と患者を支援する目的で系統的に作成された文書」(米国医学研究所Institute of Medicine)とされており、EBM(Evidence based Medicine-科学的根拠に基づいた医療)手法に基づいて作成されることになるのが一般的です(そうでなければガイドラインの信用性に疑問が生じます。しかし、透析の開始と継続に関する提言(令和2年4月版)などは、そのことを意識して策定されており、ガイドラインとは称していませんが、その内容を見る限り、医療水準を判断するには十分なものとなっているようです。)。したがって、診療ガイドラインの作成過程は、「最良の科学的根拠の同定」と「価値判断、合意の形成」から成り立っており、様々な価値判断を調整して最終的なガイドラインが作成されることから、いまの裁判では、このような‟EBMに基づいたガイドライン”が訴訟上の証拠として有用とされています。

2.ガイドラインの法的な位置づけ(裁判例)

終末期医療の現場において延命措置等の方針を決定する医師の注意義務の内容を判示した裁判例として「東京地判平成28年11月17日」があります。この裁判例では、「本ガイドライン(終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン:厚労省の人生最終段階ガイドラインの前の呼称)は法規範性を有するものではないが、終末期医療の方針決定における医師の注意義務を検討する上では参考になるものである。」とされて、裁判での判断基準を策定するための証拠として使われています。つまり、ガイドライン自体は法規範性(いわば法律と同じ判断基準としての性質)をもつものではありませんが、証拠としては高い証拠価値を有するものといっているのです。 すなわち、診療ガイドラインは、医療水準を判断するための医学的知見を得る材料(証拠)として利用され、その多くの裁判で重要な証拠として裁判所に提出されることとなります。多くの裁判所が、「診療ガイドラインでは、専門家が議論し有効性と安全性を検討した上でまとめられ、策定時点における望ましい治療法あるいは標準的治療法を示すものである以上、医療水準を認定する証拠としてその証拠価値は高い」と考えているのです(そのような裁判例は多くあります)。 医療訴訟(裁判所)における診療ガイドラインの位置付けは、「(1)診療ガイドラインで推奨される医療行為は合理的なものとして評価されることが多く、原則としてそれが医療水準となる、(2)しかし、診療ガイドラインはあらゆる症例に適応する絶対的なものとまではいえず、①個々の患者の具体的な症状が診療ガイドラインにおいて前提にされている症状等とは必ずしも一致しない、②患者固有の特殊事情がある等の相応の科学的根拠(合理的な理由)に基づいて、個々の患者の状態に応じた医療行為を選択した場合には、それが診療ガイドラインと異なる医療行為であったとしても、直ちに合理的な行動を逸脱したとは評価できない。(3)ただし、診療ガイドラインの内容と異なる医療行為を選択した場合は、‟その医療行為の選択に合理的理由があること”について、それを主張する者(医師側)に立証責任がある」ということになります。

3.臨床現場で“診療ガイドラインに従う”ことの意味

診療ガイドラインは、臨床上の診療において標準的医療を行うために(医療水準を見定める規準として)使われていますが、裁判所にとっても極めて重要な証拠や法規範的な存在となっています。すなわち、臨床医療においても、また、裁判においても、ガイドラインに従った診療がなされる限り、原則として違法という評価はなされないということが多くなり、「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」や「3学会救急集中ガイドライン」についても同様に取り扱われ、これに従っている限り原則として違法の問題は生じないと思われます(東京地判平成28年11月17日参照)。

4.厚労省の「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」と「3学会救急集中ガイドライン」の重要性について

人生の最終段階(終末期)には、事態の進行度合いにより、「急性型」(救急医療等)、「亜急性型」(末期がん等)、「慢性型」(高齢者、植物状態、認知症等)があるとされています。そして、いずれの終末期についてもその医療の在り方が議論されており、亜急性型の終末期医療については厚労省の平成19年5月付ガイドライン(「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」。 ただし、平成30年3月に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」に改訂・改称されました。いわゆる「人生の最終段階ガイドライン〔平成30年版〕)が、また、急性型の終末期医療については日本救急医学会の平成19年11月付ガイドライン(「救急医療における終末期医療に関する提言」。 ただし、平成26年11月に日本救急医療学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会の3学会による「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン(3学会からの提言)」に改訂されました。いわゆる「3学会救急集中ガイドライン」)が、それぞれその指針(ガイドライン)として発表されています。さらに、慢性型については、人工的水分・栄養補給の導入又は中止などについての議論がなされており、日本老年医学会が平成24年6月付で人工的水分・栄養補給の導入に関するガイドライン(「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」)を公にしています(そのほかに、あえてガイドラインとは称していないようですが、ガイドライン的な提言として、日本透析医学会の「透析の開始と継続に関する意思決定プロセスについての提言(令和2年4月版)があります。)。 しかし、厚労省の「人生の最終段階ガイドライン」(平成30年版)については、亜急性型に限定したものと考えるのではなく、急性型・亜急性型・慢性型の終末期の‟医療とケア全般についての基本原則”を明らかにしていると考えるべきです。したがって、「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」は、「3学会救急集中ガイドライン」に定められていない事項については、それを補充するものとなります(そもそも、これらガイドラインは「人生の最終段階ガイドライン(平成30年版)」を基礎として策定されているのです。)。