No.106/身体拘束をしなかったことの違法性について

No.106/2022.11.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

身体拘束をしなかったことの違法性について
~広島高裁岡山支部平成22年12月9日判決~

1.はじめに

2022年7月1日発行の医療法務だよりNo.89においては、身体拘束をしたことが違法と評価されるのはいかなる場合かについて判示した最高裁平成22年1月26日判決を取り上げました。今回は、その逆の場面、すなわち、患者に幻覚症状が出ている等、放置したら怪我を負いかねない状態で、医療者が身体拘束をせず、患者のそばを離れて、その間に、患者が転倒して大けがをしてしまったような場合、医療者が身体拘束をしなかったことについて責任を負うのか、という問題を取り上げたいと思います。 医療法務だよりNo.89で説明したように、身体拘束については、平成13年3月に厚生労働省の「身体拘束ゼロ作戦推進会議」が「身体拘束ゼロへの手引き」(以下「手引き」といいます。)が出されており、最高裁も、手引きが示した、身体拘束が適法となる場合の3つの判断基準に沿って違法性の有無を判断しています。手引きでは、①切迫性(利用者本人又は他の利用者等の生命又は身体が危険にさらされる可能性が著しく高いこと。)、②非代替性(身体拘束その他の行動制限を行う以外に代替する介護方法がないこと。)、③一時性(身体拘束その他の行動制限が一時的なものであること。)の3つを身体拘束の要件として掲げています。 身体拘束が許されるのは、上記3つの要件を慎重に検討してうえでなければならず、安易に患者を身体拘束することは違法となる可能性が高い一方、身体拘束の必要性が極めて高い、上記3つの要件を満たす患者について、身体拘束を一切検討しないということは、それはそれで違法と評価される可能性があります。その可能性を示したのが、次の裁判例という事になります。

2.広島高裁岡山支部平成22年12月9日判決

(1)事案の概要

概略としては、Xは、平成12年4月1日、自宅で昏睡状態になったため、救急車でYの経営する病院に搬送され、集中治療室で治療を受けていたところ、同月3日に、ベッドの足側から転落死、頚椎損傷等の障害を負った、というものです。これに対し、Yは、Xに対して、診療契約に基づき未払の医療費等の支払いを求めたところ、Xは、上記ベッドからの転落によるXの受傷は、Yの診療契約上の義務違反を原因とするものであるとして、医療費等の債務との相殺を主張し、かつ、反訴を提起して損害賠償を求めました。

具体的な受傷の経緯は次の通りです。Xは、平成12年4月2日16時ころ(昏睡状態で救急搬送された翌日)、ベッド脇の柵を乗り越え、これに両手でぶら下がったが、手がはずれて尻餅をつき、横に倒れて床面で左側頭部を打ちました(第一事故)。そのため、看護師らは相談の上、再度の転落を防ぐため、ベッドの右側を壁に付け、左側に空きベッドを接着して並行に設置し、ベッドの柵を立ててXを、そのうちの右側のベッドに寝かせました。さらにXは、同日19時20分ころ、家族と一緒に帰ろうとしたり、起座したりして落ち着きを失い、同日19時40分ころにはアリがおると言うなど幻覚が出現し、ベッドから降りようとし、同日23時に至り、ベッド上でふらついたり、立ち上がったりして不穏な状態を示していました。そのため、看護師は、医師の指示を仰ぎ、同日23時10分ころ、Xにセレネース一アンプル(抗精神病剤)を筋肉注射し、その後、Xは、同日23時50分ころ入眠ようの状態になっていましたが、翌3日1時ころ、看護師がXのベッドの足元側の後ろに置かれたテーブルでXを監視しつつ作業をしていた際、重症肺炎で第一室に入院していた一歳の幼児である患者Aが泣き始め、レスピレーターアラームがかなり大きな音で鳴り始めたことから、同看護師は、第四室のXのベッドのもとを離れ、第一室の患者Aのもとに行き、処置に当たっていました。すると、「ドスン」という音がしたため、看護師がXのもとに赴くと、Xがベッドの足元側と看護師が監視し作業をしていたテーブルとの間に倒れていたというものです。

(2)裁判所の判断(広島高裁岡山支部平成22年12月9日判決)

原審(一審)である岡山地方裁判所は、Yの未払診療費等の請求につき337万円あまりを認め、一方で、Xの請求については、Yに診療契約上の転落防止義務違反や、看護師の監視義務違反等はないとして、請求を棄却しました。一方、控訴審である広島高裁岡山支部は、Yに診療契約上の転落防止義務違反や、看護師の監視義務違反の責任を認め、Yに対し4424万円あまりの支払いを求める範囲で、Xの請求を認容しました。裁判所は、転落防止義務違反について、下記のように述べています(看護師の監視義務違反も認めていますが、この点は省略します。)。

「入院患者の身体を抑制することは、その患者の受傷を防止するため等の必要やむを得ないと認められる場合にのみ許容されるべきものである(最高裁平成22年1月26日第三小法廷判決・判例時報2070号54頁)が、本件では、控訴人が既に一回転落しており、その後もベッド上に立ち上がるなど転落の危険性が非常に大きく切迫していて、ベッドの高さからも転落の場合重大な傷害に至る可能性が高かったのに対して、鎮静剤の効果が十分ではなく鎮静剤のみで転落を防止できるか疑問がある上、睡眠薬等他の薬剤を用いることもできないこと、看護師による常時監視はICUの体制上困難でありどうしても短時間は監視がない状況が生じること、控訴人の意識障害は入院時と比較すると大きく回復してきており拘束しても短時間で幻覚等が生じる状態から離脱できると期待されること、したがって拘束することにより失われる利益よりも得られるメリットの方が大きいこと等を考慮すると、被控訴人は、控訴人を、4月2日23時の時点で抑制帯を用いて拘束するのも必要やむを得ない事情があったと言わねばならない。にもかかわらず、被控訴人は、転落を防止するために、抑制帯を用いることがなかったのであり、この点において、契約上の義務違反が認められる。」

3.コメント

上記、判決下線部は、手引きで挙げられた身体拘束の三つの要件に沿って検討していることは明らかです。すなわち、身体拘束は、三つの要件を満たす例外的な場合にだけ許容されるものですが、一方で、この例外的な要件を満たす場合、身体拘束を行う義務が医療者に発生する可能性があるといえそうです。 手引き(26頁)では、「身体拘束をしなかったことを理由に事故責任を問われるか」という点について、「介護保険制度においては、介護サービスを提供する際の基本的な手順として、アセスメントの実施から施設サービス計画等の作成、サービスの提供、評価までの一貫したマネジメントの手続きを新たに導入するとともに、他方では、身体拘束を原則禁止している。これは、基本的に身体拘束によって事故防止を図るのではなく、ケアのマネジメント過程において事故発生の防止対策を尽くすことにより、事故防止を図ろうとする考え方である。したがって、こうした新たな制度の下で運営されている施設等においては、仮に転倒事故などが発生した場合でも、『身体拘束』をしなかったことのみを理由として法的責任を問うことは通常は想定されていない。むしろ、施設等として、利用者のアセスメントに始まるケアのマネジメント過程において身体拘束以外の事故発生防止のための対策を尽くしたか否かが重要な判断基準となると考えられる。具体的には、身体拘束は、他の事故防止の対策を尽くしたうえでなお必要となるような場合、すなわち22頁で述べた三つの要件(①切迫性、②非代替性、③一時性)を満たす『緊急やむを得ない場合』にのみ許容されるものであり、また、そのようなごく限られた場合にのみ身体拘束をすべき義務が施設等に生ずることがあると解される。」と述べています。 上記広島高裁岡山支部平成22年12月9日判決の事案は、上記三つの要件を満たすような例外的な状況であったということになると言えそうです。そして、上記三つの要件を満たすような場合は、身体拘束が適法となる、という事にとどまらず、身体拘束をしなかったために、患者が受傷した場合、その責任を負いかねないとも言えます。