No.104/医師の説明義務違反があっても、患者に有害事象が発生しなかった場合には、 説明義務違反と精神的損害との間に相当因果関係はないとして、その責任が否定された事例

No.104/2022.10.17発行
弁護士 永岡 亜也子

医師の説明義務違反があっても、患者に有害事象が発生しなかった場合には、
説明義務違反と精神的損害との間に相当因果関係はないとして、その責任が否定された事例
(東京高裁令和2年7月22日判決)

1.事案の概要

X1は平成4年生まれの男性であり、平成6年6月、日本語の会話ができないこと等を主訴としてD病院を受診した。小児科では異常は認められず、神経外来医師の診察を受けたところ、自閉症の疑いがあると診断され、小児神経学の専門医であるA医師を紹介された。

同年9月2日、X1はA医師が開設・運営するCクリニックを訪れ、A医師の診察を受けた。A医師は、原告両親らからの聞き取り内容や、診察時に認めた臨床症状、検査結果等から、自閉症と診断できるものと考えた。

A医師は、同年10月25日、1日当たり6㎎のL-DOPAの処方を開始した。この治療法は、当時、自閉症の治療法としてA医師が提唱していた少量L-DOPA療法というもので、ドーパミンの前駆物質であるL-DOPAを少量ずつ継続的に投与することで、ドーパミン受容体の過感受性を抑えつつドーパミン伝達を改善させ、自閉症の症状の改善を期待できるというものであったが、イライラがひどくなる、睡眠障害が誘発されるなどの影響が出た症例や新たに症状が出現又は悪化した症例も報告されている。X1はその後、平成21年12月4日までの間、Cクリニックへの通院を行った。 X1及びその両親は、平成27年2月13日、A医師には、L-DOPAを投薬すべきでないのに投薬を開始した過失、その後、副作用が発現しても投薬を中止しなかった過失、当該療法が当時医療水準として未確立であったことや副作用が発現する危険性を有することの説明もされないまま実施された説明義務違反があり、そのため、X1の発達が停滞して重度知的障害の状態に進展し、不随意運動その他の精神・神経症状の後遺障害が残存したと主張して、A医師の相続人に対し、逸失利益や慰謝料の支払いを求める損害賠償請求訴訟を提起した。

2.裁判所の判断

(1)東京地裁令和元年10月17日判決【第一審】

ア 説明義務違反の有無

少量L-DOPA療法は、平成6年当時、臨床医学の実践における医療水準となっていない治療法であるというだけでなく、A医師自身が提唱したものであり、自らも携わった研究でも悪化例に接したことがあるというのであるから、A医師には、X1の親権者である原告両親らにおいて、自閉症の治療のために少量L-DOPA療法を受けるか否かについて熟慮し、決断することを助けるため、少量L-DOPA療法を開始するに当たり、原告両親らに対して、少量L-DOPA療法が未確立な治療法であること及び副作用が出現する又は症状が悪化する可能性があることを説明すべき義務があった。 そして、このような説明は、まずは投薬治療を開始する時点で尽くされるべきものであるが、少量L-DOPA療法が長期的かつ継続的な投薬を内容とする治療法であることに照らせば、投薬開始時点で適切な説明が尽くされていないのであれば、その後の投薬継続中のできる限り早期の時点において、適切な説明をした上で、改めて少量L-DOPA療法を継続するか否かの意思決定をする機会が付与されるべきである。したがって、A医師は、投薬継続中においても、原告両親らに対して、少量L-DOPA療法が未確立な治療法であること及び副作用が出現する又は症状が悪化する可能性があることを説明すべき義務があった。
しかるに、A医師は、少量L-DOPA療法を開始するに当たり、原告両親らに対し、少量L-DOPA療法が自閉症に対する確立した治療法ではないことを説明しなかった上に、少量L-DOPA療法によって副作用が出現する又は症状が悪化する可能性があることを自身が携わった共同研究に言及するなどして具体的に説明することもしなかった。また、A医師は、L-DOPA投薬継続中においても、これらの事項について説明したことはなかった。

したがって、A医師は、少量L-DOPA療法の開始時点及びL-DOPA投薬継続中において、原告両親らに対し、これらの事項について説明する義務を怠った過失が認められる。

イ 損害の発生及び額

A医師は、その説明義務違反の結果、X1が少量L-DOPA療法を受けるか否かについて意思決定する権利を奪い、X1の人格権の一内容としての自己決定権を侵害したものということができるから、X1が被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うべきである。A医師の説明義務が尽くされていたならば、原告両親らは少量L-DOPA療法を選択しなかったこと、説明義務違反の状態のまま結果的に長期間にわたりL-DOPAの投薬が継続することとなり、少量L-DOPA療法を受けなかった状態を取り戻すことは不可能であることなど一切の事情を斟酌して、X1の慰謝料額を300万円と認めるのが相当である。

被告は、説明義務違反による損害が発生する場合は、説明義務違反が問題になった医療行為と患者に生じた身体障害との間に事実的因果関係が認められる場合に限られると主張する。しかし、当該治療行為によって現に身体的損害が生じていることまでは証明できていなくとも、自己決定権が侵害されている以上、説明義務違反が成立する基礎は存するというべきであって、被告の主張は採用できない。

(2)東京高裁令和2年7月22日判決【控訴審】

ア 説明義務違反の有無

医師は、患者に対する治療を開始するに当たっては、治療の開始が急を要しその説明をする時間的余裕がないなどの特段の事情のない限り、診療契約に基づき、患者に対し、疾患と治療法について説明する義務がある。この説明義務は、患者が、その治療法について、その利害得失を理解したうえで、治療を受けるか否かについて決定する材料となるべき情報を得るために課されるものである。

ところで、上記の義務として医師が患者に対して説明すべき内容や程度は、専門家たる医師と素人である患者との間の診療契約に基づくものであることを踏まえ、そこで行おうとする治療法によって個別に判断すべきである。 すなわち、観血的手術のように身体への侵襲の度合いが強い治療法や、全く未承認の薬剤を用いた薬物療法のように身体への影響に不明なところが多い治療法、あるいは、薬剤として承認されてはいるが、高頻度で重大な副作用が生じるおそれがあるとされている薬剤を用いた薬物療法のように身体への重大な悪影響が生じるおそれが高いとされる治療法を施す場合には、その結果が重大なものとなる可能性が高いから、当該治療法の危険性や他に選択し得る治療法などについて、詳細に説明する義務があるといえる。 また、当該疾患に対して、その当時の医療水準として確立された治療法がある一方で、その当時の医療水準としては未確立の治療法を行う場合には、その治療法が未確立であること、行おうとする治療法の危険性、すでに医療水準として確立された治療法の存在とその内容、これらの利害得失について説明する義務があるというべきである。 一方で、既に薬剤として承認され、高頻度で重大な副作用が生じるおそれも報告されていない薬剤を用いた薬物療法で、その当時の医療水準として確立されている治療法を行う場合には、患者側から質問等があるときは別として、患者は専門家たる医師の判断に委ねていることが多く、治療法の詳細についてまで説明すべき義務があることにはならない。 A医師は、X1に対して少量L-DOPA療法を開始するにあたり、X1の親権者であった両親がこの治療を受けるか否かについて判断するために、X1の両親に対し、自閉症に対する確立された治療方法はなく、少量L-DOPA療法で用いられるドパストン散が自閉症の適応薬剤として承認されたものではなく、少量L-DOPA療法も医療水準として確立された治療法でないこと、その開始後に症状が悪化する場合もあることを説明する義務を負っていた。そして、上記の説明は、少量L-DOPA療法を受けるか否かについて判断するためのものであるから、その開始前にされるべきものである。 その一方で、その開始後に自閉症の治療法一般について新たに重大な知見が得られたとか、少量L-DOPA療法について新たな知見が得られたといった重大な事情の変化があり、少量L-DOPA療法を継続するか否かを改めて判断する機会を患者に確保すべき状況が生じたなどの特段の事情が生じない限り、治療法自体についての客観的状況は変動していないのであるから、少量L-DOPA療法の開始時に上記のような説明をしなかったとしても、その後の投薬の際に上記のような説明をすべき義務を負うということは相当ではないところ、本件において、上記のような特段の事情が生じたと認めるに足りる証拠はない。 A医師は、X1に対する少量L-DOPA療法の開始にあたって、X1の両親に対し、これが当時の医療水準として確立された治療法ではないことを説明すべき注意義務を負っていたのに、これを怠り、これによって、X1の両親が少量L-DOPA療法を受けるか否かについて判断するための十分な情報を得ることを妨げるという結果を生じさせた可能性も高い。

イ 相当因果関係の有無

行為と法益侵害及び法益侵害と結果との間にはそれぞれ因果関係が必要であり、因果関係の有無の判断は、帰責判断という価値的評価であるところ、説明義務は、診療契約を基礎として治療行為を選択するための情報提供を医師の側に義務付けたものであり、これに違反して行われた治療行為によって違法とはいえないものの不可抗力の副作用などが生じた場合に精神的損害との間の因果関係を認め、損害賠償請求権が発生するものと解するべきである。

これに対し、治療行為自体も全く問題なく終了し、有害事象も全く発生しなかった場合にまで、相当因果関係を認めることには疑問がある。治療行為の選択権侵害という限り、法益侵害がありそうではあるものの、あくまで診療契約に付随してどのような治療をするのかを説明するものであるから、有害事象が全く発生していない場合にまで、他の治療行為を選択する権利が失われたとまで認める必要はないと考える。その意味で、説明義務違反があっても、患者に有害事象が発生しなかった場合には、説明義務違反と精神的損害との間に相当因果関係はないと解するのが相当である。そのように解しなければ、説明義務違反による損害賠償請求権が際限なく拡大してしまい、診療契約を基礎として生ずる債権的利益を超えるものといえるからである。

本件においては、X1の現在の症状について、少量L-DOPA療法によって生じたものであると認めることはできないのであって、有害事象の発生を認定できないのであるから、仮にA医師に説明義務違反があったとしても、これと精神的損害との間の相当因果関係を認めることはできない。

3.おわりに

本事例について、第一審判決は、医師の説明義務違反を認めて、自己決定権侵害に基づく慰謝料300万円の賠償義務を肯定しました。これに対して、控訴審判決は、医師の説明義務違反を肯定する可能性を示しながらも(最終判断は留保しています。)、同説明義務違反と精神的損害との間の相当因果関係を否定して、損害賠償義務を認めませんでした。

これら判断が分かれた理由には、医師の説明義務の根拠について、「患者の人格権としての自己決定権を保障するものと解する考え方」と、「診療契約により付随的に発生する債権的なものと解する考え方」との違いがあるように思われます。前者の考え方に立てば、医療行為そのものによる結果如何に関わらず、十分な説明がなされなかったことそれ自体により自己決定権が侵害されたということになり、慰謝料請求権の発生が肯定されやすくなります。後者の考え方に立てば、治療行為によって悪しき結果が生じなかったならば、保護すべき法益侵害が存在したとまでは直ちに認め難いということになり、慰謝料請求権の発生が否定されやすくなります。第一審判決は前者の考え方、控訴審判決は後者の考え方に立ったものと考えられます。 本事例については、その後、上告等がなされているようですので、最高裁判所がどのような判断を行うのか、注目されるところです。