No.97/入院患者は、いかなる場合に転院・退院義務を負うことになるのか (その1)

No.97/2022.9.1発行
弁護士 永岡 亜也子

入院患者は、いかなる場合に転院・退院義務を負うことになるのか (その1)
~ 医師・医療機関が患者を診療しないことが正当化される場合の判断方法・判断指針について ~

1.はじめに

(1)医師法第19条第1項は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」旨定めています(歯科医師法にも同様の規定があります)。いわゆる「応招義務」です。これは、その主語を見れば明らかなとおり、医師又は歯科医師が個人として負担する義務として定められているものですが、医療機関が医師・歯科医師を雇用し患者からの診療を求めに対応する場合には、医療機関もまた同様に、「応招義務」を負うものと考えられています。

(2)ところで、医師・医療機関と患者との間で締結される診療契約は、「準委任契約」(民法第656条「法律行為でない事務の委託」)ですので、契約の締結・解除は原則として、当事者間の対人的信頼関係を基礎として、双方の自由な意思・選択に委ねられることになります。すなわち、「準委任契約」である診療契約の締結・解除は、本来は、契約当事者双方が自由に選択できる事柄なのです。 ところが、上述した「応招義務」の存在ゆえに、医師・医療機関は、上記民法上の定めにもかかわらず、基本的に患者を受け入れ診療するという選択を強いられています。

(3)このように、医師・医療機関にとって非常に大きな意味を持つ「応招義務」については、これまでもたびたび、厚生省通知等が発出され、その解釈が示される等していましたが、令和元年12月25日に改めて、「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」という厚生労働省医政局長通知が発出されており、その中で、今後は、本通知に従った判断対応等がなされるべきことが示されています。 そこで、本稿では、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知の内容について、ご紹介をしたいと思います。

2.令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知

(1)「応招義務」の法的性質

令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知は、平成30年度厚生労働省行政推進調査事業費補助事業「医療を取り巻く常況の変化等を踏まえた医師法の応召義務の解釈に関する研究」の研究報告書に基づき作成されています。 同研究報告書によれば、「応招義務」については、古くは明治時代から同趣旨の規定が罰則付きで設けられていたようですが、戦後は、医療の公共性、医師による医業の業務独占、生命・身体の救護という医師の職業倫理などを背景に、医師法の中に訓示的規定として置かれているにとどまります。その法的性質も、医師法に基づき医師が国に対して負担する公法上の義務にすぎず、医師が患者に対して直接民事上負担する義務としては位置づけられていません。また、刑事罰の規定もなく、行政処分の実例も確認されていないことから、「応招義務」違反に対する法的効果はかなり限定的であると考えられます。ただし、不合理な診療拒否が行われた場合には、患者に対する私法上の損害賠償責任を発生させる可能性があり、その過失の認定に当たって、「応招義務」の概念が援用されている実情があります。

(2)診療の求めに応じないことが正当化される場合の考え方

上述のとおり、「応招義務」の存在ゆえに、医師・医療機関は、基本的に患者を受け入れ診療するという選択を強いられているわけですが、「応招義務」があるからといって、医師・医療機関が無制限に患者を受け入れ診療しなければならないわけではありません。医師・医療機関が患者を診療しないことが正当化される場合があることは、医師法第19条第1項自体が「正当な事由」がある場合の診療拒絶を許容している点に端的に表れています。 そして、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知によれば、この「正当な事由」の有無については、①患者について緊急対応が必要であるか否か(病状の深刻度)、②診療を求められたのが、診療時間(医療機関として診療を提供することが予定されている時間)・勤務時間(医師が医療機関において勤務医として診療を提供することが予定されている時間)内であるか、それとも診療時間外・勤務時間外であるか、③患者と医師・医療機関の信頼関係の有無、の3点を踏まえて判断すべきことになります。

(3)患者を診療しないことが正当化される事例の整理

令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知には、より具体的に、以下のとおりの判断方法・判断指針が示されています。これによれば、一般に、病状の安定している患者等、緊急対応が必要でない患者の場合には、「正当な事由」の有無が緩やかに判断されることになり、「正当な事由」が肯定されやすい(すなわち、診療拒絶の正当性が認められやすい)ということになります。

A) 緊急対応が必要な場合(病状の深刻な救急患者等)

ア) 診療を求められたのが診療時間内・勤務時間内である場合

医療機関・医師・歯科医師の専門性・診察能力、当該状況下での医療提供の可能性・設備状況、他の医療機関等による医療提供の可能性(医療の代替可能性)を総合的に勘案しつつ、事実上診療が不可能といえる場合にのみ、診療しないことが正当化される。

イ) 診療を求められたのが診療時間外・勤務時間外である場合

応急的に必要な処置をとることが望ましいが、原則、公法上・私法上の責任に問われることはない。

B) 緊急対応が不要な場合(病状の安定している患者等)

ア) 診療を求められたのが診療時間内・勤務時間内である場合

原則として、患者の求めに応じて必要な医療を提供する必要がある。ただし、緊急対応の必要がある場合に比べて、正当化される場合は、医療機関・医師・歯科医師の専門性・診察能力、当該状況下での医療提供の可能性・設備状況、他の医療機関等による医療提供の可能性(医療の代替可能性)のほか、患者と医療機関・医師・歯科医師の信頼関係等も考慮して緩やかに解釈される。

イ) 診療を求められたのが診療時間外・勤務時間外である場合

即座に対応する必要はなく、診療しないことは正当化される。ただし、時間内の受診依頼、他の診察可能な医療機関の紹介等の対応をとることが望ましい。

(4)個別事例ごとの整理

また、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知では、上記(3)の一般類型的な分類整理にとどまらず、臨床現場で問題となりやすい具体的な事例を念頭に置いた整理も行われています。

たとえば、患者の迷惑行為については、「診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される」旨記載されています。 また、医療費不払いについては、「以前に医療費の不払いがあったとしても、そのことのみをもって診療しないことは正当化されない。しかし、支払能力があるにもかかわらず悪意を持ってあえて支払わない場合等には、診療しないことが正当化される」旨記載されています。 さらに、入院患者の退院や他の医療機関の紹介・転院等については、「医学的に入院の継続が必要ない場合には、通院治療等で対応すれば足りるため、退院させることは正当化される。医療機関相互の機能分化・連携を踏まえ、地域全体で患者ごとに適正な医療を提供する観点から、病状に応じて大学病院等の高度な医療機関から地域の医療機関を紹介、転院を依頼・実施すること等も原則として正当化される」旨記載されています。

3.おわりに

最近は、ペイシェントハラスメントが非常に大きな問題となっています。臨床医療法務だよりでも、これまでたびたび触れてきていますが、その問題に頭を悩ませている医療機関は多いはずです。 ペイシェントハラスメント等の問題行動を起こす患者に対し、医師・医療機関が診療拒絶を行おうとした場合に直面するのが「応招義務」の壁です。「応招義務」の存在ゆえに、これまで、医師・医療機関が診療拒絶を躊躇してきたという実情があると思います。 しかしながら、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知は、「診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化される」旨明記しており、患者の迷惑行為がある場合に、医師・医療機関が診療拒絶を行い得ることをはっきり肯定しています。 また、令和元年12月25日厚生労働省医政局長通知では、上記2(4)でご紹介した個別事例のほかにも、差別的な取扱いや、訪日外国人観光客をはじめとした外国人患者への対応についての考え方も紹介されていますので、具体的状況下において、いかなる場合に患者を診療しないことが正当化されるのかの判断方法・判断指針として、非常に役立つものであると考えます。 もしまだ読んだことがないという方は、是非一度、読んでいただくことをお勧めします(厚生労働省のホームページ上で公開されています)。