No.8/終末期医療の在り方について②(尊厳死)

No.8/2020.9.15 発行
弁護士 福﨑 龍馬

 前回に引き続き、今回は尊厳死の在り方や、法律上・裁判上、尊厳死がどのように取り扱われているのかをご紹介します。

1.尊厳死の定義

(1)安楽死と尊厳死は、いずれも同じ終末期医療の問題であり、概念としても似ているため、違いが分かりにくいかもしれません。法律においても、「尊厳死」が何かを明確に定義したものはありません。前回コラムでも出てきた東海大学安楽死事件では、直接的には医師が患者に行った「積極的安楽死」の処罰(殺人罪)が問題となっていましたが、傍論で「尊厳死」とは何か、また、尊厳死が法的に許容される場合(殺人罪・同意殺人罪として処罰されない場合)についても言及しています。
(2)そこでは、まず、尊厳死の定義について、「治療行為の中止(=尊厳死)は、意味のない治療を打ち切って人間としての尊厳性を保って自然な死を迎え」させることと述べています。また、「(消極的)安楽死」との関係性については、「苦痛を長引かせないために延命治療を中止して死期を早める不作為型の消極的安楽死は、治療行為の中止の範疇に入る行為として、その許容性を考えれば足りる。」と述べています。すなわち、尊厳死と消極的安楽死が許容される要件は同じと述べているのです。おそらく、裁判所は、尊厳死と消極的安楽死の相違点が、その目的(「無駄な延命治療を打ち切って自然な死を迎えること」(尊厳死)か、「苦痛の開放、苦痛の除去・緩和」(安楽死)か)にしかなく、延命治療の中止という外形的な行為は同じと解さざるを得ないことから、許容される要件も同じとしてよい、と述べたものと思われます。

2.尊厳死が許容されるための要件

 東海大学安楽死事件では、延命治療の中止が許容される要件として、①患者が治癒不可能で、回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にあること、②治療行為の中止時点で、それを求める患者の意思表示が存在すること、③中止される延命治療はいなかなる措置であっても対象となること、の3点が述べられています。また、②については、患者本人の意思が不明である場合、患者本人の意思を適確に推定しうる立場にある家族の意思表示から、患者本人の意思を推測することも許されるとしています。

3.厚労省等のガイドライン

(1)終末期医療における治療行為の中止等に対しては、①近親者の物心両面にわたる過大な負担の軽減、②国民全体の医療経済上の効率性、③患者本人の意思の尊重、などを根拠として認めるべきだとする見解がある一方、これを安易に肯定すると、「社会に負担をかける人々」に対する抹殺がおこりうるのではないか(「滑りやすい坂道」)という意見もあり、いかなる場合に、医師が治療行為の中止をなしうるのかを明確にした法律等は未だ制定されていません(東海大学安楽死事件の判決は地裁判決であり、高裁や最高裁でも同じ判断が維持されるとは限りません。)。


(2)平成19年5月、厚労省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を公表しました(平成30年3月改訂時に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」と名称変更。)。同ガイドラインは、延命治療の不開始・中止等(「尊厳死」「消極的安楽死」)の在り方を明らかにしており、積極的安楽死は対象としていません。その内容は、終末期医療の進め方として、医師などの医療従事者から適切な情報提供と説明がなされ、それに基づいて患者が医療従事者(医療・ケアチーム)と十分に話し合い、患者本人による意思決定を基本として進めることが最も重要であるというもので、延命治療の不開始・中止等の判断は、医療・ケアチームによって、医学的妥当性と適切性を基に慎重になされるべきである、とされています。


(3)厚労省のガイドラインは、終末期に関する定義が欠けていたり、刑事免責規定(いかなる場合に、医療従事者が適法に治療行為の中止等をなしうるのか)が盛り込まれていない、など医療現場への実効性については疑問を呈する見解もありますが、終末期医療の手続きを明らかにしたものとして、その内容については十分に理解をしておく必要があります。