No.179/呼吸停止と蘇生措置を行うべき義務違反(DNAR) ~名古屋地判令和5年2月22日~
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No.179/2025.10.1発行
弁護士 福﨑博孝
呼吸停止と蘇生措置を行うべき義務違反(DNAR)
~名古屋地判令和5年2月22日~
1.事案の概要
X1の夫であり、その余のXらの父であるAが、肺炎となってY病院の救急外来を受診し、そのまま入院したところ、翌日深夜ないし翌々日未明に急変し死亡した事案について、Xらが、Y病院の医師ないし看護師がAに対して必要な診察、治療、看護を行わず、急変時に心肺蘇生措置を行わなかった等と主張してY病院に対し慰謝料等の損害賠償請求をしたものである。
2.裁判所の判断(胃瘻造設手術の説明義務)
(1)当事者
Aは昭和20年○○月生まれの男性であり、死亡当時72歳であった。X1はAの妻であり、X2はAとX1の長男、X3は長女、X4は次女である。 Yは地方公共団体であり愛知県碧南市においてY病院を経営している。
(2)事実経過の概要
Aは、平成29年11月初め頃に特別養護老人ホームに入所していたところ、同年12月5日から同月17日まで、誤嚥性肺炎を治療するためY病院に入院した。 Aは、平成30年3月20日15時前後、X1に付き添われてY病院の救急外来を受診した。Aについては、Y病院の救急当番医であったC医師(2年目研修医)が最初に診察し、その後、17時頃、内科系当番医であったD医師が診察した。検査の結果、発熱(37.3度)があり、SpO2低下、食欲低下が認められたため、D医師はAが肺炎になっていると診断し、同日、Aを入院させることとした。 翌3月21日17時10分頃にAに吸痰が実施されたところ、吸引チューブが気管に入り、白色の唾液混じりの痰が多量に引けた。その後、同日21時10分及び22時にもAに吸痰が実施され、唾液様ないし白色痰が中等量引けた。もっとも、上記各時点において、Aに喘鳴は認められなかった。 3月22日0時15分頃、Aは呼吸停止の状態で巡回の看護師に発見された。Aの頸動脈は触れず、口腔内から泡を吹いている状態で、対光反射はなく、睫毛反射もなかった。看護師は、当直医(E医師)及び主治医(D医師)に連絡するとともに、家族に連絡した。 Aに対しては、輸液がされたものの、蘇生措置や人工呼吸器を用いた延命処置は行われず、Aは、(平成30年)3月22日1時12分、死亡が確認された。
(3)裁判所の判断
1 争点(1)(吸痰の懈怠)について
(1)Xらは、Y病院の看護師は、3月21日の22時以降も、Aに対して1時間ごとに吸痰をする義務があったのに、これを怠ったため、Aは同日23時頃に痰を喉に詰まらせて窒息死したと推測される旨主張する。
(2)そこで検討するに、Y病院においては、痰の吸引は看護師勤務交代時、起床時、消灯時、体位交換時、おむつ交換時、検温時、点滴交換時などのタイミングで適宜実施されていたこと、3月21日には6時、8時、9時38分に吸痰が実施されたこと、その後17時10分に吸痰が実施されたところ、白色の唾液混じりの痰が多量に引けたものの、同日21時10分及び22時には唾液様ないし白色痰が中等量引けたにとどまったこと、上記各時点において、Aに喘鳴(気道分泌物の貯留や気道粘膜の浮腫・膨化などが原因の気道狭窄によりもたらされる、空気が気道を通過する際に発するゼイゼイ、ヒューヒューという音)はなかったことがそれぞれ認められる。そうすると、Aの痰や呼吸の状態が悪化したと認められない以上、Aに対して1時間ごとに吸痰をしなければならなかったと即断できるものでもない。
(3)この点、X1は、Aが同日10時頃に痰が絡んで辛そうだったと陳述するが、Aの痰の量に直接言及するものでもない。 そもそも、Xらは、Aに対して1時間ごとに吸痰をする義務があったと主張するが、本件において同主張に係る義務を裏付ける医学的根拠を認めるに足りる証拠はなく、かえってD医師は、1時間ごとに吸痰を行うことは過剰医療であり、現実的ではないとの意見を述べている。 また、Xらは、Aが23時頃に痰を喉に詰まらせて窒息死したとも主張するが、同主張に係る事実を認めるに足りる証拠もない。この点に関しては、X1は、3月21日23時25分頃にY病院の看護師から電話を受け、Aが息をしていないと伝えられたと陳述等をするが、裏付けとなる客観的ないし的確な証拠もなく、仮にそれが事実であったとしても、上記義務の存在を肯定する事情となるものでもない。 以上の他に、本件において、Y病院の医師や看護師らが上記義務を負っていたことを認めるに足りる事情は見当たらない。Xらは、3月22日0時15分に看護師が巡視した際にAが呼吸停止となっていたから吸痰が遅れた旨を主張するが、呼吸停止の結果のみをもって吸痰の遅れについて注意義務違反があったとすることもできない。そうすると、Y病院の看護師に吸痰に関して注意義務違反は認められない。
2 争点(2)(心臓マッサージ等の蘇生措置の懈怠)について
(1)Xらは、Y病院の医師は、Aの呼吸停止を確認した時点で、痰の吸引、酸素吸入、人工呼吸又は人工呼吸器の使用、心臓マッサージ等の蘇生措置を行うべき義務があったにもかかわらず、これを怠った旨主張する。
(2)そこで検討するに、平成29年12月5日にAが誤嚥性肺炎治療のために救急搬送されて入院した際、Y病院のE医師からの問いかけに対し、妻X1は、心肺停止の際に延命治療を希望しないと答え、DNR(Do Not Resuscitation。 「DNAR」に同じ。)の意思表示をしたこと、(平成30年)3月20日にY病院に来院した際には、Aはアルツハイマー型認知症(高度)であり意思疎通ができず、簡単な呼びかけに反応する程度であって、自身で延命治療の希望を表明し得ない状態にあったこと、D医師は、同日17時頃、Aを診察するとともに、X1に対し、前回入院と同様にAには肺炎が疑われ、抗生剤によって改善する可能性もあるが、治療しても悪化して命を落とすこともあると説明し、状態悪化時に挿管治療などの延命治療を行うかを尋ねたところ、X1は、延命治療を行わず、自然な経過での看取りを希望したこと(DNRの意思表示)が認められる。 これに対し、X1は、(平成29年)12月5日に延命治療を希望しないと答えたことを認めるものの、(平成30年)3月20日にはD医師と会っておらず、上記のDNRの意思表示もしていないとし、Aは意思疎通をすることができたなどと陳述等をする。しかし、X1の同陳述等は、D医師と会っていないことやAが高度の意思疎通ができたことについて具体的な根拠を伴うものではなく、診療録(カルテ)の記載ないしD医師の陳述等にも反する。そして、本件においてX1の同陳述等について裏付けとなる客観的ないし的確な証拠もない以上、同陳述等はにわかに採用することができない。
(3)そうすると、Aが意思疎通困難な状態にあり、妻であるX1がDNRの意思表示をしている以上、Y病院の医師等が、Aが呼吸停止となった時点で蘇生措置を施さなかったとしても、これを診療契約上の注意義務違反などであるということはできない。 Xらは、日本学術会議の見解を根拠に、延命治療の中止を求める理由や内容を聴取し、繰り返し家族の意思を確認すべきであると主張し、そのような慎重な確認は望ましいといえる。もっとも、D医師は、X1が急変のリスクを楽観的に受け止めているように感じたため、急変・状態悪化のリスクを重ねて説明した上で延命処置を希望しないことを慎重に確認したのであり、D医師のこのような確認に慎重さに欠けるところがあったとか、義務違反があったとかと評価することはできない。
3.まとめ(解説)
(1)Xらは、「日本学術会議」の見解を根拠に「延命治療の中止を求める理由や内容を聴取し、繰り返し家族の意思を確認すべきである」と主張しているようですが、その「日本学術会議の見解」とは平成20年(2008年)2月14日付の日本学術会議臨床医学委員会終末期医療分科会の「終末期の在り方について-亜急性型の終末期について-」ではないかと思われます。そこでは、「患者本人の意思が確認できないまま終末期に入り、家族から延命治療の中止を求められた場合」として、「実際の局面で判断を行うに当たっての手続きとしては、家族構成者間に意思の相違はないか、を含めた家族意思の繰り返しての確認がまず必要となる。…その場合、他職種医療チームによる判断は当然であり、繰り返しの確認と記録の保持は必須となる。」(13~14頁)とされています。つまり、ここには明示はされていませんが、ACP(アドバンス・ケア・プラニング)の考え方を明らかにしているものと思われます。
しかし、平成20年の日本学術会議の見解をもって主張するよりも、本件医療行為時(平成29年から同30年ころ)の症例であれば、平成19年5月に公にされた厚生労働省の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン 解説編」(以下「平成19年終末期医療のガイドライン」)を根拠にして主張すべきでだったような気がします。そこには既に、ACPの考え方が取り入れられており、「終末期医療及びケアの方針決定」について、「患者の意思の確認ができる場合」(2(1)②)とし、「治療方針の決定に際し、患者と医療従事者とが十分な話合いを行い、患者が意思決定を行い、その合意内容を文書にまとめておくものとする。上記の場合は、時間の経過、病状の変化、医学的評価の変更に応じて、また患者の意思が変化するものであることに留意して、その都度説明し患者の意思の再確認を行うことが必要である」としています。また、平成29年1月付の「DNAR指示のあり方についての勧告」(日本集中治療医学会。以下「DNAR勧告」といいます)も同様であり、そこでは、「4.DNAR指示の妥当性を患者と医療・ケアチームが繰り返し話合い評価すべきである」とされていますから、Xらは、これも併せて「延命治療の中止を求める理由や内容を聴取し、繰り返し家族の意思を確認すべきである」という主張の根拠にすべきだったのだろうと思われます。しかも、厚生労働省の上記平成19年終末期医療のガイドラインは、平成30年3月に「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(厚労省。以下「人生最終段階ガイドライン(平成30年改訂)」といいます)と名称変更して改訂されており(平成30年3月22日死亡の本件事案について規範とすることができるかどうかは微妙ではありますが…)、患者・家族の意思決定プロセスに(明示的に)ACPが取り入れられています。すなわち、「時間の経過、心身の状態の変化、医学的評価の変化等に応じて本人の意思が変化しうるものであることから、医療・ケアチームにより、適切な情報の提供と説明がなされ、本人が自らの意思をその都度示し、伝えることができるような支援が行われることが必要である。この際、本人が自らの意思を伝えられない状態になる可能性があることから、家族等も含めて話合いが繰り返し行われることも必要である」とされているのです(ちなみに、本件患者の死亡の翌年(令和元年6月)には日本老年医学会から「ACP推進に関する提言」も刊行されています)。 以上からすれば、代理人も裁判所ももう少し踏み込んだ検討をすべきだったのかもしれません。
(2)ACPだけではなく、本件判決では、DNAR・蘇生措置や延命措置(延命治療)に関する意思決定プロセスについても十分な検討が出来ていないような気がします。むしろ、DNAR(蘇生措置)と延命治療(延命措置)とを混同しているか、または、同じものと誤解しているのではないかという書きぶりがあります。例えば、判決書での「X1は、延命治療を行わず、自然な経過での看取りを希望したこと(DNRの意思表示)が認められる」、「Y病院の医師等が、Aが呼吸停止となった時点で蘇生措置を施さなかった」などという表現は、裁判所も代理人弁護士も混同していたのではないかと疑ってしまいます。 人生最終段階ガイドライン(平成30年改訂)では、終末期の医療・ケア行為の決定プロセスの対象を「(医療・ケア行為の)開始・不開始、内容の変更、中止等」と抽象的に表現しているにすぎませんが、「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン-3学会からの提言-」(日本救急医学会・日本集中治療医学会・日本循環器学会。以下「3学会提言」といいます)では、その中止等の選択肢として、「(1)人工呼吸器、ペースメーカー、補助循環装置などの生命維持装置、(2)血液透析などの血液浄化、(3)人工呼吸器の設定や昇圧薬、輸液、血液製剤などの投与など呼吸や循環の管理、(4)心停止時における心肺蘇生を行わない」などを挙げています。つまり、(4)にあるDNARは蘇生治療のほんの一部に過ぎないということなのです。そして、DNAR勧告でも「1.DNAR指示は心停止時のみに有効である。心肺蘇生以外はICU入室を含めて通常の医療・看護については別に議論すべきである」、「DNAR指示のもとに心肺蘇生以外の酸素投与、気管挿管、人工呼吸器、補助循環装置、血液浄化法、昇圧薬、抗不整脈薬、抗菌薬、輸液、栄養、鎮痛・鎮静、ICU入室など、通常の医療・看護行為の不開始、差し控え、中止を自働的に行ってはいけない」とされているのです。 以上の観点からすれば、本判決は、その結論の是非は別にしても、「認知症の高齢の患者の妻が、延命治療(これを「DNAR」と説明している?)は行わないと意思表示していたのだから問題はない」といっているような気がします。DNAR(心肺蘇生措置拒否)を妻が明確にしているからといって、他の延命措置も差し控えてよい(不開始でよい)ということにはならなないのではないでしょうか。本判決は、判決の結果は変わらないとしても、その決定に至るプロセスについての踏み込み(掘り下げ方)が浅い(甘い)ような気がします。
