No.129/生殖補助医療法の成立と、夫の同意を得ないAIH(配偶者間人工授精)に関する裁判例 (奈良家庭裁判所判決平成29年12月15日)

No.129/2023.5.1発行
弁護士 福﨑 龍馬

生殖補助医療法の成立と、夫の同意を得ないAIH(配偶者間人工授精)に関する裁判例
(奈良家庭裁判所判決平成29年12月15日)

1.生殖補助医療法の成立

生殖補助医療については、臨床医療法務だよりNo.75「代理出産は許されるのか?(それを否定した最高裁平成19年3月23日決定について)」において、代理出産をテーマとしました。父子関係・母子関係を決定するルールは民法で定められていますが、法規制が医学の進歩に追いつけていないため、生殖補助医療により産まれた子については、民法上のルールが上手く適用できず様々な問題が生じています。No.75でテーマとした代理出産における親子関係も、その一つですが、本稿では、生殖補助医療における親子関係のルールを新たに創設した生殖補助医療法の概要を説明し、そのうえで、AIH(配偶者間人工授精)に関する比較的近時の裁判例をご紹介したいと思います。

(1)母子関係・父子関係の民法上のルール

母子関係の決定方法について、判例上「分娩の事実」によって決まるものとされています。要するに、実際に自分で胎児を妊娠し、出産を行った女性がその母親である、ということになります。 一方、父子関係は、分娩などの父子関係を明白にする事実がないので(妻が妊娠出産をしたとしても他の男性の子供の可能性もあり得ます。)、民法772条1項において、「妻が婚姻中懐胎した子は、夫の子と推定する」と規定し、婚姻している妻から生まれた子については、婚姻の相手である夫が父であると推定(嫡出推定)する仕組みとなっています。この嫡出推定は、夫が、子の出生を知ってから1年の期間制限のある嫡出否認の訴えによらなければ、覆すことができないとされています。要するに、妻が、本当は第三者(浮気相手など)との間の子を身ごもっていたとしても、その夫は、子の出生を知った時から1年以内に嫡出否認の訴えを提起しなければ、自身の子であることを否定することはできない(夫には、当該子を扶養する義務が発生する)、ということになります。これは、速やかに父子関係を確定することによって、子に安定した養育環境を与えるための制度とされています。

(2)生殖補助医療法の成立とその概要(令和2年(2020年)12月4日成立)

ア AIHとAID

生殖補助医療の種類として、AIHとAIDがあります。AIH(Artificial Insemination 『by Husband』、配偶者間人工授精)とは、通常の性交渉では妊娠できない場合に、採取した夫の精子を用いて医学的方法により妻の体内に注入して妊娠を成立させることをいいます。一方で、AID(Artificial Insemination 『by Donor』、非配偶者間人工授精)とは、生殖補助医療を試したが、夫の精子を用いることでは、妊娠できない場合等に、夫以外の第三者の精子を提供してもらい妊娠を成立させることをいいます。 今回成立した生殖補助医療法は、主に、AIDに関するルールを定めたものであるため、AIHに関しては定めがありません。

イ 法律の概要

2000年代初めから、生殖補助医療に関する法整備の必要性が議論されてきたにもかかわらず、長い間、法制化が実現していませんでしたが、令和2年(2020年)12月4日、ついに、生殖補助医療法が制定されました。生殖補助医療法は、親子関係に関する民法の特例であり、下記の2つを定めています。

法第九条(他人の卵子を用いた生殖補助医療により出生した子の母)

女性が自己以外の女性の卵子(その卵子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により子を懐胎し、出産したときは、その出産をした女性をその子の母とする。

法第十条(他人の精子を用いる生殖補助医療に同意をした夫による嫡出の否認の禁止)

妻が、夫の同意を得て、夫以外の男性の精子(その精子に由来する胚を含む。)を用いた生殖補助医療により懐胎した子については、夫は、民法第七百七十四条の規定にかかわらず、その子が嫡出であることを否認することができない。

第10条のルールは、今までの裁判例においても、概ね認められていたものであり、①夫の同意を得て妻がAIDを受けた場合、嫡出子と認め、父子関係を否定できないとした裁判例(東京高判平成10年9月16日)、及び、②夫がAIDに同意しなかったにもかかわらず、妻が、夫に無断で、AIDを受け出産した場合に、父子関係を否定した裁判例(大阪地判平成10年12月18日)がありました。 生殖補助医療法は、第10条において、これらの裁判例を明文化(ルール化)したものと評価できそうです。

(3)今後の課題

今回の法律で、生殖補助医療に関して、全てが解決したということでは全くありません。生まれてくる子が出自(遺伝上の親)を知る権利や、精子・卵子の提供者(ドナー)情報をどこまで開示するか、また、代理出産に関するルールも規定されておらず、積み残しの課題となっています。これらについては、「2年をめどに法制上の措置を講じる」と法律に附則が盛り込まれて先送りとなっています。 また、後記2.で紹介する裁判例は、AIHに関する紛争です。生殖補助医療法では、第10条で、AIDに関するルールを定めましたが、AIHを巡る親子関係については言及しておらず、今後も、個別の裁判で判断されることになりそうです。

2.奈良家庭裁判所判決平成29年12月15日(夫の同意を得ないAIHの父子関係)

(1)事案の概要

本事案は、外国籍を有するXが、戸籍上Xの嫡出子とされているYに対し、XとYとの間に法律上の親子関係は生じない旨主張して、XとYとの間に親子関係が存在しないことの確認を求めた事案です。Xと、Xの妻であったA(Yの母)との間には、婚姻同居中に生殖補助医療によって生まれた長男(Yの兄)がいました。XとAは、平成22年10月頃、産婦人科医院において、体外受精、凍結胚・融解胚移植等の生殖補助医療を受けることに同意し、Aの卵巣内で卵子を複数個成熟させ、それを体外に取り出し、Xの精子と体外受精等させて作製した受精卵を凍結保存し、その一部を再び融解させてAに移植する方法によって、長男を誕生させました。そして、Aは、残りの凍結受精卵について、保管期間の延長の手続をとり、凍結受精卵はその後も本件クリニックに凍結保存されていました。 Aは、平成26年5月頃から、第2子の誕生を希望し、Xの同意がないまま、本件クリニックにおいて、残りの凍結受精卵を融解させ、Aに移植させて、Yを懐胎・出産し、Aは、YについてXとAとの間の嫡出子として出生届出をしました。Xは、その約10日後にYの出生を知りました。 平成28年10月26日、XとAは、調停離婚し、同日、Xは、XとYとの間に親子関係が存在しないことの確認を求める本件訴えを提起しました。

(2)裁判所の判断

本件事案では、夫の同意を得ないAIHについて、①「民法上の父子関係を認めるための要件は何か」という点と、②「民法722条所定の嫡出推定が及ぶか」という2つの論点を明確に区別して議論しています。 すなわち、①について、民法上は、妊娠出産した妻と婚姻関係にある夫が父と推定されますが、同意を得ないAIHの場合も同様でいいのか、追加的要件として(AIDと同様)夫の同意が必要なのではないか、ということが議論されています。②の議論を理解するには、前提として、「(嫡出)推定の及ばない子」とは何かを理解しておく必要があります。夫は、子の出生を知った時から1年以内に嫡出否認の訴えを提起しなければ、自身の子であることを否定することはできないとされていますが、判例上、例外的に、1年後であっても、父子関係を否定できる場合が認められており、これを「(嫡出)推定の及ばない子」といわれています。すなわち「夫婦の長期間の別居、例えば夫の収監、行方不明、海外赴任などで、夫婦間の性交渉があり得ないことが外観上明白な場合」(外観説)には、「(嫡出)推定の及ばない子」として、例外的に1年後であっても父子関係を否定できるとされているのです。本事案で、夫Xは出生を知った後1年以上経過して、提訴しているため、嫡出否認の訴えを提起できず、そのため、親子関係が存在しないことの確認を求める訴えを提起したものと思われます。この場合、「(嫡出)推定の及ばない子」と評価できない限り、父子関係は否定できない、ということになります。

①―1 AIH子と夫との間に民法上の父子関係を認めるための要件として夫の同意が必要か

「民法における親子関係の法制は、自然生殖を前提に制定されていることは明らかである。しかしながら、生殖補助医療は、自然生殖では妊娠・出産することができない夫婦間等において、自然生殖を補助するもの、または、自然生殖を代替するものとして、その有用性、必要性が認められているものであることからすれば、民法制定当時想定されていなかったことのみを理由に、生殖補助医療によって出生した子と夫との法的親子関係を否定するのは相当ではなく、社会通念上、夫婦等が実施した生殖補助医療が自然生殖を補助し、または、これを代替するものとして正当化されるものであるといえる場合には、当該生殖補助医療の結果生まれた子と夫との間に民法上の親子関係を認めるべきであると解される。 そこで、どのような場合において、正当な生殖補助医療といえるかを検討する。生殖補助医療によって子が誕生する場合は、自然生殖の場合と異なり、医療行為が介在するところ、一般的に医療行為を受けるためには、医療行為を受ける者が、医療機関に対し、医療行為を実施することついて同意していることが必要である。この同意自体は、医師または医療機関に向けられたものであるが、生殖補助医療の目的に照らせば、妻とともに生殖補助医療行為を受ける夫が、その医療行為の結果、仮に子が誕生すれば、それを夫と妻との間の子として受け入れることについて同意していることが、少なくとも上記医療行為を正当化するために必要であると解される。」

①―2 いつの時点で同意が必要か

さらに、夫の同意が必要であることを前提として、同意がどの時点で必要かについて、下記の通り判示しています。 「次に同意の時期について検討する。凍結胚・融解移植は、凍結受精卵を作製する行為、凍結受精卵を融解した上で、母体に移植する行為に分けることが出来るが、既述のとおり、凍結受精卵自体は、自然生殖に置き換えると、胎児や胎芽ではなく、自然淘汰される可能性のある4ないし8分割された細胞に過ぎない存在であり、医療行為の重要性や母体に対する危険度においても明らかに母体に移植する行為の方が重要であるといえる。それに加えて、凍結受精卵は、相当長期間保存し、任意の時期に融解して体内に移植することが理論上可能であるから、凍結受精卵の作製・保存自体に同意をしていたとしても、個別の移植時において精子提供者が移植に同意しないということも生じ得るものであるから、移植をする時期に改めて精子提供者である夫の同意が必要であると解するべきである。」

② 民法772条所定の嫡出推定が及ばない事情があるか

「同条項所定の期間内に妻が懐胎、出産した子について、妻がその子を懐胎すべき時期に、既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われ、又は遠隔地に居住して、夫婦間に性的関係を持つ機会がなかったことが明らかであるなどの事情が存在する場合に、上記子は同条の推定が及ばない嫡出子に当たり、親子関係不存在確認の訴えの提起が認められると解するべきである」「XとAは、・・・別居はしていたものの、Xが、本件自宅を継続的に訪れるとともに、長男を含めた3人で外出したり、1泊2日の旅行に出かけたりしていたのであるから、第三者から見て、既に夫婦が事実上の離婚をして夫婦の実態が失われていると見ることはできない。・・・嫡出推定が及ぶか否かに関する事情は、外観的に評価判断すべきであるから、仮に、Xは長男との面会交流であるとの認識を有していたとしても、婚姻関係が破綻した非監護親と子の面会交流であれば、既に認定したとおり休日に頻繁に3人で行楽等のため外出したり、1泊2日の旅行に出かけ同室に宿泊したりすることは、通常行われないとみることができる・・・」「以上によれば、Yは、Xの嫡出子であると推定され、これを否定するための手続は、嫡出否認の訴えのみであって、本件訴えは、不適法であるから、本件訴えの手続の中で上記同意の要件を含めXとYとの親子関係の存否についての判断をすることはできない(民法774条、775条、777条)。」と判示しています。

(3)まとめ

判決の内容は少し分かりにくいかもしれませんが、要するに、AIHに関しても、受精卵を母体に移植する段階で夫の同意がなければ、父と子との親子関係は認められない、とする一方、本件では嫡出推定が及ぶため、夫は、父子関係を否定することはできない、としました。逆に言うと、夫が、子の出生を知ってから1年以内に嫡出否認の訴えを提起していれば、親子関係を否定できていたことになります。結論としては、AIHでも夫の同意が必要ということであり、AIDと同じルール(生殖補助医療法10条)を示したということになります。 この事案については、最高裁で上告が棄却されて、本裁判例の判決が確定しています。今後、AIHの父子関係を巡って争いとなった場合は、本裁判例のルールに従って判断されることになると思われます。