No.108/医薬品の添付文書に関する裁判例(最高裁平成8年1月23日判決等)

No.108/2022.11.15発行
弁護士 増﨑勇太

医薬品の添付文書に関する裁判例
(最高裁平成8年1月23日判決等)

第1 はじめに(添付文書の電子化について)

令和3年8月1日、「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」の改正法が施行されました。この改正により、医薬品及び医療機器の注意情報等は独立行政法人医薬品医療機器総合機構のホームページに掲載するなどの方法で公開され、紙媒体の添付文書(能書)は令和5年8月までに廃止される予定です(ただし、一般消費者が直接購入する医薬品等については紙媒体の添付文書による情報提供が引き続き行われます。)。

紙媒体の添付文書では、医薬品等の注意情報が更新された場合に、更新に気づかないまま在庫の医薬品等に添付された古い添付文書にしたがって医薬品を利用する恐れがありました。添付文書が電子化されることにより、医療従事者は常に最新の注意情報をチェックすることができるようになります。

この点、最高裁平成14年11月8日判決では、「精神科医は,向精神薬を治療に用いる場合において,その使用する向精神薬の副作用については,常にこれを念頭において治療に当たるべきであり,向精神薬の副作用についての医療上の知見については,その最新の添付文書を確認し,必要に応じて文献を参照するなど,当該医師の置かれた状況の下で可能な限りの最新情報を収集する義務がある」と判示しています。最新の添付文書を確認すべきとの判示は、精神科医に限らず医師全般に当てはまると考えられるため、電子化された添付文書の更新を見落とすことがないよう、更新情報をチェックする体制を医療機関側でも整えていくことが必要です。

本稿では、医薬品の添付文書に記載された注意事項に反する投薬等について、過失を認めた判例と、過失を否定した判例をそれぞれ紹介し、医薬品の添付文書の重要性について確認していきたいと思います。

第2 最高裁平成8年1月23日判決(医師の過失を認めた判例)

1.事案の概要

Y医師は、患者A(当時7歳)の虫垂炎切除手術において、腰椎麻酔を実施しました。この際Y医師は、看護師に対し、患者Aの血圧を5分ごとに測定して報告するよう指示をしました。 ところが患者Aは、手術開始の4,5分後頃から悪心を訴え、血圧及び脈拍が低下しました。Y医師は手術を一時中止し、酸素圧入等の応急処置を行いましたが、患者Aには脳機能低下症による重度の障害が残りました。 患者Aとその両親は、医師Yらが腰椎麻酔後の患者の状態を適切に観察する義務を怠ったとして、損害賠償請求訴訟を提起しました。

2.裁判所の判断

本件手術の腰椎麻酔で使用された麻酔剤の添付文書には、「麻酔剤注入前に一回、注入後は一〇ないし一五分まで二分間隔に血圧を測定すべきである」と記載されていましたが、手術が行われた昭和49年当時の一般開業医の間では、血圧については少なくとも5分間隔で測定するのが一般的でした。このような状況において、5分間隔での血圧測定を指示した医師に過失があったといえるかが本件の争点となりました。 この点について裁判所は、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文章に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである。」と判断しました。そして、当時の一般開業医が添付文書に従わず5分間隔での血圧測定をしていたことは、添付文書に反する方法で血圧測定を行ったことを正当化する理由にはならないとし、Y医師の過失を認めました。

第3 大阪地裁平成21年5月18日判決 (医師の過失を否定した判例)

1.事案の概要

患者A(当時60歳)は、慢性腎不全,狭心症等の持病を有しており、40歳代から入通院を繰り返して内科療法を受けていたほか、経皮的冠動脈再建術、経皮的冠動脈ステント留置術等の手術も受けていました。 平成11年8月、患者Aが胸痛を訴えてY病院を受診し、経過観察のため入院となりました。入院日の夜に再度胸痛を訴え、不穏状態となったことから、ブチロヘェノン系抗精神病薬であるセレネース(ハロペリドール)等が投与されました。しかしながら、翌日午前4時20分頃には患者AのSPO2が82%まで低下、午前4時40分頃には容態が急変し心停止に陥り、午前4時45分には医師が心臓マッサージを実施し、午前4時55分にボスミン(アドレナリン)1アンプルを投与しました。その後も心肺蘇生措置を継続し、午前6時20分及び25分にはさらにボスミン1アンプルずつが投与されましたが、午前6時30分頃に患者Aの死亡が確認されました。

患者Aの相続人は、ボスミンの添付文書にはセレネース等のブチロヘェノン系抗精神病薬を投与中の患者に対するボスミンの投与は禁忌と記載されており、それにもかかわらずボスミンを投与した医師に過失があるとして損害賠償請求訴訟を提起しました(その他の過失も主張されていますが、本稿では割愛します。)。

2.裁判所の判断

裁判所は、「セレネースを服用している患者Aに対しボスミンを投与したことは,禁忌に該当する薬剤を投与したものであって,医師の過失を推認することができるようにみえる」としつつ、「心肺停止という緊急の状態に陥った場合には,蘇生するために有益と考えられるできる限りの措置を講じることが医師に求められているということができるところ・・・ボスミンの投与は,既に十数分間心肺停止状態が続いており,不可逆的な脳障害が発生していてもやむを得ないという段階以降においてされたものであり,そのまま心臓マッサージを続けても回復する見込みがない状況下において,心停止の回復に強力な効果を有するとされるボスミンを禁忌ではあるが投与したことをもって,医師に過失があるということはできない」として、医師の過失を否定しました。

第4 解説

上記第2、第3で紹介した判例は、結論は異なるものの、「添付文書に反する薬剤の投与等がされた場合、原則として医師の過失が推定される」という判断基準は一致していると考えられます。 問題は、どのような場合に添付文書に反する医薬品の投与等が認められるかです。上記第2の平成8年最判は、単に多くの医師が添付文書に反する投与方法を行っていたというだけでは医師の過失は否定されないと判断しています。あえて添付文書と異なる投与を行う場合は、ガイドライン・基本的医学書・信頼できる医学論文等の医学的・学術的な裏付けのある根拠資料が必要であると解されますが、それはケースバイケースの個別判断ということになります。 また、上記第3の大阪地裁判決は、緊急の状況において添付文書上の禁忌に該当する薬剤の投与を認めています。ただし、この判決の事例は、患者の心肺停止から10分以上が経過し、禁忌薬の投与以外の救命手段がないという非常に限定的な状況です。また、薬剤の投与と患者の死亡との因果関係も否定されており、過失について厳密な認定が求められた事案ではありません。本判決を前提としても、添付文書に反する投薬等が認められる状況はごく限られていると考えるべきです。 添付文書と異なる投薬等を行う場合は、その根拠を慎重に検討して判断過程を医療記録に残すとともに、患者に対する十分な説明と同意(インフォームドコンセント)も行うべきでしょう。