No.172/終末期にあって判断力の乏しい高齢者について、家族が患者の意思を推定して治療行為についての 同意を行うことは、患者の利益のために必要な行為として許容されるとの判断がなされた事例 (東京地裁令和3年11月18日判決)

No.172/2024.3.3 発行
弁護士 永岡 亜也子

終末期にあって判断力の乏しい高齢者について、家族が患者の意思を推定して治療行為についての
同意を行うことは、患者の利益のために必要な行為として許容されるとの判断がなされた事例
(東京地裁令和3年11月18日判決)

1 事案の概要

患者E(大正14年生まれ、死亡時90歳)は、昭和49年にC型肝炎ウイルスに感染し、平成24年7月ころから、H病院で肝細胞がんの経過観察を受けていた。平成25年5月に行った腹部超音波検査の結果、30mm大の肝細胞がんが認められたため、同年6月、二女Xが暮らす東京都内のI病院に入院のうえ、二度にわたり経皮的ラジオ波焼灼療法(以下「RFA」)を受けた。同年12月の腹部CT検査の結果、肝細胞がんの辺縁再発が疑われたが、患者が高齢であることを考慮し、2か月後の経過観察で病変の増大があれば、再度RFAを実施する方針となった。 Eはその後、Xが付き添いをしやすいG医院で診療を受けることになった。平成26年3月7日の腹部CT検査の結果、肝細胞がんの残存、再発病変が認められたため、同月11日に同医院に入院のうえ、RFAを受けた。それからは、約4か月に1度の頻度でG医院に通院し、経過観察をしていたが、同年12月18日の腹部CT検査の結果、肝細胞がんの多発再発が認められた。同医院医師は、E及びXに対し、肝動脈化学塞栓術(以下「TACE」)による治療を勧めたが、Eらは春になってから治療することを希望し、平成27年4月30日に腹部CT検査を受けることの予約をした。 平成27年3月、E及びXは、G医院医師に、Eの地元の病院での入院加療の希望を述べた。これを受け、同医院医師は、J病院宛の診療情報提供書を作成した。E及びXは、J病院を受診し、Eの入院の受入れを要請したが、断られた。その後、H病院、L病院にも入院の受入れを要請したが、これら病院からも断られた。 同年4月15日早朝、Eは発熱及び上腹部痛を訴え、Y病院に救急搬送され、入院した。Xらは、同病院のF医師に対し、3年前に肝細胞がんと診断されたこと、3月下旬にH病院において末期の肝細胞がんと診断されたこと、4月10日にL病院においても末期の肝細胞がんと診断されたこと、過去にI病院でRFAを受けたこと、G医院では先端医療を勧められたが年齢的に考えて無理であるから断ったこと、Xの夫が東北の病院で心臓の手術をするので、Eの受入れが可能な病院を東北方面で探していたことなどを述べた。F医師は、同日、病名欄に「肝癌、C型肝硬変」、手術内容及び日程欄に「予定なし」と記載したEの入院診療計画書を作成し、Xはこれに署名した。 F医師は、同月19日、Xと面談し、腹部CT検査の画像を見ながら、肝臓全体が癌で占められていると説明したところ、Xは、これまでにも数値的に末期がんだと言われた旨述べた。F医師が、「あとはどのように最期をむかえるか、ですねー。」と述べ、痛みがあれば痛みを取ること、食事量が落ちれば栄養のサポートをすることなど、緩和治療についての説明を行ったところ、Xは、緩和治療についての要望を述べた。F医師が、緩和治療のため、現在入院している急性期病棟から慢性期病棟に移ることになると思われる旨を述べたところ、Xは、「はい、わかりました。宜しくお願いします。」と述べてこれを了承した。 F医師は、5月24日、Xと面談し、肝癌は治るものではないと説明し、急性期病棟にずっといることはできないので、慢性期病棟に移ることを説明したところ、Xは、「宜しくお願いします。」と述べて同意した。F医師は、同月28日、Xの要望により、病名を「肝癌末期」とし、「現在も入院にて緩和治療中であります。」と付記した診断書を作成した。Xは、同月29日には、Y病院の医療従事者に対し、慢性期病棟の後には療養型病院に移ることを希望している旨を述べた。
Xは、6月下旬ころ、EをJ病院に転院させようとしたが、断られた。Xは、7月7日ころにも、Eを他の病院に転院させようとしたが、7月9日、EはY病院にて死亡した。

2 裁判所の判断(「転医義務違反の有無」について)

(1) Xは、Y病院は、Eが肝細胞がんであることを把握した4月17日には、EをG医院又はTACE又は緩和ケア等の肝細胞がんの治療を実施可能な他の高次医療機関に転医すべき義務を負ったと主張する。 しかしながら、①Eは、平成26年12月18日にG医院において、肝細胞がんの多発再発が認められたことから、TACEによる治療を勧められたにもかかわらず、E及びXは、春になってから治療することを希望し、4か月後の平成27年4月30日に同医院で腹部CT検査を受けることの予約をしたこと、②E及びXは、同年3月18日にG医院を受診した際に、Eの地元の病院での入院加療の希望を述べたこと、③E及びXは、3月から4月にかけ、J病院、H病院、L病院に入院を要請したが、いずれも断られ、Y病院がEの入院を受け入れることになったこと、④F医師が、4月15日にE及びXと面談した際に、Xは、過去にI病院でRFAを受けたことや、G医院では先端医療を勧められたが年齢的に考えて無理であるから断ったことを話したこと、⑤F医師が、4月19日、Xに対し、Eの腹部CT検査の結果、肝臓全体が癌で占められていたことを伝え、緩和治療について説明し、現在入院している急性期病棟から慢性期病棟に移ることになると思われる旨を述べたところ、Xは、緩和治療について質問をし、病棟を移ることを了承したこと、⑥Xは、4月30日にG医院で腹部CT検査を予約している旨を、F医師や他のY病院の医療従事者に伝えたことはなく、Eは同検査を受けなかったこと、⑦5月24日のF医師とXとの面談でも、緩和治療を前提に慢性期病棟に移る話がされ、Xはこれを了承していたこと、⑧F医師は、Xの要望により、5月28日付で、肝癌末期で、緩和治療中である旨の診断書を作成していること、⑨Xは、5月29日、Y病院の医療従事者に対し、慢性期病棟の後には療養型病院に移ることを要望したこと等の事実によれば、E及びXは、G医院で勧められたTACEについては、必ずしも積極的ではなく、Eの地元の病院での入院加療を希望し、入院を受け入れたY病院において緩和治療を受けることを希望していたというべきである。 …そうすると、4月17日当時、X及びEは、入院を受け入れたY病院における緩和治療を希望していた一方、Eについては、TACEの適応はなかったのであるから、F医師が、EをG医院又はTACEやがん性疼痛に対する緩和ケアといった肝細胞がんの診療が可能な他の高次医療機関に転医させる義務を負っていたとは認められない。

(2) Xは、Eは自ら医療行為につき意思決定できる状態であったから、代諾権のないXが何か発言していたとしても、Eが積極的治療を望んでいなかったとは認められず、転医義務がなくなることはない旨主張する。 しかし、E及びXは、4月17日当時、G医院で勧められたTACEについては、必ずしも積極的ではなく、Eの地元の病院での入院加療を希望し、入院を受け入れたY病院において緩和治療を受けることを希望していたことは、前記のとおりである。 Eは、Y病院に入院した当時、90歳と高齢で、肝臓がんの終末期にあり、4月15日の面談の際には同席したものの、F医師の説明を聞こうとはせず、娘に任せていると述べていたというのであるから、治療方針の決定については、Xに任せていたものと認められる。そして、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」によれば、患者の意思が確認できない場合において、「家族が患者の意思を推定できる場合には、その推定意思を尊重し、患者にとっての最善の治療方針をとることを基本とする」とされていることに照らしても、終末期にあって判断力の乏しい高齢者について、家族が患者の意思を推定して治療行為についての同意を行うことは、患者の利益のために必要な行為として許容されると解される。 そうすると、Xが、Eの子としての立場において、4月15日に、手術の予定の記載のない入院診療計画書に署名し、同月19日以降は、F医師との面談もXのみが対応して、EがY病院で緩和治療を受けるという治療方針を決定したことは、Eの意思ないし推定的意思に基づくものというべきである。

3 まとめ

本事案において、病院側は、専らキーパーソンたる患者家族(患者の子)との間で患者の治療方針の選択・決定を行っていましたが、本訴訟では、当該患者家族から、患者には当時、意思決定能力があったから、自らに代諾権はなかった旨の主張がなされました。 本事案のように、意思決定能力を全く欠いているわけではないものの、終末期にあったり、高齢であったり等の事情から、自ら判断することを避け、信頼する家族に、治療方針の選択・決定を委ねようとする患者も少なくないと思います。そのような場合にも、必ず患者本人の意思決定を強いるということは、かえって、患者の利益にならない可能性があります。本判決は、そのような場合について、「家族が患者の意思を推定して治療行為についての同意を行うことは、患者の利益のために必要な行為として許容される」と判示しました。 本判決では、その判断の根拠として、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」が引用されています。現在は、「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」という名称に変更され、内容についても改訂が加えられており、その重要性はますます増していると考えられます。 同ガイドラインは、「人生の最終段階を迎えた本人・家族等と医師をはじめとする医療・介護従事者が、最善の医療・ケアを作り上げるプロセスを示すガイドライン」であり、そこには、「本人の意思が明確でない場合には、家族等の役割がいっそう重要になります。特に、本人が自らの意思を伝えられない状態になった場合に備えて、特定の家族等を自らの意思を推定する者として前もって定めている場合は、その者から十分な情報を得たうえで、本人が何を望むか、本人にとって何が最善かを、医療・ケアチームとの間で話し合う必要があります。」などの基本的な考え方が示されています。 しかしながら、本事案が、同ガイドラインにいう「本人の意思が明確でない場合」にただちに該当するかというと、そうではないように思われます。同ガイドラインの改訂においては、近年普及しつつあるACP(人生の最終段階の医療・ケアについて、本人が家族等や医療・ケアチームと事前に繰り返し話し合うプロセス)の概念が盛り込まれたといえます。その考え方からすれば、患者に意思決定能力がある場合には、患者が、自らの治療方針の選択・決定を信頼する家族に委ねようとする場合であっても、その判断を最初からすべて家族に委ねてしまうことは相当ではなく、まずは、家族とともに、患者本人にも、可能な限りで、その治療方針の選択・決定の過程に参加してもらう方向での働きかけを行うことが必要であると考えられます。そのプロセスはまさに、「本人の尊厳を追求し、自分らしく最期まで生き、より良い最期を迎える」ことに繋がるものといえるのではないでしょうか。 いずれにしても、人生の最終段階における治療方針の選択・決定の場面で、対応方法等に悩む状況が生じたときには、このガイドラインに示された基本的な考え方を踏まえて検討・判断することを意識しておく必要があります。